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『呪いに打ち勝ったはなし』

※この記事は2018年1月きらくたのしく子育てブログで公開したものです。



こんにちは、篠原です。

 

 

先週の日曜日から、

長男と私→次男→末娘と次々インフルエンザに掛かり、

 

一週間仕事休んだヒャッホウと思ったけど、

 

嘔吐やなんやで大量の洗濯物と、

タミフルのせいなのかやたらテンション高くずっと踊ってる長男、

夜泣きっていうか寝てるときもおきてるときも怒りまくり叫びまくる次男、

とにかくぐずって寝てくれない末娘と戦いながら

どうにかご飯食べさせて洗濯物だけやっつけてたら,

一週間終わっていたという…。

 

土曜日に、保育園の発表会だってのに、

夜中、ぐずぐず泣いては起きる娘を胸の上に抱えながら、

あまりにすぐ起きるのに、試行錯誤しているとき、

それは起きたのです。

 

※以下ツイッターから抜粋。もとのツイートはこちら

 

 

 

『きいて。

いま、すごくふしぎなことがおきた。

昨晩から、娘さんが鼻づまりひどくて、寝づらそうにしてたんやけど、

明け方からすごい泣いて、

哺乳瓶も『いや!』って投げ、

おむつかえてもイヤイヤ

だっこしてもイヤイヤ

あやしても暴れて、

結局『息がしづらい?』と思って

 

ギャン泣きするけど

頑張って、鼻水吸い器で吸ったら、

鼻水ポット半分くらい鼻水が取れて、

娘さんはぐすぐす言いながらも安心した顔になって、

鼻が通ったから哺乳瓶のお水ごくごく飲んで、

スーッと寝たのね

 

私はそれを見てホッとして、

『ああ、しんどかったね。

らくになって良かったね。

わかってあげれなくてごめんな。

しゃべれないもんね。

気づくの遅かったねごめんな。』

って声をかけて、

なんかそれが、

自分の声やのにやさしくて、

 

で、すごく客観的に、

『こんな夜中に、ほとんど寝てないのに、

赤ちゃんが泣いたらちゃんと起きて、

長いこと泣いたのに、

解決したら”わかってあげれなくてごめんな”ってやさしく言うのって、

なんてやさしいお母さんやろう』って思った。

 

で、自分のことやから、

娘に対する声かけも嘘やないのがわかるし、

心から大事に思って声をかけてるのがわかって、

 

『ああ、そうか、わたしはやさしいおかあさんなんやな』

って、

初めて自分で、

そう、はっきり思った。

 

しばらくして、

どうしょうもなく涙が出てきて、

娘さんを胸に乗せたまま、

うー、、って声を上げて泣いた。

いや、今も泣いてるんやけど。

うれしくて

いままでずっとずっと、

どんなに人に褒められても、

どこか他人ごとみたいに、

『ありがとう』といってだけど、

ああそうかもう、

これからはちゃんと喜んでいいんや、

大丈夫や、っておもった

 

長い長いこと、

どんなに頑張っても、

人にやさしくしても、

褒めてもらっても、

『そんなはずはない』

『おまえはダメな子だ』

『もっとがんばれるはずだ』

『このままじゃダメだ』って

そんな

昔大人にたくさん言われた言葉が聞こえていたけど

 

さっき私の耳にきこえたのは、

『おかあさん、いつもがんばってるよ』

って、長男のやさしいかわいい声だった。

『おかあさん、だいすきだよ』

って、

長男と次男の声も何回も聞こえた。

 

それで、

『ああ、おわったんだな』

『私は勝ったんだ』

と思った。

長かったけど、諦めずにずっと、

『おまえはダメな子』って声と戦ってきたけれど、

誰がなんと言おうと、私はこんなに我が子にやさしいやないか。

そしてこどもたちもちゃんと、認めてくれてる。

 

だから、もう大丈夫だ!

私はダメじゃない!

私はやさしいおかあさん!

人としてもダメなわけがない!

だってこんなに、

心から人を大切に思っているもの。

そんな人がダメなわけがない!

って、強く思って

 

いま、でもまだ泣きながらぼんやりしていて、

だけどきっと、

呪いが解けたのは間違いなくて、

それは、

たくさんたくさん言い続けた、

やさしい言葉、

褒めるような言葉、

それによって誰かから返ってきた、

やさしい言葉や、

褒め言葉、

その数がきっと、

昔言われ続けたマイナスのひどい言葉の数を、

単純に越えたんやと思った。

 

なんてすごい!

