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民話で一人コラム ~昔話はソース味~

  昭和50年代半ばを幼稚園児として過ごした私。子供は風の子だか何とか言われ、とにかく外で遊べと1日中近所の子供たちと一緒に夕方のチャイムが聞こえてくるまで走り回っていました。

 年齢関係なく、バトミントンやゴムダン(これがピンとくる人は昭和の人間ですね~)、果ては『かごめかごめ』『あ~ぶくたった』『はないちもんめ』等で遊び倒すのです。

 女の子だけじゃありません。
 男の子もいました。(大抵この集団に妹とかお姉さんがいるパターンでしたが)
 今思い返せば、それこそ昔話のような世界だわ。


 さて、そんな子供時代、親や幼稚園の先生以外にも昔話を読んでくれる人がいました。


 紙芝居屋さん、という人がいたんですね。


 こう、どこからとなく自転車の荷台に荷物をたんと載せて現れて、拍子木を打つんです。

 それが、そろそろ紙芝居が始まるという合図。

 ずうっと、記憶の片隅に追いやられていたこのおじさん、ふと思い出したのは京極夏彦の小説を読んでいた時のこと。多分『今昔続百鬼ー雲』で紙芝居を描いて日銭を稼いでいた登場人物がいたと思うのですが、読みながら自分の記憶の断片が次々とつながり、口の中がソースせんべい味の記憶まで呼び起こしていました。

 で、なぜ紙芝居がソースせんべいの味なのかといいますと、紙芝居おじさん、やって来ると拍子木を打つんですね。この音が聞こえてくると子供たちは一度みんな家に戻って小銭をとってくるわけです。10円玉とかだったかな。たしか10円位だとソースせんべい(うっすい円形のエビ味のせんべいにソースを塗りたくったもの)が買えて、そして水あめになるともうちょっと値段が高かった(っていっても、20~30円ぐらいだったのかなぁ)記憶があります。

 紙芝居が始まる前に、このおじさんから駄菓子を買うのが暗黙のルール。

 そして子供たちがお菓子を買い終わると、おじさんが紙芝居を読み始めるのです。

 正直、紙芝居の内容はもう覚えていません。

 あの時みんなで小銭を握っておじさんのところに走ったこと。ソース味のせんべいを口にしながら、紙芝居に見入っていた映像だけがぼんやり記憶に残っています。

 私が小学校に上がるころにはおじさんも、もういなくなっていました。

 それでも、お話を読んでもらった人の記憶や穏やかな時間の思い出が残りました。


 追記:高知県で子供時代を過ごした母親に、この紙芝居おじさんの話をしたら、彼女の子供時代にはあのド田舎(失礼!)にさえ、そのようなおじさんが来て紙芝居を読んでいたそうです。更に、そこでは紙芝居の前には歌を歌ったそうで、母はその歌をまだ歌える、覚えてる、というのですから子供時代の記憶って凄いですね。


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