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窮地を逆手にとって楽しんでみる

松葉杖が取れた。転倒した当初、こんなに長い間松葉杖を使うことになると思わなかった。松葉杖無しで歩けるようになって5日ほど。もう大丈夫かなと思っていたけど長距離を歩くとどっと疲れたり左足が痺れるような感覚があるので、まだ無理はできない。

8月20日まで休職の予定が9月10日まで延長になった。治癒経過は順調ではあるけど。働いていた場所が介護施設なもんで、私の足の現状では介護の業務がほとんどできずに働く範囲が限られている。それに加えて先週父が転倒した。

足の状態を見つつ週2〜3日で2〜3時間の短時間で慣らしながら復帰しようかと思っていた矢先、救急隊から父が駅前で倒れていると連絡があった。「正男様は転倒したようで頭部を打っています。何の用事で家を出たのか聞いてもわからないとおっしゃり、住んでるのは東京だと言っています。持ち物に免許証があったのでこちらに電話したのですがご家族で間違いないですか?」と電話口で聞かれた。家族で間違いないことを伝えると、搬送先の病院が決まり次第また連絡すると言って電話が切れた。

父は転びやすいが頭はしっかりしている。それが東京に住んでると発言したり、何で駅に来たのかわからないと答えているとなると心配になった。転倒で頭部に外傷がある最悪パターンも考えつつ、父の保険証やお薬手帳を探して病院へ行く準備をする。救急隊から再度連絡があった搬送先は幸い近所の総合病院だった。

タクシーで病院に駆けつけ、受付で事情を説明すると救急処置室へ案内された。処置室横の待合室で処置や検査を待った。30分後くらい経ってから処置室に呼ばれた。父は搬送ベッドで点滴を受けながら酸素吸入されていた。目は開いて意識はある状態で。

「頭部の外傷は左側にたん瘤ができていて出血はありません。脳内の出血もないようですが、お父様は認知症ではありませんか?」と医師から問われた。「父は転倒しやすいですが、頭はしっかりしてると思います。今日は恐らく年金を銀行に引き出しに行ったはずです」「ですが、お父様は何で駅に行ったかわからないとおっしゃっています」という会話になったので私は立ち上がり、ベッド上の父に向かって「たぶん銀行に年金のお金を下ろしに行ったはずだけど覚えてない? 持ち物はこれだけ? お金は財布に入れとるんか?」と尋ねた。輩みたいな聞き方になったが、倒れてる際にお金を盗まれてる可能性もあったのでそう聞くと、「お金はズボンのポケットにある」と父が答えた。確かにズボンのポケットにお金は入っていた。看護師が父に声をかけてからポケットのお金を出そうとすると「峰に」と父が言ったので私がポケットからお金を抜き出し、父にお札を見せながら父の財布に入れて、私のカバンで預かった。

「認知症ではなく、倒れて気が動転してたんだと思います」と医師に向き直ると、「ただ肺に腫瘍と見られる気になる点があるので再度検査した方がいい。転倒しているし入院しませんか?」と言った。

CTの画像を見せてもらいながら医師が気になる箇所や転移の可能性の説明を受けた。転倒後の様子を見つつ入院して検査しようという話だ。少し悩んだがお断りした。転倒して気が動転している上にいきなり肺の検査入院となると、父は余計に混乱して言動が不可思議になり認知症扱いされそうな気がした。受け答えはしっかりできていたし、脳に損傷はない。それに肺の検査を受けるなら、本人が落ち着いてしっかり理解した上で受けてほしいと思った。ひとまず退院して、かかりつけ医にCTの写真を診て判断してもらい、家族と相談してから検査したいという意思を伝えると、その通りにしてくれた。転倒から3日間父の様子観察を行って、落ち着いたところでかかりつけ医に出向き、呼吸器内科に定評がある病院で診察を受けることになった。CTの影が腫瘍なら恐らく入院になるだろう。父のあれこれをしながら、この足の状態で短時間とはいえ職場復帰するのは無理がありすぎる。そう判断したのだ。

しかし次から次へと降りかかるアクシデント。しかも働けない。傷病手当金はもう少し後にもらえる予定。ピンチに次ぐピンチ。重なる時って本当に重なるけど、いったいこれはどうなっとんねん。