 

昔、夜回り先生の水谷修氏が、

『過去を振り返るよりやさしさをくばりなさい。

そうすれば、やさしさは返ってくるから。

そうすれば、明るい未来に繋がるから』

っていうてはったけど、

 

10年たってやっとわかった。

こういうことやったんや

 

 

いま、私の回りにいじわるな人はいない。

 

不用意に人を傷つける人もいない。

もし、いても近づかないから、

私のまわりはやさしい人がたくさんいる。

夫、三人のこどもたち、友人、年上のやさしい知人、TLの優しい人達。みんなみんな、素敵な人ばっかり。

 

だからもう、

大丈夫だと思う。

私の世界は平和で、

それは私がずっとあきらめずに求め続けたもので、

夢でも幻でもない。

現実だ。

優しくて大切な人の中で、

私はこれからも生きていく。

 

だから、

いっつも、

『えらいよ』

『やさしいね』

『がんばってるね』

『応援してるよ』

『大丈夫だよ』

『ありがとう』

っていうてくれた、

すべてのひとに、

ありがとう。

 

おわり。』

 

 

えーと、まず、

とにかく、たくさんの温かいコメントを、ありがとうございました。

 

 

 

『呪い』と言うのは、

昔大人にたくさん言われた、私を否定する言葉です。

 

主に、8割母と、2割小学校の先生。

 

詳細は省きますが、

ざっくり言うと、

 

『ありのままの私を否定する言葉』

『なにかすごいことがあっても、“でもあの時ダメだったし”と否定する言葉』

『何か一つ失敗をすると“お前はあのときもあの時も失敗したダメなやつ”という言葉』

『何か挑戦するべきことを前にした時“心配で心配で、どうせだめだ”と、やる気を削ぐ言葉』

『事故などにあったとき、私の心配よりも“こんなに心配させて!!”と、責められる言葉』

『私(母)を悲しませるなんて、おまえはひどい子だ、という価値観』

 

まあ、いっぱいあるけどだいたいそんな感じ。

 

で、

習い事ととか塾とか、

ある日突然『習いなさい』と決められるとか、

私物を勝手に捨てられるとか。

 

こちらの気持ちは無視され、

反抗すると抑え込まれるようなお説教を何時間もされ、

それは、息ができなくなるくらい辛くて、

今でもたまに夢に見る。

 

暴力を振るわれたとか、

ごはんをもらえなかったというような、

わかりやすい虐待ではなかったけど、

 

実家で暮らしたある時期、

特に祖父母の介護とか大変なことが母に重なった時期、

そのしわ寄せは確かに子どもに降り掛かっていて、

そのせいで間違いなく、

うちのきょうだいは全員一時期心を病んでいる。

 

きょうだいで一番最初に家を出た私は、

 

いち早くそこから物理的には抜けだしたわけだけど、

 

 

呪いの言葉に対する

完全勝利を手にしたのは、

昨日。

 

現在37歳だから、

18で家を出てから、

19年。

長かったな-。

 

 

ただ、

呪いを解く鍵そのものは、

25のときと29のときに外しているので、

そっからは死にたくなったことは一度もないし、

あとは、『鍵が外れているけどなんとなくまだでれない』状態だったというか。

 

 

で、

せっかくなので今日は、

 

 

鍵を外した行動を紹介する。

 

2つある。

 

 

1つ目は、25歳のとき。

 

母親に

『ずっと、

お母さんを嫌いだったことも、

憎んだこともない』

と、宣言したこと。

 

 

もう2つ目は結婚前。

 

『“生きていていいんだよ”と、言ってください。

どうしてもそれが必要なんです』

と、母親にお願いして、

実際に言ってもらった。

 

 

1つ目の言葉。

これはなぜそう言ったかというと、

小学校1年生のときに遡る。

 

午後から雨が降ったある日、

学校から帰ろうとすると、

校門のところに、

傘を持った母がいた。

 

『あれ、おかあさんなんでいるの?』

『雨降ったから傘、いると思って』

 

空を見た。

 

雨は上がっていた。

 

だから私は言った

 

『え、でももう降ってないし、傘いらんやん。』

 

その瞬間、

 

