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「運命」ってなんだろう

日本語には「運命」という単語がある。
また、運命と似た言葉として「さだめ」がある。

運命は変えられるかもしれないが、さだめはひょっとして変えられないものなのかもしれない。

英語でもfateやdestinyという単語が存在する。
また、Faizanによるポエムの一つに"Hope and Destiny"というものがある。

僕はこの詩についてトリニティーという学校で3ヶ月ほど考えたことがある。
その学校では、オーストラリアの大学に進学するためにファウンデーションコースという、所謂日本の大学の教養過程を勉強していた。

"Hope and Destiny"を読んで僕が一番強く感じたのが以下のようなことである。(課題として書いたエッセイを訳して簡略化している)
「未来に起こることは人類なんかは予想つかない。人々が持つ希望、一個人の運命なんて事前に知ることなんてできない。人は身を波に、すなわち外部の力に任せるしかない」

一見自分でも何を言っているのか分からないが、要は”ある程度”人生にはさだめというレールが敷かれているのかもしれないということだ。

だがあくまでもこれはたった一つの詩から感じ取れたことである。
半分真逆かもしれないが、全てがさだめとして決まっているわけではないし、何でもかんでも上手くいかないことを簡単に諦めてしまうべきではない、と僕は信じている。

運命としてやってきたものを受け取るか、それとも受け取らないのかがものすごく重要な転換点であり、その判断はさだめと言う予め決まっていたものではきっとなく、運命といういくつもある選択肢の一つを選び抜いたものだと思う。

もともと僕は祖父の影響で将来は医師になると決めていた。
いや、気付いた頃にはもう自分には浪人してでも医師になる選択肢しか考えられないようになっていた。

中学までは成績もそんなに悪いこともなかったし、努力し続ければ医師になれると思っていた。だから三重のそこそこの学校を目指した。

それがカタストロフィの始まりだった。
小四から中三までは筑波に住んでいたので、三重県の高校がどんな感じかもよく分かっていなかったから、医学部の進学実績がある高校っていう理由で安直に四日市高校を受けてしまった。私立に行くなどの選択肢もあっただろうが、同時にたくさんの選択肢の道に進み経験を積むことは(今の世界では)絶対に不可能だからそれが間違いであったかどうかなんて誰も分からない。だけど、それがベストで無かったことは確かである。
常に出される大量の課題もこなすことができず、テストも理系科目は再試常連。
それでも、医師になるためには理系に進まなくてはならないので、僕は理系を専攻する運命を受け取った。この決断は間違いではなかったと思う。
しかし、物理を専攻するという運命を受け取ったことは大いに間違いだった気がする。
基本レベルの問題もろくに点数が取れないままセンター本番直前。英語以外の全ての科目は大ピンチ。このままでは到底1浪では済まないだろうことが自分でも分かっていた。
受験前最後に残された長期休暇はさらに追い込んで勉強するつもりが、序盤の方で早くも手がつかなくなっていってしまった。

息抜きにネットサーフィンしていたときにふと思いついた検索キーワードがあった。

「大学 留学」

調べてみると、一応得意な方ではあった英語で試験を受ければ、あとは高校の成績を提出するだけで入学できるかもしれないという情報がたくさん出てきた。

10年以上前の昔に2年ほどだけ住んでいたイギリスに行きたいと思ったが、ちょうどBREXITが進んでいる時期であり、ヨーロッパの治安悪化について連日報道されていたことも重なり、他の国の選択肢を探すことも検討した。

この時点で既に医学部に行くという選択肢は自分の中から消えていた。

西ヨーロッパの国は結構色々行ったことがあったので、せっかくなら行ったことのない場所で勉強したいと思い始めていた。
普通ならアメリカに行くと言い出すかもしれないが、それは僕の運命の選択肢の中には一欠片もなかった。

「そうだ!オーストラリアはどうだろう」とふと思った。
南半球には一度も行ったことがなかった。

自分の大好きな絶景写真が撮れるかもしれない。
日本との時差もほとんどない。
学費もアメリカやイギリスに比べて安めである。
好きなイギリスの名残がある。
オーストラリアの英語もいいかも。

こんなに良い場所はないと思うようになった。せっかく外国に行くなら今まで考えられなかったレベルの学校を目指してみようと思った。そしてもう医者には固執せず、別の専攻を探してみることにした。

