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デンマークの若者の「生きづらさ」 ー 成果主義(præstationskultur)

日本の若者の「生きづらさ」とはどういうものか、まだまだではあるけれど、一当事者として、そして実践の現場から、少しずつ実感している。

じゃあデンマークの若者の「生きづらさ」って?それを実感するのが、今回デンマークに来た一つの理由でもある。このテーマについて、気づいたことを少しずつ書いていきたい。


今回は成果主義(præstationskultur)について。

先日、お世話になっている方から『成果主義が学校を占領してしまった』という題の記事を共有していただいた。とても興味深かったので、この記事の内容をまとめてみたい。

まず記事では、デンマークの若者の現状として、以下のようなデータが示されている。

2018/19年度、75,000人以上の生徒が20日以上学校を欠席した。

19歳の女性の46%が精神的な支援を受けた経験があり、2009年以来、30%増加している。

子ども相談ダイアルへの問い合わせの3件に1件が、精神的な事情を抱える子ども・若者からの電話である。

こうした現状は、単に現代の若者は脆くなったというわけではなく、その背景には成果主義が関係しているという。

これについて『成果主義』の著者である、オルボー大学のAnders Petersen准教授とSøren Christian Krogh研究員の見解が続く(以下記事からの抜粋)。

学校は成果主義の一部であり、成果主義の一部が学校です。それは、常に成果を求める文化が現代社会に蔓延しているからというだけではなく、学校は生徒が成果を出し、それに対して報酬を得る場であり、また、しかるべき場であるからです。

問題は成果主義そのものではなく、成果の管理の問題です。成果主義は制度化されており、成果は特定の基準、例えばナショナルテストなどによって評価される必要があります。そのため、その後も同様の方式で管理されることとなり、他の方式で成果を認識し、報酬を与えることが難しくなります。

また、成果主義と競争の関係について以下のように述べている。

競争は成果主義の重要な要素であり、人々を敗者と勝者に分けます。負けることはほとんどの生徒からして最悪のことです。

また、一度得た優勝のポジションは決して確実なものではありません。それは常に守らなければなりません。テストで一度12点(最高得点)を取り、次に7点を取ったとすれば(たとえ10点であったとしても)それは負けを意味します。これが生徒たちが体験しているプレッシャーです。

筆者らは、学校だけでは社会に蔓延する成果主義を抑制するのが難しいとしながらも、学校は大きな役割を果たすとしている。

幸福は学ぶことの前提条件です。成果主義は生徒の不満の大きな原因であり、学びを妨げます。また、失敗することを恐れてチャレンジすることをあえてしない防御的な戦略をとる生徒も見受けられます。これは学びにとって逆効果になります。

学校は生徒のために、物理的にも精神的にも成果を求められない空間(præstationsfrie rum)を作る必要があります。


ここからは少しだけ私の感想を。

日本ではもうずっと前から、この成果主義が学校教育を当たり前のように占領していて、多くの若者が今も苦しんでいる。

さらには、学校以外の場所 ー 家庭・塾・習い事の場でも、常に成果を求められ、評価に晒される。『物理的にも精神的も評価を求められない空間』が社会にほとんど存在しない。

一方のデンマークでは、19世紀のグロントヴィから始まる「人間形成」(dannelse)に基づく教育が伝統的に重んじられてきた。つまり、成果が数値化できるテストによる評価よりも、目に見えない個々の人間的な成長の方が大切にされてきた。

しかし、そんなデンマークもグローバル化の波に呑まれ、より学力志向の教育改革が行われるなど、伝統的な教育の価値観が大きく揺らぎつつある。

もしかすると、日本よりもデンマークの方が、この新旧の価値観のギャップが大きいこともあって、若者に大きな打撃を与えているのかもしれない。

そして、だからこそ『物理的にも精神的も評価を求められない空間』として余暇施設、エフタスコーレ、フォルケホイスコーレなどの伝統的な教育の価値観に基づく場の重要性が再認識されているのではないだろうか。

日本でもデンマークでも、若者たちは現代に生きている限り避けては通れない成果主義から生まれる「生きづらさ」を抱えている。

ただその「生きづらさ」に社会として対応できる土壌があるか(そもそも対応する気があるか…)は両者で異なる点だと考えさせられた。

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