水槽

雨とひかり、小指のこと

とぎれ、とぎれの、記憶を思い出したいのに、秋のはじまりの風がひとつ、吹くたびにわすれていってしまうよな、そんな不安にかられる。

朝も、夕も、季節も関係なくすすむ時間の中で、覚えている記憶の断片だけをなぞりながら夜を過ごす。指を一つひとつ折りながら、あれはいつかのひ、これはあのひ、と闇の中に甘やかなひかりを灯すように浮かべていく。

べつに、わたしは、なににもなりたくなかった。何かになりたい記憶なんてなかった。一度だけあったけれど、その一度しかなかった。強く何かになりたいと願ったのは小学3年生の頃で、先生を救いたかった。通信簿と一緒に手作りの焼き菓子を渡してくれるその先生がすきだった。彼女は、小指がなかった。小指のない手で、お菓子をつくっていた。小指のない手で、一人ひとりに短い手紙を書いていた。

一番最初にない小指を見たとき(ないものを見るという感覚は不思議だった)に、少し怖かったことを覚えている。小指のない手を私は初めて間近で見たし、それはどうしても不自然なものだった。どうしてそのようになっているかわからなかったから怖かった。

でもずっと見ているうちに、先生といるうちに怖くはなくなった。そのことは先生自身のあり方とは関係がないということを自然とわかったから。もちろん今ここで書いているような言葉のままの理解ではないけれど、確かにそういうことだったと思う。

その先生は、病気も患っていて、私はそれを助けたかった。
けれでも助けることはできなかった。彼女にとって、よい児童であることが精一杯だった。

いろいろあってそれから先は、善く生きたいとおもった。善く生きるとはどういうことなのかよくわからなかった。善く生きることがよくわからなかったからたくさん本を読んだ、できるだけたくさんの人と話そうとした、できるだけたくさん失敗した。そうして次第に、何にもなる必要はないことを知った。

なってもいい、ならなくてもいい、結局は意思の問題だけだった。

ポケットには片道切符がいつでも入っている。これを使えばたぶん、海の見える街までいける。時間にして16時間後くらいに。遠い海岸を眺めながら、観覧車から見下ろした風景のことを思う。観覧車のいちばん高いところから飛び降りたら、深く海に潜れるのだろうか。テールランプが線を引きながら車が次々と海へと向かう、波になる。

今日も生きています。誰の許しを得るでもなく、そのままであるように。だからできるだけ居心地のいい世界の手助けができればいい。
わたしがたまたま生まれてしまった世界に対してできること。できるだけ親切に優しく世界を解釈して、伝えることしかできそうにないと思っています。明日には変わるかもしれません。変わっていればいいと思います。変わっていなくてもいいと思っています。

雨が降ってきました、ならべたひかりは消えません。そのかわり影が、ちろちろと揺れます。

おやすみなさい、これを読んでくれたあなたが、どうか優しい夢をみられますように。

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