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対談11 星加良司さんに聞く、就学支援のすすめ

「みんなで就学活動」は、支援の必要なお子さんが小学校に就学する時にご家族が遭遇する困難や悩みを知るとともに、自分たちにとってより良い選択を描きながら就学できるようにするための“こうしよう”術を、みんなで対話し、つくりあげていくプロジェクトです。
ここでは高橋真さんが各分野の専門家を訪ねて聞いた、多様な視点と具体的なアドバイスをご紹介していきます。

第11回目にご登場いただくのは、「障害学」を専門とする東京大学准教授の星加良司さんです。教育現場における障害の社会モデルや合理的配慮について教えていただきました。

星加良司(ほしか・りょうじ)
東京大学大学院教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センター・教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(社会学)。東京大学先端科学技術研究センター特任助教等を経て、現職。主な研究テーマは、ディスアビリティの社会理論、合理的配慮、多様性理解教育等。国・自治体の障害施策関連の委員を多数務めるほか、インクルーシブな社会につながる知の普及のための各種活動を行っている。



多様性の時代に考える、前時代のシステム

高橋 真(たかはし・ちか。以下、高橋さん) 今回は教育制度についておうかがいできればと思っております。障害学の専門である星加先生には特に、今の障害の有無で分離される教育制度が始まった理由や、先生が考える教育のかたちについてなどお聞かせいただけますか。

星加さん 現在の日本の学校教育の制度は、明治時代に基本的な形が確立したものです。急速に近代国家を作ることが求められた時代であり、当時の社会構造の中では、標準的な規格に合った「同質的な人たち」が社会を動かすことが効率的だと考えられていました。同質的ではない、言い換えれば「多様な人たち」の存在は分けて考える方が効果的だと考えられていたんです。

これは日本に限らず、先進国とされる国々が近代的な国づくりを進めるための基本的な発想だったわけですが、日本の教育システムは今もまだこの時の価値観が続いています。

しかし時代は多様性が重要視されるようになりました。特にこの20〜30年の世界的な潮流として、いろんな人がお互いの違いを活かしあいながら新しい価値を創造することで社会が発展する、という発想の転換も進んでいます。とはいえ日本の現実の制度を変えることは容易ではなく、学校教育の変化はなかなか追いついているとは言いにくいですね。

社会モデルを叶えるコンセプトとは

高橋さん 教育でもビジネスでも、多様性や違いを活かすことはもはや社会全体の流れになっています。ダイバーシティ、インクルージョン、最近ではさらに、エクイティ(Equity:公平性)の概念も加えて語られることが増えましたよね。

星加さん 最初は多様性を意味するダイバーシティ、そこに包摂性を示すインクルージョン、そして、近年になって公平性という意味でエクイティ。この三つの言葉が順番に入ってきたことにも意味があると思います。

最初にダイバーシティの概念が取り入れられた時は、企業も社会も、いまひとつポテンシャルが発揮しきれない原因のひとつが、「多様な人たち」、中でもマイノリティの人たちの能力が十分に発揮されていないことにあると気づいたことでした。それならば多様な人たちがもっと社会参画を進めやすくしようと動きだしたのが、ダイバーシティでしたね。

しかし、ただ彼らを仲間に迎えただけではうまくいかないことが出てきた。その理由は、従来の社会が「多様な人たち」のことを考えて作られていなかったためです。従来のシステムのままで、そこに「多様な人たち」を当てはめようとしても、結局その人たちにとって居場所があり、認められている感覚をもてる状況にはならないし、ダイバーシティは活かされない。そのことに気づいて、「多様な人たち」を包摂できるシステムに変えていくことが課題として認識されることで「インクルージョン」の理念が重視されるようになったんですね。その頃からD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)と表現されるようになり、今では定着したとも言えます。

さらに、D&Iが推進されてくる中で、それまでの社会環境で居心地が良かった人たちの中には、抵抗を覚える人たちも出てきます。それは、従来のシステムが特定の人たちに有利に働くようなものだったために、そこで恩恵を受けていた人にとっては、「多様な人たち」を包摂するシステムへの変更が自らの特権を脅かすものと感じられたためです。こうした抵抗感を乗り越えて、誰もが平等で公正なスタートラインをつくる価値観、それがエクイティ(公平性)です

今はD&Iから、DE&I(ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン) の時代になってきたと思います。

高橋さん エクイティ(公平性)の概念が語られるようになったことで、「社会モデル」の考え方も伝わりやすくなっていくのでしょうか。

星加さん そうですね。むしろ、DE&Iを下支えする考え方が障害の社会モデル、といえるでしょう。

これまでは学校や社会の中で障害者が困ったときも、その理由はその人に「心身の機能の不具合があるからだ」と考えられていましたが、社会モデルの考え方だと、障害をもった人などいろんな人がいることを考慮していない社会の仕組みの方が歪んでいる、と捉えるからです。

社会モデルは、「多様な人たち」の存在を大きく展開させるものです。インクルーシブ教育の中でも重要なキーワードですし、DE&Iの時代に求められる価値観と非常にマッチしていると思います。

柔軟な視点と「工夫」が織りなすインクルーシブ

高橋さん エクイティ(公平性の概念を必要とするのは、社会も学校も同じということですよね。しかし今の学校現場では、先生たちの過度な負担が現実的な問題でもあります。せっかく社会モデルの概念を理解しても、「大変そうな先生たちに言いにくい」という保護者の声も少なくありません。