母はひどくショックを受けた顔をして、

涙をぼろぼろこぼしながら踵を返し、

 

そのまま一言も口をきかず、

 

私を置いてぐんぐん歩いていった。

 

 

そこからである。

 

生まれたときからずっと

あんなに優しかった母は、

私を『生意気になった』と思い込み、

自分の今までの育児について自分を責め、追い込み、

私の一挙一投足全てを緊張してみるようになり、

結果として、

自分の身を守るために反抗する私を、

とことんまで否定した。

 

 

いや、でも待って、

もう一回言うけど当時1年生やで。

 

いくら私が空気よめへんていうてもさ、

来年1年生になった長男が私に同じこと言うたらこう言うね。

 

『え、でももう降ってないし傘いらんやん。』

『ほんまやなー。いらんかったなー。まあでもせっかく迎えに来たし、一緒に帰ろうか』

『わーい!!そうしよう!!』

手を繋いで仲良く帰りました。

 

めでたしめでたし、である。

 

 

なのでどう考えてもおかしいのはうちの母なんやけど。

 

とりあえず、

母の思い込みによる攻撃を少しでも減らすための宣言だった。

 

 

それが1つ目ね。

 

 

そして2つめ。

 

2つめは夫と結婚する前に、

 

夫の家で二人でお酒を飲んだとき、

 

珍しく深酒して杏露酒を一瓶あけた私は、

下戸の夫に絡みながら延々と泣いていた。

 

何を言うてたかは覚えてないんやけど、

 

ずーっと泣いていて、

夫はずっとそばにいてくれた。

 

で、

夫も流石に眠くなった夜中の3時頃、

それはおきた。

 

 

『わかった!!』

『え?』

『わたし、おかあさんに“生きてていいよ”って、言うてほしいんや!!』

『そうか』

『きめた!いつかぜったいおかあさんにいうてもらう!!』

 

 

1つ目の宣言は強力で、

母はそれ以降私に説教したりやたらと責めるようなことはなくなっていたけれど、

それでも私は時々どうしようもなく

『消えてしまいたい』思いに駆られていた。

 

それほど二十数年間言われ続けた言葉の呪いもまた、強力だったのだ。

 

で、その晩から半年くらい経った

結婚式の2日か3日前くらいだったと思う。

 

夜の10時位に、他の家族がみんな寝て、

母と私だけがたまたま二人きりになったとき、

『今や!!』

っと、思って母にこう切り出した。

 

『お母さん、お願いがあんねん』

『なに、改まって』

『結婚する前に、絶対言うておきたいことがあるねん』

『なんや、…なんでもいうて』

『私に“みなもは生きていていい”っていうて。』

『…なんで?なんでそんなこというの?そんなん当たり前やん。』

 

母は戸惑って曖昧に微笑んだ。

『お母さんが、私を大事に思ってたのは知ってる。

でもな、たくさんケンカしたときに言われた言葉が、

今でも私の中に残っていて、苦しいねん。

今は、お母さんは私にひどいことは言わんけど、

本物のお母さんは言うてへんのに、

心の中のお母さんが私を責めるから、

死にたくなる時があるねん。

でも、違うやろ?そんなん思ってないやろ?』

 

『思ってるわけないやんか』

母は泣いていた。

『それやったら言うて。本物のお母さんが生きてるうちに。

私に“生きていい”って言うて。』

『わかった。生きろ。生きなさい。』

母は私を抱きしめ、

二人でわんわん泣いた。

 

母の『生きろ』は、もののけ姫のアシタカみたいな口調だったけど、

 

一番強力な死へ向かう呪いは、そこで絶たれた。

 

 

 

で、3つめである。

 

 

最後の呪いが昨日解けたわけである。

 

いやあもう、めっちゃお祝いしたね。

 

 

ほんで、子どもたちと夫一人ひとりに説明してお礼を言うた。

 

『あなたのお陰で私はしあわせです、ありがとう。』と。

 

 

特に次男に説明したときが面白かった。

 

『今日ね、かあさんすごくいいことがあったんや』

『えー、なになに??』

『今日の朝早くね、ちゅぴこ(末娘)が泣いてたのを、

しんどいけどおきてよしよししてたら、ちゅぴこがねてさ、

それで、“ああ、かあちゃんはいいおかあちゃんやなって思ったん”』

『みーくん(かあちゃんがやさしいって)しってるで!』

『そうかーありがとう!!』

『いいえ!!』

『でもな、いままでは、どんなにそうやって次男くんが褒めてくれてもな、あたまのなかにいじわるな人が住んでて、“そんなことない!もっとがんばれ!”って言われてたんやけどな、

