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【民話ブログの民話】 スナック純ちゃんと正夫さん

 旧国鉄I駅のすぐ近くに、古い店舗のスナックや飲み屋などがゴチャゴチャと軒を連ねる、ちょっと独特な雰囲気の通りがある。その一角の小さな居酒屋に、ここ数年の自分は通っていた。
 これは前回と同じように、その店の女将・M子さん(64)から聞いた話である。



「いまはラーメン屋さんとかも出来て、若い人よく歩いてたりするけどね、ちょっと前まで雰囲気違ったんよ」 
 M子さんの営む居酒屋は、開店してから大体二十年くらい。全体的に古びて煤けて見える界隈だが、意外と店や人の入れ替わりが激しく、かなりの古株になる。
「すぐ隣の店もな、前の前は……あら、前の前の前やったっけ……とにかく、そのときは「純ちゃん」て名前のスナックでね。そこのママさんが純ちゃん、あと髭のマスターがおって、その二人だけで回しとってね」
 梅雨時の蒸されるような曇り日の夕方。不意に女将が語り出したその話に、つい自分は引き込まれてしまった。

「うちと同じ、狭い店よ。カウンターに二人か三人座れて、あと奥に小さいテーブル席も一応あってね」
 現在の店舗からも、たしかに狭いスナックだった事は分かる。この通りにあるのは、基本的にそのくらいの規模の店ばかりなのだ。
「純ちゃんママは五十代の後半くらいやったかな。まあ、オバさんはオバさんなんやけど、ほら、やっぱり水商売ぽい、ちょっと色気あるような……」

 M子さんの説明で、何となくイメージも浮かんでくる。いかにもな場末感が漂う、典型的にぼったくり臭い雰囲気。それから化粧が濃く若作りのママ、多少いかがわしい雰囲気もあるダンディな髭のマスター、そんなスナック「純ちゃん」の光景——。

「そこにね、正夫さんて人が、もう大分年取って、おじいさんやったけどね、とにかく毎日通ってきて」

 正夫さんは近所のアパートに一人で暮らしている老人で、どうもそれなりに貯金などもあったらしい。だから毎晩のように通ってくる正夫さんを、純ちゃんと髭のマスターは大いに歓待した。つまり盛んに金を使わせたという事だ。

「正夫、わたし大間のマグロ食べたーい。正夫も食べるよね?」なんて、わざとらしく黄色い声で純ちゃんは正夫さんにおねだりする。カウンターの上には寿司屋のネタケースみたいなものが載っていて、その中に「今日のお薦め」的な食材が並んでいたらしい。

「おじいさんやし、そんなん頼んでも正夫さん、ほとんど食べられへんよ。純ちゃんとマスターが自分たちで食べるだけ」
 しかし正夫さんは明らかに純ちゃんママに惚れている、あるいは年甲斐もなく助平心を抱いているので、そういったおねだりを断る事はなかった。
「まあね、元々そういうスナックで、そんなもんと言えばそうなんやけど。でも、あれはちょっと悪どいわーって、うちのお父さんもよう言ってたわ」
 すぐ隣で商売している義理もあって、自分たちの店が休みの日には「純ちゃん」に顔を出したりしていた。「でも絶対、大間のマグロちゃうけどね。そこらのスーパーのやつよ。値段高くしてるだけよ。わたしそれ知ってんねん」当時を思い出しながら、M子さんはそう付け加えた。

 この通りは以前「ぼったくりストリート」なんて呼ばれていた。なるほど、それらしいエピソードだなと感心する。


スナック愛人


「正夫、まだ飲むでしょ? わたしも飲むね!」
「自分も一杯いただいてもいいですか」
「いいよいいよ、マスターも飲んでよ。みんなで楽しくやろう」

 そうやって純ちゃんママと髭のマスターの二人して調子よく正夫さんに飲ませるのだが、他に客が来て店が狭くなれば「悪いけど、一旦ちょっと帰ってくれる?」なんて追い出してしまう。それで正夫さんは大人しく自分のアパートに引き上げていく。

「……ああ、正夫? もうお客帰ったし、大丈夫だよ。すぐ来れんでしょ?」
 他の客がはけて席が空いて暇になれば、そんな電話一本で正夫さんは呼び戻される。正夫さんは杖をつき、ややおぼつかない足取りで再び「純ちゃん」にやって来る。