星加さん 実際問題、先生たちは大変ですよね。かつてのように「同質的な人たち」を集めて効率的に教育しようというシステムのままなので、先生1名に対する児童・生徒数が相当多い。これはまず変える必要があることだと思います。

さらに先生たちの多くは今も、障害を個人的な問題として捉えています。それは、日本の大学における教員養成の問題でもあるんです。うちの大学では社会モデルのコンセプトを修得するための授業を教職課程に組み込んでいますが、実はまだ多くの大学の教職カリキュラムにおいて、社会モデルの発想は含まれていません。そのため先生になることを目指して学ぶ過程において、障害特性のある児童には専門的な対応が必要だ、という考えが根付いてしまうんです。

高橋さん なるほど。ではすでに今、学校で教えている先生たちだけではなく、教職課程における社会モデルの取り入れという課題もあるのですね。

星加さん そうですね。ただ今の学校現場においても、ちょっとした工夫などで解決できることはたくさんあると思います。保護者の方から、お子さんのやりやすい方法とか過ごしやすい環境とか、解決のための具体的な工夫や視点を先生たちに伝えていただくことかなと思います。

というのも、障害の無い子どもたちを前提にした教授法だけを学んできた先生にとって、障害がある子に対して「工夫すれば解決できる」という意識を持ちづらいことも多いんです。児童によって取り組みやすい方法があることや、柔軟な思考さえ持てれば一緒に学べる方法がある、という合理的配慮の基本的な視点を伝えることが最初の一歩だと思います。

それともう一つ。ダイバーシティが注目された基本に立ち返り、「多様な人たち」が同じ場にいること自体に意味があるのだ、と話し合えたらいいと思います。

学校現場では今も、障害をもったお子さんの教育が「特別支援教育」という特別な枠組みで対応すべきこと、つまりは、他の子どもたちとは区別して対応の仕方を学ばなければならないほど大変で負担のかかるものだ、という認識が強いと思うんですね。
しかしDE&Iの視点で見てみると、その認識は変わるでしょう。個々人それぞれの、さまざまな特性が混じり合うことで、新しい価値に気づく人がでてくるからです。それを理解できると、「多様な人たち」を見る視点は変わるはずなんです。

とりわけ、これからの子どもたちが出ていく社会は今よりももっと多様性が重視される世界です。今のうちに学級内にも多様性が存在することで、それぞれに中に育まれる経験や考え方は必ずあるでしょう。そうした価値観を理解することで、先生たちのモチベーションになるようにアプローチできたら良いですね。

合理的配慮、それは柔軟な変容のかたち

高橋さん インクルーシブな教育現場で子どもたちが育つことに価値がある、ということですね。「合理的配慮」についても先生の考えを教えていただけますか。

星加さん 合理的配慮とは、「多様な人たち」の存在を前提としたときに、それまでのやり方をそのまま踏襲してもうまくいかないので、新しい工夫をしたり、一緒に修正を考えたり、その人の必要に応じた特例扱いを認めたりと、柔軟に取り組むことを意味しています。

他のみんなと違う対応をすることは特別待遇で不公平なのでは?という声が聞こえてきそうですが、それこそまさに「同質な人たち」が前提になった考え方であり、それを転換していかなければいけないというのがポイントです。

「多様な人たち」をデフォルト(標準設定)にすれば、いろんな人がいるんだから、個別に合わせることが公平である、という発想ができるはずなんです。まずは、個別扱いをすることや、他の人と違うやり方を許容すること自体のハードルを下げていくことが必要でしょう。

高橋さん 実際、社会に出たら多様な人たちが存在しているので、そうした合理的配慮を学ぶ重要性もわかってもらえると思うのですが、学校の現場において、特に教科学習における合理的配慮についてはどう考えるのがいいでしょうか?

星加さん 教科学習もまた、同質な子どもたちだけを集めた方が効率的に勉強できる、という考え方が強くあるでしょうね。ただ一方では、どんなに勉強のできる子だって、学習上のつまづきや、勉強そのものがしんどくなる時はあるということです。程度の差はあっても、学校の勉強において、悩みや壁に何もぶつからずに進むことはないでしょうし、成績がいい子だってある程度の得意不得意がありますよね。

だからこそ学校が多様な環境であれば、自分のつまづきや引っかかりはたくさんある事例のひとつに過ぎない、ということを子ども自身が認識できるんです。学校側も、さまざまな事例に対応していくことでより丁寧に、誰も取りこぼしのない学習プロセスを考えてつくることができるでしょう。

子ども同士の間も、理解が深く、そして広くなっていきます。自分と友達の得意不得意が違うと認識することで、お互いの苦手を埋めながら学びあったり、友達に教えてあげようとすることで、自分自身の理解がさらに深まるという学習経験も増えていくはずです。

高橋さん 合理的配慮がある上で学ぶことは、障害のある子たちに限らず、みんなのために大事なことなんですね。

星加さん 大人ができることは、いろんな子どもたちが学びやすく、力を発揮しやすいように、あるいは、その場にいやすいような環境を適切に作ることです。うまく工夫してそうした環境を作れたら、十分に効果があると思います。
高橋さんDE&Iの時代、学校教育がインクルーシブであることは、生きるために欠かせないことになるかもしれませんね。今日は分かりやすく説明してくださり、ありがとうございました。


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