きょうは、長男くんと次男くんが出てきてな、いじわるな人に“そんなことない!かあちゃんはやさしい!あっちいけ!”っていうて、やっつけてくれはってん。』

『えー、みーくんとにーちゃんが?』

『そうそう』

『えー!!やるもの(悪者)やっつけたん??』

『そうやねん!だから、ありがとう!!』

『もちろんだよ!みーくんがまもってあげるからね!!』

『ありがとう。じゃあ、もう、いじわるな人が来ても怖くないわ!』

『うん!!』

 

そんな会話をした。

 

 

 

そう。

長年の習慣で、

これからも私の内側の「意地悪な人」

は、やってくるだろう。

 

 

でも、もうだいじょうぶ。

 

私のまわりには大切な人がたくさんいる。

 

 

その人達はみんな優しい。

 

私をいじめない。

 

それどころかみんな、

 

わたしをたくさん褒めてくれる。

 

 

 

人生のある時期、

誰かからひどい言葉を投げつけられたことがあっても、

その数を越えるだけ、素敵な優しい言葉を伝え、

それがやがて自分にも返ってくるようになれば、

呪いは解ける。

 

 

だから、だいじょうぶ。

 

 

 

何度でも言う。

いつも私を支え、

みまもってくれる人たちに

ありがとう。

 

そして、

私は、

 

私の大事なこどもたちがこの先、

心ない人に傷つけられたとき、

こどもたちが自信をなくしたとき、

自分を責めすぎて死んでしまわないように。

 

頭の中の意地悪な人を

最強なかあちゃんがでてきてやっつけるように。

 

今日もこどもたちに言うんや。

 

『かあちゃんは長男くんが大好きやで』

『次男くんはすっごいやさしい子やで』

『末娘ちゃんは今日もすてき』

繰り返し、繰り返し。

大切なこどもたちが、

私の手を離れる、その日まで。

 

 

 

篠原みなも

 

 

追記。

今日も最後まで読んでいただいて、

ありがとうございます。

 

今回たくさんの温かいコメントをいただいて、

私、決めました。

この先もこうして私の、

生きてるから湧いてくるあれやこれやを、

文章にして、発信していくことを、

生業にしようと。

それで、

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より子育て中のママに役に立つための、

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ありがとう。

 

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『呪いと闘った話』


2

篠原 みなも

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nemo

2019年 2月5日

返信

 



土曜日に、保育園の発表会だってのに、

夜中、ぐずぐず泣いては起きる娘を胸の上に抱えながら、

あまりにすぐ起きるのに、試行錯誤しているとき、

それは起きたのです。

 

※以下ツイッターから抜粋。もとのツイートはこちら

 

 

 

『きいて。

いま、すごくふしぎなことがおきた。

昨晩から、娘さんが鼻づまりひどくて、寝づらそうにしてたんやけど、

明け方からすごい泣いて、

哺乳瓶も『いや!』って投げ、

おむつかえてもイヤイヤ

だっこしてもイヤイヤ

あやしても暴れて、

結局『息がしづらい?』と思って

 

ギャン泣きするけど

頑張って、鼻水吸い器で吸ったら、

鼻水ポット半分くらい鼻水が取れて、

娘さんはぐすぐす言いながらも安心した顔になって、

鼻が通ったから哺乳瓶のお水ごくごく飲んで、

スーッと寝たのね

 

私はそれを見てホッとして、

『ああ、しんどかったね。

らくになって良かったね。

わかってあげれなくてごめんな。

しゃべれないもんね。

気づくの遅かったねごめんな。』

って声をかけて、

なんかそれが、

自分の声やのにやさしくて、

 

で、すごく客観的に、

『こんな夜中に、ほとんど寝てないのに、

赤ちゃんが泣いたらちゃんと起きて、

長いこと泣いたのに、

解決したら”わかってあげれなくてごめんな”ってやさしく言うのって、

なんてやさしいお母さんやろう』って思った。

 

で、自分のことやから、

娘に対する声かけも嘘やないのがわかるし、

心から大事に思って声をかけてるのがわかって、

 