「そんなふうに最低でも一日二回、多いときは三回とか、いちいち往復してたんちゃうかな」
 実際にどういう料金体制で、どのくらいの会計を正夫さんにつけていたのかは分からないが「わたしら義理で少し飲むだけやけど、それでも結構高かった」とM子さんも言う事だし、毎回それなりの額だったのだろう。

「そういえばあの二人、正夫さんの銀行のカード預かって、暗証番号も知ってるんよ。だから自分たちのタクシー代なんかも勝手に引き出してたみたいやで。もうやりたい放題」
 何とも恐ろしいスナックだ。どうしてそんな所に通っていたのだろう。もっと他にマシな店もありそうなものだが。

他に行く場所、なかったと思うわ。正夫さんも酔っ払うと色々だらしなくて、あちこちで嫌われてたみたいやったし。あとやっぱり、純ちゃんの事が好きやったんかなあ……」


スナック夜霧


 それでいつしか貯金も乏しくなっていたのだろう。正夫さんの「純ちゃん」での扱いは、目に見えてぞんざいになった。元々の持病もあったようで次第に健康状態が悪くなり、身なりも何だか小汚くなっていった。それでも毎日のように通ってくるのだが、店の中で失禁などしてしまう事もあったらしい。正夫さんは、いよいよ邪険にされた。

「おーい、おれだよー。正夫だよー?」
 ある冬の寒い日、正夫さんがいつものように店にやってきた。しかし純ちゃんとマスターの二人は、決して店の扉を開けない。あからさまな居留守だった。
「おーい、開けてくれー。おーい……」
 そうやってしばらく粘っていたが、やがて諦めて帰ろうとした所で、どうやら足をすべらせたらしい。「うわあ」と声を上げ、正夫さんは店の前で派手に転んでしまった。

 それでも純ちゃんとマスターは出てこなかった。

 足腰が弱く上手く起き上がれない正夫さんに駆け寄って助け起こしたのは、自分の店から様子を見ていたM子さんだった。
「ありがとうね……」
 M子さんに一言礼を述べ、それきり何も言わず、正夫さんは帰っていったそうだ。

「それから正夫さん、家にずっと一人でおって、しばらくして救急車で運ばれたとか、そんな話も聞いたけど」実際の消息は定かではない。とにかく「正夫さん見たのは、あのときが最後」なのだとM子さんは続けた。


闇ぽい椅子


 正夫さんが姿を見せなくなってあまり経たないうちに、スナック「純ちゃん」は閉店した。

 ママの純ちゃんは郷里の青森に帰っていった。「親類がやっている飲み屋を手伝う」と言っていたそうだ。残された髭のマスターは雇われで、別居中の妻子がいたのだが、どうもやっぱりママの純ちゃんとデキていた。しかし結局は捨てられたようで、青森には一緒に行かなかったらしい。

 そうやって「純ちゃん」が閉まってから数年後、髭のマスターがM子さんの店にふらりと現れた。最初からひどく酔っている様子で一人騒いでクダをまき、いかにもやさぐれて見えたそうだ。

「ほら、だから正夫! あの正夫先輩も、よく歌ってたろ? ……そうなんだよなあ、泣いたってよお、ホント何も出ねえからなあ」

 酔っ払いに甘いこの店にしてはめずらしい事だが「飲み過ぎはアカンで」と店主のおじさんが諌める程だったという。そして帰り際に「持ち合わせが無いからツケにしておいて」と言って、それきり。「身を持ち崩すって、こういう事なんやなって」ちょっと分かりやす過ぎるくらいだったとM子さんは言う。

 あの頃はダンディに整えられていた元マスターの口元や顎の髭も、単に伸びっぱなしの無精髭になっていたそうだ。


「そうそう、カラオケで正夫さんがいつも歌ってたの、これやね。『泣いてたまるか』知ってる? 渥美清の曲なんやけど、なんか悲しいやろ?」
 そうやってM子さんが訊いてくる。その場で検索してYouTubeで流してみたのだが、聞いているうちに確かに悲しくなった。

天(そら)が泣いたら 雨になる
山が泣くときゃ 水が出る
俺が泣いても なんにも出ない
意地が涙を……
泣いて 泣いてたまるかヨ
通せんぼ

 これを歌っていた正夫さんや「純ちゃん」について、つい色々と考えてしまう。あまり考えたくもないのだが、やっぱり考えてしまう。すごく悲しくなった。逆に思わず泣きたいような気もしてくる。