僕の第二の選択肢、それが環境系を学ぶことだった。
そこからは早かった。さだめ以上の強い力に引っ張られたのかもしれない。

エージェントを探してみると、オーストラリアの大学進学をサポートしてくれそうなところがたくさんあった。
その中から僕はオーストラリア留学センターを選んだ(PRでもなんでもない)。一刻も早く自分はオーストラリアに行けるかどうかを確かめたかったから、年末休みに入っているにも関わらずたくさんのメールを送ってしまった。
そして、年始にいきなり親を連れて学校に相談しに行き(今考えるとかなり申し訳ないことをした)、最終的には海外大を目指すことになった。

IELTSという壁もあったけど、一ヶ月ちょっと対策して受けたら、僕が今通っているメルボルン大学を目指すことができるトリニティーの入学基準を満たすことができた。
「メルボルン大学で環境系のことを学びたい」という決定があと少し遅かったら、入学は半年遅れてしまっていただろうから、運命をうまく受け取れたと言えるのかも知れない。
これは後から気づいたことだが、オーストラリアの周りの日本人は皆、高校初期から海外大進学を視野に入れていたみたいだから、突貫工事的に決めたことが順調に進んでいったことは自分にとってラッキーだった。

メルボルンへ行く準備をする数ヶ月なんて一瞬だった。

初めて見るメルボルンの景色。
僕が内心で想像していた風景とは全く別のものであった。
「オーストラリアにこんなに美しい都会があるのか」と。(おっと失礼)

トリニティーに入学した後も想像の100倍(もっとかも)大変だったし、課題も信じられないペースでこなさなくてはならなかった。けど、高校の時に感じた息苦しさは存在せず、質問しても先生たちはひたすら丁寧に付き合って教えてくれた。一緒に勉強する仲間にも恵まれていた。

卒業する頃には、この海外大で学ぶという運命を受け取っていなかったらきっと無理であろうたくさんのことを学び、習得することもできた。
苦手だった化学も数学もレベルが違うといえども一年を通して100点満点中97点を取ることができた。自分でも信じられないくらいの出来だった。

2020年の5月にファウンデーションを終え、ようやく目標としていたメルボルン大学に入学することができたのだが、結局今もなお収束することを知らないコロナにより、僕のオンライン授業は継続されることとなった。

大学はトリニティーより大変ではないだろうと思っていたが、その予想は綺麗に裏切られた。化学の先生がいつも"unilife will be much harder than now"的なことをよく言っていたのだが、それは本当だったのだと痛感した。

それでも最初のセメスターは無事乗り切ることができた。
生物やエンジニアのテストは終わった直後は本当にヤバいと思ったけど、単位を落とさずになんとかクリアすることができた。 
けど、もうエンジニア系は止めておくことにした。だって物理ばっかりなんだもん(笑)。もう物理は、受け取ってはいけない、もっと言うと触れてはいけない運命であることがよく分かった。
なので、これからは潔く、最初から考えていた環境系、もっと細かく言うと気候変動を専攻していこうと思う。

僕は今、オーストラリアから日本に一時帰国している。
去年の12月に約1年半ぶりに日本に戻ってきたのだ、しかも片道切符で。
もちろん大学を辞めたとかそんな理由ではない。
国境が開いていないからすぐにはオーストラリアに帰れる見込みがなかったからだ。
だから本当に今回、この夏休み期間に帰るかどうか悩んだ。下手したら留学を決断するよりもよっぽど決めるのが大変だったような気がする。

向こうにいたら、今頃少しは対面のクラスを受けることができていたかもしれない。
けど、そんなことはもう気にしない。だってこのコロナ禍でもかなり充実した日本生活を楽しむことができたから。
向こうの、不安定で不自由な暮らしをあと三ヶ月続けていたらヤバかった可能性すらある。だからこんな時期ではあるけど、一旦帰って来れて本当によかった。

来月でオンライン授業歴一年。
これは自分のさだめにはきっと無かったことだと思う。

来年には戻れたら良いな。
そして、トリニティーのみんなにもまた会いたい。突然残りの1/4の期間がオンライン授業となり、そのまま再開が叶うこともなく卒業となってしまったから。
大学のみんなにも一度会ってみたい。

3月1日から二回目の大学でのセメスターが始まる。
よし頑張るぞ!

普段はブログの方で、
・英語の勉強法
・オーストラリア生活
・一時帰国のこと
・撮った写真たち
等、いろいろなことを書いていますので、良かったら覗いていってみてください。

https://kazuki-ratti.com

それでは!


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