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薄暗い部屋のなかでコンピュータに問いかける

最近「アパートメント」というウェブマガジンを見つけた。きっかけはTwitterでフォローしているトナカイさん(@tonakai)の文章がそのウェブマガジンに投稿されているからだった。様々な人が思いを交互に紡いでいく、その時期によって、本物のアパートのように人が入れ替わる。長期滞在者もいれば、短い期間で去って行く人もいる。流動的だが、ずっとそこに構えていてくれる感覚がウェブマガジンの中では希有であるような気がして、これから度々訪れたいと思っている。


最近読書をする時間がぐっと減った。

いや、目下傾倒中の森博嗣作品はずっと読んでいるのだが、エッセイのような人の営みをダイレクトに感じられるような本は最近とんと読まなくなった。実は大学生になるまでエッセイというジャンルのものに苦手意識を持っていて全く読んでこなかったので、そのときに戻ったと言われればそうなのだが、明らかにエッセイを知らなかった頃とは状況が変わっているような気がしている。

というのも、ウェブ上にエッセイのような要素を持ち合わせた文章、媒体があふれているからである。もともとエッセイを読むのは、自分以外の人間の感性や感情、考えを学ぶためだ。それがウェブで達せられてしまっている。このnoteもその最たるものだし、ここ数ヶ月よく閲覧しているShe istellingsoarなども非常に多様な人々の生き様や思考を発信している。毎日、毎日、それらを眺めていると、あまりにもいろいろな人が描かれすぎていて、私はどうすればいいのかと途方に暮れてしまうほどだ。

頭が固いというか、発想が柔軟でない私は、今頑張っていろいろな考えを学ぼうとしている最中である。凝り固まらないように、偏らないように、どんなものでも受け入れられるように。以前、およそ3年に渡る定期研修を受け持ってくれていた人事の方に(私のこれまでの研修中の姿をみて)「AIが少しずつ学習をして、成長していくようだね」と言われたことがある。その時はピンとこなかったけれど、今はなんとなくそうかもなと思えている(それがいいことか悪いことかはわからない)。

見ることができる事例が増えた。事例を集めて、集めて、自身の価値観をアップデートしていく。最適解なんてきっと無いから、ずっと更新していくしかないのだと思う。

でも、それが、生きていく上で良いことなのかどうか、いまいちよくわからない。

今、自分のなかの”正しい”がわからなくて道に迷っている。

私は私の人生を穏やかに心地よく生きたいだけなのに。

軸の形成は、なんと難しいものなのか。

私は人生を”意味あるもの”にしたいと願い過ぎているだけなのだろうか。


この逡巡する思考のなんと人間的なことか。

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minimum

長野生まれ、岐阜育ち。つくば、愛知を経て東京在住の26歳。音楽、読書、旅行が好き。 文章に関する仕事をしたいと画策中。 連絡先:i.miho143@gmail.com アイコンはカーリィさん@kaarii7678

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