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次ぎをもっとうまくやるための手引き(無職雑感)

大学院を落ちたのは、どことなくそうなることがわかっていた。
それでも踏ん切りをつけるために、合否もわかる前から引越してしまい、先が見えてしまってから、さてこれからどうしようと漸く考え始めた。
級友たちが真面目に就職活動をしている傍で私は何もしていなかったのだから、そのようなノウハウは何一つなく、とりあえず派遣登録をしてしばらく日銭を稼いだ。
その日々で様々な思うこともあったが、ここには書かないでおく。

半年ほどのらりくらりとして親の脛をひたすらに齧り、就職が決まった時にはそんなものなんだなと思ったのが感想だ。
三ヶ月はアルバイト雇用、正社員登用あり、月給十九万程度、賞与なし……全てに、そんなものなのかと思っていた。
一度道を外れた──いや、そもそも世間一般の道からは外れていたようなことを学生の頃から専攻していたのだから、職やその待遇というものに何一つ期待していなかったので、そう思ったに過ぎない(のちに賞与のみはあると知って寧ろ驚いた)。
労働は、心身削るような無謀な労働時間でなければよかったし、最低限生活できる金が貰えればそれでよかった。
ので、そこで結局この春まで何とか働いていた。

辞めた原因を書くのは野暮であるからあまりあからさまにしないけれど、待遇については今でも前述した通りの世間的には恐らく低レベルで、満足とまではいかないがよしとする考えを放棄していないために、つまりそういうことである。
昨年の暮れに辞めると通知した時も正直先のことは何一つ考えていなかった。
妙なところで楽観的な性分であるから、何とかなるだろうと思っていて、そして実際またも(年甲斐もなく親の脛をいくらか齧って)どうにかしてしまった。

そうして何も考えずに職を擲ち、その上生来の無精さで前職を辞めるその日までに次の職を決めることもできずに、ただ職を辞める以前に偶然知り得ていた失業保険についてのあれそれのために、私は命拾いをする。
それらの情報はTwitterで得ていたが、もし私がSNSをしない人間であったなら貰える金のことなど知らず、もっと苦労していたやもしれぬ。
失業保険だけでなく、年金だの保険だの住民税だのの、煩雑で面倒な様々の手続きに奔走し、収入のない三ヶ月を貯金と、規定の範囲内のアルバイトで凌いだ。
久しぶりのアルバイトはほとんどの人間が年下になっていて、変なところで年月を感じてしまった。

いよいよ失業保険が支給され始めると、アルバイトをする方が損であるので、またものらりくらりと今度は履歴書やその他書類を作ったり送ったりしながら、その実ハローワークで得た求人の情報の裏をひたすら取るなど潔癖なことをした。
どの情報が本当のところであるのか、実際には働いてみなければわからないのだから、転職ガチャ、などとインターネット上で面白おかしく言われているのも肯ける。
自分としては情報を集めるだけ集めて書類を送ることも最小限にするほどであったのに、一社だけ圧迫面接のようなものに出会したのには辟易した。
あのような面接は企業にも求職者にも、百害あって一理もないと、盲信できそうなほどに思ってしまうが、御社に於かれましてはその辺りについての見解はいかがでしょうか。

慎ましやかに暮らしていると、それまで給料から天引きされるので疎ましく思っていた雇用保険料やその他のもののありがたみが若干理解された。
それらのものを自分でわざわざ払込に行ったり、何らかの手続きをすることはかなりの手間だ。
しかしやらねばならぬというから、返ってくる時には雀の涙なんだろう年金は免除してもらい、住んでいるだけで取られる税金については分割措置を取ってもらった。
前回無職であった時、奨学金の返済猶予承認に凄まじく時間がかかったのを覚えていて(今回も同じくであったし、その上指定された体裁の書類を送付したにも関わらず一度返送されてきた)、どうせ役所のことも同じようなことだろうと億劫がっていたら、保険と年金は一度役所に赴いただけ、住民税に至っては電話一本で解決してしまい、全く拍子抜けした。
借りた身で恩も感じているし当然返しますけれども、その辺についてはもう少し学生支援機構も見習ってほしいものだと思ったのは少なからず許してほしい。