でも不思議とパニックにはならずに何故か安心している私がいる。根拠のない自信というか、よくわからないけど大丈夫だと思えている。もちろん心細くて不安になったり「誰か助けてくれ!」という気持ちで揺れたりもする。だけど何だか「どうにかなる」と思えてる。自分にとって不都合なこともぜんぶ受け止められるようになったからだろうか。

昔はいいことばかり起きて欲しかった。自分が思っていたことと違ったり、自分に都合悪いことが起こると何も考えられなくてテンパってばかりいた。だけど今は何が起きても受け止められる私がいる。どんなことも引き受けられる器ができたというか、「逃げずにしっかり現実を見られるようになったんだなぁ」と、むしろ自分の成長を喜ぶ私がいる。

ただのド変態やな。

休みが延びても結局やってることは、文章を書く、ギター弾いて歌う、料理作る、たまに掃除、それだけ。ただ少しだけ意識の変化があった。

文章も歌も「私なんて」という意識から、自分の価値を信じてお金をもらえるレベルになろうと取り組むことにした。今まではずっと人から評価される怖さがあった。過去の経験で私は人からいい評価はされないような気がして、本気で取り組んでも貶されたり笑われたり拒絶されそうな気がして怖かった。自分を丸裸にして表現しても、いい評価を得ることはないと勝手に思い込んでいた。

でも、「もうそんなこと言ってられないし、他の誰よりも私が自分を信じなくてどうする!」という気持ちになった。今、私ができることを最大限やるしかないんだから。

毎日文章を書く、歌とギターの練習をする。それは毎日の私の仕事。ただ書いたり練習するだけでなく、どんな心持ちで取り組んでいくか参考になりそうな本を読んだり、自分にとって何を表現したいのか? を内観しながら明確にしようとノートに書き出したりした。

こんな本も読んでみた


あとは毎日料理はするから、ちょっとした挑戦としてチャレンジスペースで、料理やら歌やら私ができるものを全出しする試みをしてみようかなと思っている。むしろこんな窮地は望んでもこーへん。逆手にとって、やれるだけのことをしてみたい。それでいきなり収入にならなくてもいい。ただ自分の可能性を信じてみたいんだ。

子どもの頃、「美大に行ってもお金がかかるだけでお金にならない。うちはお金がないから行かせられない」と私がほのかに抱いていた美大への憧れを口にする前にぶった斬られた後、私は働くということに希望を持てなかった。働くのは楽しいことだとは思えずに、我慢してお金の為に身を粉にしなければならない辛いものというイメージがついていた。「楽しくて仕方ない」とか「これをするのが喜び」みたいなことは仕事にならないと思いこんでいた。でも、もしかしたら、この時間は、私が本当に夢中になれることを自分の仕事として受け入れるチャンスなのかも知れない。

それだけで収入を得て生活するとかバズるとかじゃなくてもいい。もちろん収入を得られたら嬉しいけど「これが私の仕事なんだ!」と夢中で取り組む中で、私の文章を読んだり歌を聴いた人が何か元気が出るとか励みになるという気持ちになったら嬉しい。喜んでやれることが誰かの希望や日々の楽しみになるのが本来は仕事なはずだ。それなら私も喜んで夢中に取り組める。

実際に私のnoteを読んでくれている友達が、私の文章を読んで勇気が出て「とぅばらーま大会 関西予選」に出ると宣言し、先日出場していた。それがすごく嬉しかった。これはお金のやりとり以上のもので、この価値はお金では計れない。

そんな風にひたすら地道に続けていたら思いもよらぬこともあるだろう。いつか価値を感じて収入を得ることもあるかも知れない。そう信じて、今を大切に楽しんでみよう。


昨日、超遅咲きの朝顔が咲きました


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サポートほしいです!  よろしくお願いします! お金をもらう為に書いている訳じゃないし、私の好きや感動に忠実に文章を書いていますが、やっぱりサポートしてもらえると嬉しいし、文章を書く励みになります。 もっと喜んで文章や歌にエネルギーを注いでいけますように。