海は涙の 貯金箱
川は涙の 通り道
栓をしたとて 誰かがこぼす
ぐちとため息……
泣いて 泣いてたまるかヨ
骨にしむ



「これ、また持って帰って食べてね」
「や、ありがとうございます」
「いつも余り物ばっかで悪いんやけど……」
「いやいや、すごく助かります」
 手作りの漬物や煮物などを大量にタッパーに詰めて、M子さんが自分に手渡してくる。お礼をいって、それを受けとる。

 かつて界隈に存在したスナック「純ちゃん」を巡る物語、それによる呪いのような悲しみをM子さんの手料理と一緒にテイクアウトして、自分の家に帰った。

「いつも、こんなおばさんの話聞いてくれてありがとうね。でも、たまに面白い話もあるやろ?」 
 M子さんは最後にそう言った。

 たしかに面白かった。しかし同時に悲しい気分にもなり、何だか一つの呪いを抱え込んでしまったような、そんな気もしていた。その日は何だか胸がつかえたように寝付けなかった。

 普通に食って寝て働いて生活をして、しかしその他に「自分の居場所」だと自分で思えるような場が欲しい。そういう場所はもちろん人によって違って、それが場末のスナックであったり、あるいはアマチュア劇団や怪しげなNPO団体、オンラインサロンだったりもするだろう。各自それぞれ持ち寄った幻想が共同で作用して、その場が生成されている。ときにはそこで誰かにもたれ掛かりたくもなり、もたれ掛かられたりもする。それを優しさや人情なんて呼びもすれば、他人同士が互いに利用し合ったり搾取しているのだとも言える。

 そんなような事を考えていたら、なかなか眠れない。それで何となく『泣いてたまるか』をまた聴いてみた。

上を向いたら キリがない
下を向いたら アトがない
さじをなげるは まだまだ早い
五分の魂……
泣いて 泣いてたまるかヨ
夢がある

『泣いてたまるか』
作詞:良池まもる
作曲:木下忠司
唄:渥美清、正夫さん、元髭のマスター、民話ブログ

 三番のフレーズは自分でも口ずさんでみたが、やっぱり悲しい気分になった。案の定だ。しかし同時に腹も減り、M子さんから貰ったカレーをレンジで温めて食べた。うまかった。M子さんは最近、夜に一人で家にいると漠然とした不安に駆られ、すると何故かひたすら料理をしてしまう。そうやって生産されたお総菜を「一人では食べ切れへん」と自分に提供してくれる。それで深夜に失業者の腹は満たされる。これも人情または相互利用の有機的交流で、ある意味で社会とか人生の実相を捉えている……のかもしれない。

 そんな結論が仮に出た所で、その日はようやく眠った。

 青森に帰ったという純ちゃんが、現在どんなふうに生きているのか。元ぼったくり通りのあの界隈でも、どうやら誰も知らないようだ。


おわり


以上は、冒頭にも記したように、以前から通っていた飲み屋の女将から採集した実録型の民話である。
M子さんの居酒屋はコロナ渦、そして店主である旦那さんの長期入院もあり、春先から休業状態が続いている。「何かしてないと不安やねん」16歳で結婚して以来ずっと忙しく働いてきたM子さんはそう言って、テイクアウトの食品販売を試験的にはじめた。諸事情により「何もしなくても別によい」時間がふんだんにあった自分は、しばらくM子さんを手伝っていた。主な業務としてはM子さんと昼飯を一緒に食べ、食後にお茶を淹れて世間話、たまにいい加減に店番をする……それくらいだった。そんな気楽な毎日が数ヶ月続き、この界隈にも少し明るくなった。しかしこの夏の暑さと都内の感染拡大により、現在はテイクアウト販売も休止中。M子さんは入院中の夫の見舞いにも殆ど行けず、近頃はずっと家でオリンピック観戦をしていたらしい。
パンデミックにより、世の中は現在進行形で分断されていく。あの飲み屋通りの場末、それから自分も、果たしてこの先どうなっていくのだか分からない。途切れた交流や仕事に人情、有象無象の蠢きやアルコールの香り、それらもいずれまた再開もしくは再生産される構図だったり構造の一部なのだとしても、ともかく自分としては正夫さんの役回りは演じたくないなと思う。しかし自分にとっての「純ちゃん」が、少し先の未来で待ち受けている可能性だってある。誰がどこでどう転ぶのか、それは誰にも分からない。
というわけで何だかよく分からないが、やっぱりこれは民話である。

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