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インド旅行記①(バラナシの朝編)

5時に起床し身支度をする。5時45分にはガイドのAnashさんがロビーに迎えにきてくれている。外に出ると昨夜の喧騒とは裏腹に静寂に包まれている。夜の黒はこれから顔を出そうとしている太陽に溶かされ、空はうっすらと青みがかっている。ボートに乗り込む。昨日の夜にホテルに向かう時に乗った電動のものではなく、昔ながらの手漕ぎの小舟だ。ゆっくりとゆっくりと、昨日プージャを見学したダーシャシュワメードガートの方へと向かっていく。だんだんと水平線の向こうに赤い太陽が顔を出し始め、それに伴って世界の色も変わっていく。ガンジス川の朝には無数の青が存在している。

日の出前のボート乗り場
ガイドのAnashさんと漕ぎ手の青年
ガンジス川に日が昇る

「印象、日の出」は写実であったと思うような風景。薄雲の中から滲むように出現する赤い太陽、太陽から私の目を結ぶ直線を光る水面、櫂が水を割く一定のリズムが夜明けの静寂の中に響いている。その幻想的風景とは裏腹に生理に訴えてくるのは生臭い水の匂い、人間を含むあらゆる動物の汗と糞尿の匂い、火葬場から立ち上る煙、水際に打ち捨てられた焼かれるのを待つ死体。

沐浴する人々
マニカルニカーガートの火葬場。24時間火が燃え続けている。
ガンジス川を泳ぐおじさんと日の出

目に映る全てのものが詩を持っている。この風景を文章にしたい、絵にしたい、音楽にしたい、あらゆる芸術家のインスピレーションを掻き立ててきただろう。芸術とはその中心に謎を持っているものだというが、観光客にとってのバラナシは謎だらけであった。「異国」。目の前で同時多発的に起こる様々な出来事は常に自分の理解を超えている。

「ジャパニーズ、ボート?」感傷と物思いに浸っていると声をかけられる。隙あらば金を落とさせようとするインドの人々。この街の日常がここにあることを思い出させる。観光とはその土地に住み生きる人々の生活の上部をなぞり、消費することなのか?いや、しかし私は確かに揺さぶられた。この謎だらけの光景に自分の小ささに。了見の狭さに。しかしこれを知りたいと思った。この大きな謎をもっと知りたい。入り込んでいきたい。と思わされた。

ホテル隣のガート。強烈な臭いがした。
ホテルの朝食。ブッフェスタイルだった。
ガンジス川を眺める妻