『ああ、そうか、わたしはやさしいおかあさんなんやな』

って、

初めて自分で、

そう、はっきり思った。

 

しばらくして、

どうしょうもなく涙が出てきて、

娘さんを胸に乗せたまま、

うー、、って声を上げて泣いた。

いや、今も泣いてるんやけど。

うれしくて

いままでずっとずっと、

どんなに人に褒められても、

どこか他人ごとみたいに、

『ありがとう』といってだけど、

ああそうかもう、

これからはちゃんと喜んでいいんや、

大丈夫や、っておもった

 

長い長いこと、

どんなに頑張っても、

人にやさしくしても、

褒めてもらっても、

『そんなはずはない』

『おまえはダメな子だ』

『もっとがんばれるはずだ』

『このままじゃダメだ』って

そんな

昔大人にたくさん言われた言葉が聞こえていたけど

 

さっき私の耳にきこえたのは、

『おかあさん、いつもがんばってるよ』

って、長男のやさしいかわいい声だった。

『おかあさん、だいすきだよ』

って、

長男と次男の声も何回も聞こえた。

 

それで、

『ああ、おわったんだな』

『私は勝ったんだ』

と思った。

長かったけど、諦めずにずっと、

『おまえはダメな子』って声と戦ってきたけれど、

誰がなんと言おうと、私はこんなに我が子にやさしいやないか。

そしてこどもたちもちゃんと、認めてくれてる。

 

だから、もう大丈夫だ!

私はダメじゃない!

私はやさしいおかあさん!

人としてもダメなわけがない!

だってこんなに、

心から人を大切に思っているもの。

そんな人がダメなわけがない!

って、強く思って

 

いま、でもまだ泣きながらぼんやりしていて、

だけどきっと、

呪いが解けたのは間違いなくて、

それは、

たくさんたくさん言い続けた、

やさしい言葉、

褒めるような言葉、

それによって誰かから返ってきた、

やさしい言葉や、

褒め言葉、

その数がきっと、

昔言われ続けたマイナスのひどい言葉の数を、

単純に越えたんやと思った。

 

なんてすごい!

 

昔、夜回り先生の水谷修氏が、

『過去を振り返るよりやさしさをくばりなさい。

そうすれば、やさしさは返ってくるから。

そうすれば、明るい未来に繋がるから』

っていうてはったけど、

 

10年たってやっとわかった。

こういうことやったんや

 

 

いま、私の回りにいじわるな人はいない。

 

不用意に人を傷つける人もいない。

もし、いても近づかないから、

私のまわりはやさしい人がたくさんいる。

夫、三人のこどもたち、友人、年上のやさしい知人、TLの優しい人達。みんなみんな、素敵な人ばっかり。

 

だからもう、

大丈夫だと思う。

私の世界は平和で、

それは私がずっとあきらめずに求め続けたもので、

夢でも幻でもない。

現実だ。

優しくて大切な人の中で、

私はこれからも生きていく。

 

だから、

いっつも、

『えらいよ』

『やさしいね』

『がんばってるね』

『応援してるよ』

『大丈夫だよ』

『ありがとう』

っていうてくれた、

すべてのひとに、

ありがとう。

 

おわり。』

 

 

えーと、まず、

とにかく、たくさんの温かいコメントを、ありがとうございました。

 

 

 

『呪い』と言うのは、

昔大人にたくさん言われた、私を否定する言葉です。

 

主に、8割母と、2割小学校の先生。

 

詳細は省きますが、

ざっくり言うと、

 

『ありのままの私を否定する言葉』

『なにかすごいことがあっても、“でもあの時ダメだったし”と否定する言葉』

『何か一つ失敗をすると“お前はあのときもあの時も失敗したダメなやつ”という言葉』

『何か挑戦するべきことを前にした時“心配で心配で、どうせだめだ”と、やる気を削ぐ言葉』

『事故などにあったとき、私の心配よりも“こんなに心配させて!!”と、責められる言葉』

『私(母)を悲しませるなんて、おまえはひどい子だ、という価値観』

 

まあ、いっぱいあるけどだいたいそんな感じ。

 

で、

習い事ととか塾とか、

ある日突然『習いなさい』と決められるとか、

私物を勝手に捨てられるとか。

 

こちらの気持ちは無視され、

反抗すると抑え込まれるようなお説教を何時間もされ、

それは、息ができなくなるくらい辛くて、

今でもたまに夢に見る。

 

