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どうして股関節が痛んだの?

★なぜ不具合が起きたのか -1-

 ◎生まれつきの骨盤の形

(1)で記載した通り、中学生時代の転倒というのも痛みを重くしたひとつの要因があったかと思いますが、実は手術まで3人の整形外科医すべてから「生まれつきの骨盤の形が大腿骨頂を受け止める形として浅いつくりである」
と、指摘され、とても驚きました。母にも聞きましたが乳幼児健診で足の開き方などで不具合を指摘されたことはなかったそうです。

そしてわたし自身も、柔軟体操をすればしたでそれなりに効果のある動きができました。ただ不思議なことに「やわらかい動き」は得意でしたが「ぱりっとした動き」は苦手でした。

例えばヨガでいうと、「猫のポーズ」や「月のポーズ」のようなものは柔軟性と伸びやかさを生かしたものは得意ですが、「英雄のポーズ」のような力をこめて踏みしめるようなものは、なかなか形が決まらないことで苦労をしました。

動きにも「癖がある」と、よく指摘を受け、肩に力が入ったり、歩き方がぺたぺた足に見えるなど気を付けてもなかなか治らないものがありました。特に土踏まずがない偏平足は、どんな体操をしても治ることがありませんでした。

★なぜ不具合が起きたのか -2-

 ◎体重オーバー

◆気にしすぎ

子どもの頃どちらかというとヤセ型だったわたしですが、中学で初潮とともに、めきめき丸くなっていきました。しかし高校で自転車通学をしたこと、クラスの女子がみんな早弁して一緒に食べる人がいなかったので、だんだんお昼抜きになっていったことなどで、普通体型にはなりました。

普通ではだめな時代でした。痩せていることが美しいと。わたしは宮崎美子や榊原郁恵、柏原芳恵や河合奈保子でも良かったのに、演劇をやっていたせいもあり、時々「役のイメージに合わせるならあと5kg落とせ」と言われていました。今思うとセクハラですね。わたしは身長158cm、50kgと53kgの間、洋服はほぼ試着不要に9号ジャストだったのに、いつも体重を気にしていました。

今思うとバカみたい。

強いていうと骨格に華奢な感じがなくて、肩幅ガッチリ、二の腕マッチョ、肋骨は前後左右によく開き、骨盤も「安産型」だったので、実際ウエストが太くはなくてもTシャツなどを着ると腰から肩まで正方形っぽい。確実に似合わない服はありました。

若い頃のわたしは当時流行っていたブラウスにウエストをきゅっと絞ったスカート、大きめジャケットに細身ズボン、ビスチェにレースのジャケットを羽織ってロング花柄スカートなど、上か下、もしくはウエストいずれかは細い服を選んで、着痩せするラインを出していました。

ワンレンボディコンが流行ったこともあったけど、そのときは元々高級なものをセールで、しかも「死に筋(みんなが喜んで買う色柄ではない売れ残り)」で店の片隅で眠ってるようなもので自分に似合いそうなのを見つけて、個性を醸し出したり、個性派なおしゃれを楽しんでいました。

ところが25になって東京でのひとり暮らしから、北海道の実家に戻ったあたりから、突然めきめき太りだして、そこからは痩せて65kg、マックス80kgというゆらぎの中で生きることになります。

◆女性ホルモン?

元々生理周期も異常に短くて、早いと14日、普通で21日周期で、しかも出血が多く二日目~四日目をピークに十日くらい続いていたので、「生理じゃない日のほうが少ない月がある!」という具合。

中学生のときはじめてレバー状の物体を含む出血をしたとき、今のように検索すればほとんどの情報がわかるような時代ではなかったため、わたしの読んだ本はすべて「普通28日周期」「五日間か一週間でおわる。」程度の記載で、まるで自分が異常のように思い込んで悩み、婦人科にも怖くて行けなかった。

加えて27くらいから抑うつ症を発症し、副作用で母乳が出るほど女性ホルモンに影響が出る薬を3ヶ月ほど飲んでしまい、この時をきっかけにやせにくい身体になってしないました。

したがって何らかの女性ホルモン絡みの異常を内包していたと今は思います。もしもそういう悩みを抱えている方がいらしたら、問題は婦人科以外のところに来る場合もあるので、せめて生理不順や気分障害を克服する治療をすることをオススメしたいです。

またおつまみはたくさんは食べないにしても酒豪の部類で、うつ状態と言いながら一度外に出るとサービス精神を発揮して楽しく生きてもいたので、飲み会に行く機会は多かったです。

◆心身の健康

唯一救いだったのは、一応アマチュアながら劇団に所属して、かなり真面目にストレッチやバレエのバーレッスンのようなものを続けていたので、劇団をやめてフラメンコを習いに行った際も「あなたってメリハリがあってきれいに太ってるのね」と、変な関心のされ方をしていました。

35のとき、精神科の主治医に相談して内科を紹介してもらい、食事制限を見守ってもらい、理学療法士によるリハビリも受けて3ヶ月間入院して80kgの体重を56kgまで落としました。これをなんとか3年ほど維持している間に夫と結婚するのですが、この間に演劇の道を諦めたり、友人と決定的な喧嘩をしたり、信用した人に裏切られたり、約束を守れず裏切ってしまうことをしてしまったり。

ともかく病気が重くなって、めまいや常時続く微熱、吃音や手の震え、異常発汗などで社会生活がほぼ正常に送れなくなっていました。夫との暮らし自体は幸せに暮らしていたのですが、いわゆる自宅療養を続ける間に、ダンスなどを習いに行くこともしないでいたため、また80kgにリバウンドしていました。

今思うと、この時期が人生上最も勿体なかったです。

なぜわたしは買い物以外の外出ができなかったのでしょうか。東京在住の夫と結婚したことで北海道から脱出もできたし、それなのにわたしはいつも悲しかった。

夫にバラサイトしているような負い目から習い事に行きたいとも言えず、アルバイト情報誌を何冊見てもなかなか面接まですらこぎつけず。

ただ写真撮影と編集、スタイルシートを用いてのサイト構築を自己流で学び、このときの独学が健康を取り戻す後のアルバイトに直結して行きます。

とはいえこのときの失敗は座椅子を用いて座るパソコンラックを愛用していたこと。椅子にちゃんと座るより股関節や腰への負担が重かった。

動かない上に一日中あぐらをかいていたのですから、股関節周りの筋力はどんどん落ちていきました。

さて、そんなわたしもいよいよ自分のことだけにかまけて「悠々自適(というか引きこもり)」なんかしてられない、そういう時代がやってきます。

それが双胎妊娠でした。これまた骨盤に決定打のダメージを与えるのですが、ダラダラ長くなりましたので、一度、つづく。

写真はデジタル一眼レフを持ち始めたばかりのとき、小金井公園で撮影した秋の木の葉。いわゆる手ブレ作品ながら不安定な自分の心とリンクして、うまく「描けた」一枚として気に入っています。

自分の経験をもとに思いのまま書いていきたいと思います。 現在「人工股関節全置換手術を受けました」(無料)と 「ハーフムーン」(詩集・有料・全51編1000円)を書いています。リハビリ中につき体調がすぐれないときは無理しないでいこうと思います。