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記憶をなくしながら生きること。映画「万歳!ここは愛の道」に寄せて

嫌な記憶をすべて忘れてやり直したい。誰であれ、生きていれば、そんなことを思うことは少なくない。事実、忘却機能は人間の防衛本能でもある。辛い体験や、ショックな出来事などを、そのままの強度でずっと受け止め続けられる人はいない。いたとしたら、きっと生きていくことは……。映画「万歳!ここは愛の道」は、監督の⽯井達也(現・達上空也)が、2年分の記憶を失ってしまった彼女との関係を撮り続けた、嘘のような本当の、本当のような嘘の話だ。「私は、生きていくために記憶を消したんだろう」と彼女は語る。どこまで酷い体験をしたのか、詳細は描かれてはいない。その原因は、彼氏である達上の裏切りにあることを除いては。

土曜日の日本橋。東京のど真ん中。本来であればたくさんの人で賑わっているはずだが、緊急事態宣言下、まるで別の都市に来たかのような錯覚をおぼえる。試写会を終えて、東京駅まで歩く道すがら、こんな映画あったよな?と考え事をする。「エターナル・サンシャイン」。スマホで調べると、もう17年近くも前の映画だった。うん、僕はやっぱり忘れている。2月にしては暖かな春っぽい風が吹いて、何か懐かしさでいっぱいになった。でも、その正体が何なのか、僕には思い出すことは難しかった。

映画を見ている間ずっと、良い意味で「ありきたりなラブストーリー」だと感じていた。ありきたり、とは映画にとって褒め言葉になるのだろうか。もちろん、このフィクションかノンフィションかわからない手法についての賛否や考察もあるだろう。でもそれはあまり自分には関係がなかった。生々しく、グロテスクで、そしてどこか愛おしく感じる二人の姿。とても汚く、愚かで、不格好。ここに映し出されていたのは、いつかの僕の醜い姿であるし、未来のあなたの泣き顔かもしれない。だからこそ、上映後に監督は「普遍的」という言葉を使ったのではないか。「普遍的」な愛の姿。

東京駅から中央線快速に乗り、見慣れたはずの景色を眺めていた。テレワークのおかげで会社に行くこともほとんどなくなり、見慣れたはずの景色は記憶にあるそれとは違っていた。街が生き物の集合体であるなら、そこに生きる人間が変われば街もまた変わる。いつしか、窓に映る自分を眺めているのか、景色を眺めているのかわからなくなり、最寄駅へ着いた。バラバラと降りる人に紛れて階段を下り、人は一生にどれだけのことを忘れてしまうのかを考えていた。そして、今の記憶ははたして本当にあったことなのだろうか、と。嘘か本当かわからない曖昧な記憶がたくさんある。それが生きていくことなのだとしたら、こんな風につぶやいてみたい。

万歳!ここが僕の生きる道




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