前回無職であった時、私は生活には金が全てなのだと、当然のことを強く実感していた。最低限度の生活の維持には金がいる。
(青い言い方をすると)私には生活のための職とは別に夢があり、その同じ志の同士たちがしばしば選ぶ不安定な生活や、実家に暮らすことや、もしくは住宅を放棄することを、私はこの小心さから選び取ることができないことも悟った。
私にはこの安全に課金していると考えられる住宅がどうしても必要であって、その生活のためにはやっぱり金が要るのだ。
そして二度目の無職では今こうして文章にして、どうせ再び訪れるのであろう、次をもっとうまくやるための手引きを認めている。


「私は三度三度食事をとるだとか、決まった時間に眠り、起きるであるとか、そういったことにあまりに無頓着に生活を行う自覚がある。
あまりそういったことを正しく行う生活に興味がないし、何かしらの作業をしている時に時計を気にすることは非効率だ。
私にとっては生活よりも制作や作業の方が昔から大切であった。
しかしこの社会で暮らしている手前、労働という行為をしなければならないから、仕方なしにそれをしている間は、時計と日付を(私としてはきちんと)見て生活していた。
それが職を放り投げてからこの方どうだろう。
その傾向がよほど強くなりそうなものなのに、実際のところは真逆の現象が起こっている。
日々をこの手狭な部屋で過ごしながら、不必要な外出もせず誰にも会わずに暮らしていると、なぜか生活が規則正しく整っていくのだ。
大体同じ時間に起きて顔を洗い、朝食を食べ、読書をしたり何か制作をし、なんとなく昼を食べ(忘れることもままある)、また何か作業にかかり、たまには必要の外出をし、夕食を作り、食べ、そして風呂に入って同じような時間に寝る。
また翌日に起きてそれを繰り返す。
働いて、きちんとした、社会的に正しいのであろう日々を暮らした生活よりも、それはよほど正しく、生活であった。」

『旅と生活 準備号』湊乃はと


前述は十一月二十四日開催の文学フリマ東京での新刊『旅と生活 準備号』の編集後記からの抜粋である。
これを書いてイベントで新刊を人様に手渡した矢先に、私は無職の身分を終了される宣告を受けた。
もはや就職活動というものの限界を感じていたところであったので、大変ありがたいことだ。
しかしこの二度目の無職で得た生活の実感のために、やはり私は三度目の無職をするんだろうという確信を今から得ている。
それは数年後かもしれないし、数十年後かもしれないけれど、定年と呼ばれる年齢よりはきっと早いだろう。

日銭を稼ぐのに派遣に行くと、主婦という立場の人と大抵同じく働いた。
なんとなく話しているとしばしば耳にするのは、「家にいても暇だから」という言葉である。
「家にいてもやることもないし暇だから、夫の扶養範囲内ででも働けたらと思って」ばりばり働きたい人は当然正社員か長期の仕事に就いているだろうから、私が選ぶ仕事にはそういったことを言う人が多かっただけにすぎないのかもしれないけれど、私はそれを聞くたびに、あまりわからないなと思っていた。

失業保険で生活していた三ヶ月間の身分は高等遊民といって過言ではなかった。
経済的に自由がきいたとは言えないが、それでも毎日本を読んだり、働いていた時に後ろ倒しにしていた細々のことに手をつけたり、凡ゆる色々のことをして過ごした。
毎日家の中にいて、誰とも話さず、誰にも会わない生活であったけれど、わかってはいたがそれが性に合っていた。
……確かに、昔からただひたすら一人で遊んでいられる人間ではあったのだ。
その環境に入ってしまえば、生活としてやるべきことも、やりたいことも、後から後から湧いてきて何一つ・砂粒の一つが落ちる時間すら退屈することもなく、有意義な日々を送ってしまえる。
経済的な不安がないのなら外に働きに出ようなど露ほども思わない。
なんと無職に・高等遊民に、適しているだろう。
そんなもの本当は適さない方が人間社会的には正解であるはずなのに。

けれど自覚してしまったのだからしようがない。
無職になるということは経済的な不安が付き纏う生活であるけれど、それでも、三回目の無職はきっと来る。
二回目の転職活動は出来る限り個人事業主となれるような何かを身につけていたいところであるが(職業の形態として恐らく自らに合っていると思われる)、そればかりはわからないし、そもそも始まる前から辞める心配をしているような次の職のことをまずは考えた方がよいはずで、けれどとりあえずはもう遅い時間であるし眠ることにしたい。

これからのことは、明日考える。


盛岡デミタスさんのアドベントカレンダー(2019)寄稿です

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