暴力を振るわれたとか、

ごはんをもらえなかったというような、

わかりやすい虐待ではなかったけど、

 

実家で暮らしたある時期、

特に祖父母の介護とか大変なことが母に重なった時期、

そのしわ寄せは確かに子どもに降り掛かっていて、

そのせいで間違いなく、

うちのきょうだいは全員一時期心を病んでいる。

 

きょうだいで一番最初に家を出た私は、

 

いち早くそこから物理的には抜けだしたわけだけど、

 

 

呪いの言葉に対する

完全勝利を手にしたのは、

昨日。

 

現在37歳だから、

18で家を出てから、

19年。

長かったな-。

 

 

ただ、

呪いを解く鍵そのものは、

25のときと29のときに外しているので、

そっからは死にたくなったことは一度もないし、

あとは、『鍵が外れているけどなんとなくまだでれない』状態だったというか。

 

 

で、

せっかくなので今日は、

 

 

鍵を外した行動を紹介する。

 

2つある。

 

 

1つ目は、25歳のとき。

 

母親に

『ずっと、

お母さんを嫌いだったことも、

憎んだこともない』

と、宣言したこと。

 

 

もう2つ目は結婚前。

 

『“生きていていいんだよ”と、言ってください。

どうしてもそれが必要なんです』

と、母親にお願いして、

実際に言ってもらった。

 

 

1つ目の言葉。

これはなぜそう言ったかというと、

小学校1年生のときに遡る。

 

午後から雨が降ったある日、

学校から帰ろうとすると、

校門のところに、

傘を持った母がいた。

 

『あれ、おかあさんなんでいるの?』

『雨降ったから傘、いると思って』

 

空を見た。

 

雨は上がっていた。

 

だから私は言った

 

『え、でももう降ってないし、傘いらんやん。』

 

その瞬間、

 

母はひどくショックを受けた顔をして、

涙をぼろぼろこぼしながら踵を返し、

 

そのまま一言も口をきかず、

 

私を置いてぐんぐん歩いていった。

 

 

そこからである。

 

生まれたときからずっと

あんなに優しかった母は、

私を『生意気になった』と思い込み、

自分の今までの育児について自分を責め、追い込み、

私の一挙一投足全てを緊張してみるようになり、

結果として、

自分の身を守るために反抗する私を、

とことんまで否定した。

 

 

いや、でも待って、

もう一回言うけど当時1年生やで。

 

いくら私が空気よめへんていうてもさ、

来年1年生になった長男が私に同じこと言うたらこう言うね。

 

『え、でももう降ってないし傘いらんやん。』

『ほんまやなー。いらんかったなー。まあでもせっかく迎えに来たし、一緒に帰ろうか』

『わーい!!そうしよう!!』

手を繋いで仲良く帰りました。

 

めでたしめでたし、である。

 

 

なのでどう考えてもおかしいのはうちの母なんやけど。

 

とりあえず、

母の思い込みによる攻撃を少しでも減らすための宣言だった。

 

 

それが1つ目ね。

 

 

そして2つめ。

 

2つめは夫と結婚する前に、

 

夫の家で二人でお酒を飲んだとき、

 

珍しく深酒して杏露酒を一瓶あけた私は、

下戸の夫に絡みながら延々と泣いていた。

 

何を言うてたかは覚えてないんやけど、

 

ずーっと泣いていて、

夫はずっとそばにいてくれた。

 

で、

夫も流石に眠くなった夜中の3時頃、

それはおきた。

 

 

『わかった!!』

『え?』

『わたし、おかあさんに“生きてていいよ”って、言うてほしいんや!!』

『そうか』

『きめた!いつかぜったいおかあさんにいうてもらう!!』

 

 

1つ目の宣言は強力で、

母はそれ以降私に説教したりやたらと責めるようなことはなくなっていたけれど、

それでも私は時々どうしようもなく

『消えてしまいたい』思いに駆られていた。

 

それほど二十数年間言われ続けた言葉の呪いもまた、強力だったのだ。

 

で、その晩から半年くらい経った

結婚式の2日か3日前くらいだったと思う。

 

夜の10時位に、他の家族がみんな寝て、

母と私だけがたまたま二人きりになったとき、

『今や!!』

っと、思って母にこう切り出した。

 

