見出し画像

瞑想の集中を妨げるラスボスは「見捨てられ抑うつ」

マインドフルネスで気づいた困難


MBSRを8週間無事教えることができ、ほっと安堵している。そして今週からまた新しいMBSRも始まる。プライベートでは、クリーン&ソーバー(11年)を迎えた。娘も10歳になり、交友関係や遊ぶ場所も広がり、少しだけ手が離れてきた。客観的にみると、まずまず人生はうまくいっているように思える。

しかし、最近こんな感覚がある。白い部屋に一人でいるような「私は誰からも必要とされていない」「結局は一人ぼっちだ」「だからもういいかな・・」(何がもういいのだ!爆)そんな空虚感だ。それも頭では理解している、実際は、家族もいるし仲間もいるし仕事もあり、一人ではない。とすると、これは過去の感覚なのだろうか。

この空虚感、実は、アディクションの自助グループや、クライアントからよく聞く言葉である。小学生高学年くらいからの漠然としたうっすらとした希死念慮そして、空虚感、一人ぼっちな感じ。アディクトあるあると言っても良いだろう。

瞑想していても、落ち着きの無さや欲求(あれがほしい、これがほしい、もっと仕事しなきゃ、あれもこれもやらないと!)が出てくる時、よくよくその感じを見つめてみると、背景に「焦り」「さみしさ」「空虚感」がある。それが長い場合、自分の場合は、あーこれって、あれかなー「見捨てられ抑うつ」というやつかしらと思うことがある。

あーなんかこれ手強そう〜(汗) ラスボスっぽい(平安への?)

見捨てられ抑うつって何?

「見捨てられ抑うつ」 とは,BPD(Borderline Personality Disorder) の中心的な不安であり,抑うつ・怒り と憤り・恐怖・罪悪感・受け身性と無気力・空虚 感と空しさの 6 つの要素から成るとされている (Masterson, 1981 富山・尾崎訳 1990)。

JFマスターソン 自己愛と境界例

見捨てられ抑うつというのは、BPDの神様?、JFマスターソンが提唱した概念です。この見捨てられ抑うつというのは、幼少期に「再接近期」(自由を探索しては、また親に保証を求める時期)と呼ばれる重要な時期に、一貫した愛情を親が与えなかったり、撤去されたりする場合に生じるとされています。

境界性パーソナリティー障害(BPD)って何?

その前に!BPDって何?という方もいらっしゃると思うので、簡単に説明しておきます。BPDというのは、こんな感じのパーソナリティー障害の一種です。

パーソナリティー障害を生き延びる講演のパワポより

このような激しい症状がでている時は障害となり、入院や通院や精神療法がインテンシブに必要となりますが、多くの場合は、そこまでではないものの、アディクションがあり、根っこに「見捨てられ不安がある」「慢性的な空虚感」「対人関係が不安定」「怒りのコントロールが悪い」という感じでしょうか。

大体、臨床の場では、親子関係の葛藤を聞くとこのあたりがはっきりしますが、情緒的ネグレクトを受けていたり、情動調律がうまくいっていなかったり、コントロールと不安が強い親に育てられたパターンが見受けられることが多い印象があります。特に、子供が自発性・自立をしだして、再保証をもとめて親に頼る時に、親が自分の不安や欲求から愛情を剥奪するというのが、子供がBPD的になるパターンです。

見捨てられ抑うつを見つめる(汗)


スピッツが、アナクリティックな抑うつ(依存的抑うつ)と表現した感情状態と似ている。その感情は、自分の一部や自分の生存にとっって不可欠であると信じているものの供給を失ったり、失うのではないかという恐れから生じる。「体の一部が失われる」といったような表現をする。通常のうつとは異なる。
「生命に不可欠な供給が失われるために発症するのではなく、自我がつぶれるまで罰し続ける。厳しい、懲罰的な超自我の存在に基づく精神力動」によるもの。

青年期境界例の精神療法


治療中には、「倦怠感」「無感覚」「抑うつ」感として現れる。防衛が解釈されるにつれて、抑圧されていた記憶がよみがえり、明らかに苦悩を感じるようになる。
「生命に不可欠の供給(愛情)を決して受け取ることができないと確信し、自殺に追い込まれるほどの絶望を体験する」

青年期境界例の精神療法

上記の引用は、専門的過ぎて難しいのですが、これって自助グループや、クライアントさんと話していて感じる感覚でもあります。

よくスポンサーとの対話で、アディクトの何がいけないって何かあった時に結局、「自分をぐさぐさ刺す」「自責する」のがまずいんだよね話しています。要するに「罪悪感から自分をだめだーだめだ」と非難してしまう傾向が強い印象があるのです。もちろん他責に向く場合もありますが。根っこのところは、自分を責めてます。ありのままの自分は価値がないので、だめなんだ・・という恥です。

ということで、難しい理論はおいておいて。

見捨てられ抑うつに気づいたら、自分を責めるのではなく、「主張」「自発性」「自由」を前面にもってきていいということには気づくことができました。自責に気づいて手放すこと、コンパッションを向けることも大切だと思っています。

養育者の不安から由来し、子どもが「主張する」「自発性を見せる」と養育者から「見捨てられる」の逆境を生きてきた人々にとっては、自発性を出すことによって「見捨てられ抑うつ」に入るので、それを晴らすため、感じなくするために、「アディクション」といった行動化を示す人もいるのだ。大事なのは、そのからくりに気づくことです。そうすると、自由を感じられるようになります。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?