『お母さん、お願いがあんねん』

『なに、改まって』

『結婚する前に、絶対言うておきたいことがあるねん』

『なんや、…なんでもいうて』

『私に“みなもは生きていていい”っていうて。』

『…なんで?なんでそんなこというの?そんなん当たり前やん。』

 

母は戸惑って曖昧に微笑んだ。

『お母さんが、私を大事に思ってたのは知ってる。

でもな、たくさんケンカしたときに言われた言葉が、

今でも私の中に残っていて、苦しいねん。

今は、お母さんは私にひどいことは言わんけど、

本物のお母さんは言うてへんのに、

心の中のお母さんが私を責めるから、

死にたくなる時があるねん。

でも、違うやろ?そんなん思ってないやろ?』

 

『思ってるわけないやんか』

母は泣いていた。

『それやったら言うて。本物のお母さんが生きてるうちに。

私に“生きていい”って言うて。』

『わかった。生きろ。生きなさい。』

母は私を抱きしめ、

二人でわんわん泣いた。

 

母の『生きろ』は、もののけ姫のアシタカみたいな口調だったけど、

 

一番強力な死へ向かう呪いは、そこで絶たれた。

 

 

 

で、3つめである。

 

 

最後の呪いが昨日解けたわけである。

 

いやあもう、めっちゃお祝いしたね。

 

 

ほんで、子どもたちと夫一人ひとりに説明してお礼を言うた。

 

『あなたのお陰で私はしあわせです、ありがとう。』と。

 

 

特に次男に説明したときが面白かった。

 

『今日ね、かあさんすごくいいことがあったんや』

『えー、なになに??』

『今日の朝早くね、ちゅぴこ(末娘)が泣いてたのを、

しんどいけどおきてよしよししてたら、ちゅぴこがねてさ、

それで、“ああ、かあちゃんはいいおかあちゃんやなって思ったん”』

『みーくん(かあちゃんがやさしいって)しってるで!』

『そうかーありがとう!!』

『いいえ!!』

『でもな、いままでは、どんなにそうやって次男くんが褒めてくれてもな、あたまのなかにいじわるな人が住んでて、“そんなことない!もっとがんばれ!”って言われてたんやけどな、

きょうは、長男くんと次男くんが出てきてな、いじわるな人に“そんなことない!かあちゃんはやさしい!あっちいけ!”っていうて、やっつけてくれはってん。』

『えー、みーくんとにーちゃんが?』

『そうそう』

『えー!!やるもの(悪者)やっつけたん??』

『そうやねん!だから、ありがとう!!』

『もちろんだよ!みーくんがまもってあげるからね!!』

『ありがとう。じゃあ、もう、いじわるな人が来ても怖くないわ!』

『うん!!』

 

そんな会話をした。

 

 

 

そう。

長年の習慣で、

これからも私の内側の「意地悪な人」

は、やってくるだろう。

 

 

でも、もうだいじょうぶ。

 

私のまわりには大切な人がたくさんいる。

 

 

その人達はみんな優しい。

 

私をいじめない。

 

それどころかみんな、

 

わたしをたくさん褒めてくれる。

 

 

 

人生のある時期、

誰かからひどい言葉を投げつけられたことがあっても、

その数を越えるだけ、素敵な優しい言葉を伝え、

それがやがて自分にも返ってくるようになれば、

呪いは解ける。

 

 

だから、だいじょうぶ。

 

 

 

何度でも言う。

いつも私を支え、

みまもってくれる人たちに

ありがとう。

 

そして、

私は、

 

私の大事なこどもたちがこの先、

心ない人に傷つけられたとき、

こどもたちが自信をなくしたとき、

自分を責めすぎて死んでしまわないように。

 

頭の中の意地悪な人を

最強なかあちゃんがでてきてやっつけるように。

 

今日もこどもたちに言うんや。

 

『かあちゃんは長男くんが大好きやで』

『次男くんはすっごいやさしい子やで』

『末娘ちゃんは今日もすてき』

繰り返し、繰り返し。

大切なこどもたちが、

私の手を離れる、その日まで。

 

 

 

篠原みなも

 

 

追記。

今日も最後まで読んでいただいて、

ありがとうございます。

 

今回たくさんの温かいコメントをいただいて、

私、決めました。

この先もこうして私の、

生きてるから湧いてくるあれやこれやを、

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生業にしようと。

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