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林檎も匂わない/あすなひろしさんのメッセージ(8月6日によせて)

 漫画家あすなひろしさんの作品に初めて出会ったのはいつだっただろう。
 これはハッキリと確かめられてはいないのだけれども、多分最初に私があすなさんの絵に出会ったのは、小学生の時に親に買ってもらった色鉛筆の缶の蓋に描かれていたお姫様と王子様が森の中で手を取り合っている絵だ。
 もう、その缶は手元に無いし、仕事で描いたイラストだから署名も無かったと思うけれど、絶対にあれはあすなさんの絵だという確信が私にはある。なぜか、というと、その絵にこめられたものが、あすなさんの世界そのものだからである。
 日差しが森の木漏れ日になって、そこでお姫様と王子様は手を取り合って微笑みながらダンスをしている。周りにはさえずる小鳥たちや鹿、リスなどの動物たちがいる。
幸せな世界。お伽の国の。


 「林檎も匂わない」は、ぼくがとてもちいさなときに、突然部屋の壁を抜けて現れた男と出会うところから始まる。
 男はここはどこだ?とたずねて、ぼくがボクの部屋だよ、と答えると、どうしてオレはこんなところに居るんだ…と呟いて、また壁の向こうに消えてしまう。
 ぼくはそのまま眠ってしまったから、それは夢だと思っていた。
 やがて何年かたち、ぼくが小学校にあがって間もないときに再び男が部屋に現れる。
 男は前にぼくに会ったことを覚えていたが、あれから5分もたっていないのに、ぼくが大きくなっているのに驚いたという。
 男の時計は7時24分。昼までに戻らなければと言うが、今は夜。
 あした船が出るから急いであのこを捜さなければならないと言って、壁の向こうに消える。
 それから何度か男はぼくの部屋に迷いこんできて、その度に男の時計は数分ずつ進んでいた。
 ぼくはその度に数ヶ月の時を過ぎて成長し、ぼくが小学3年生のとき、男は1枚の写真を落としていった。男が女の人と写った写真。
 男はどこに行くのかわからない船に乗らなければならず、死ぬかもしれないから、いまあのこに会いたいのだと言う。
 そこで、ぼくは彼の悲しそうな顔に見覚えがあることに気付く。すぐ近所に住んでるのんだくれの剛さんだ。
 剛さんは日雇いの仕事をしながらカネがなくなるまで酒を飲んで暮らしている。
 そして家の庭に野良犬や野良猫をいっぱい住まわせている。
 ぼくが剛さんに部屋に来たことを話すと、剛さんは知っていたと言った。でもあれは30年以上前の剛さんなのだ。
 剛さんは死ななかった。そして、ぼくが高校生になって剛さんの時計が8時をまわったとき、すべてがわかると言う。
 そう、これは広島に原爆が落ちる日からタイムスリップしてきた男の物語なのだ。
 男は被爆したものの、命は助かり今はのんだくれの生活を送っている。
 家に集まる野良たちを近所の人からの苦情で保健所に連れていかれてしまったとき、剛さんはそれを事前に知っていた子どもたちに語りかける。
 「泣くくらいならなぜひとりで一匹でも仲間で一匹でも飼ってやれないにしても隠して守ってやらなかったんだ」
 子どもたち「だれかがそう言ってくれればボクたちなんとかしたのに」
 「言ってくれれば?」
 「キミたちは…気づかないのか」
 「人も犬も草もみんなみんな生きてることに気づかないのか」
 「生命たちを愛して守ってやることも誰かに言われなければ気がつかないのか」
 「心というのは 自分のためにだけあるんじゃないとオレは思うんだよ」

 やがてぼくは、受験を控えた高校生になり、勉強して競争する毎日の中で、再び放浪生活を送る剛さんに出会うが、ある日ニュースで、剛さんが高校生たちに路上で面白いからと殺されたことを知る。
 そして、その時に剛さんが壁から現れる。
ぼくは、もう8月6日の事に気づいているから、行っちゃいけない、行けば剛さんの人生が狂う、と告げる。だが、剛さんは、
「人生?そんなもの、この戦争でとうに狂わされてしまってるさ!」と言って戻ろうとする、昭和20年の広島の8月6日に。
そして剛さんの時計が8時15分を指したとき。


「林檎も匂わない」あすなひろし
エンターブレイン・ビームコミックス文庫より
2008年4月2日発行


同書より


同書より

 
   このコミックスのあとがきで、あすなひろし追悼公式サイトを運営する高橋 徹氏はこう語る。

初単行本化の『林檎も匂わない』は商業誌向けの最後の作品=遺作である。
原爆により広島に穿たれた深い闇を圧倒的な孤独感をもって凄絶に描く。
あすな作品には常に孤独の影がつきまとうが、本作はその極北である。

エンターブレイン刊ビームコミックス文庫
『林檎も匂わない』後書きより抜粋(2008年)


優しさというのは 
愛する(いとおしむ)心があって
初めて生まれるもんだと思う
けれど僕たちは いま
自分さえよければいいと思いながら
生きてるような気がする
そんな心がきっと 
人と人との争いや戦争をおこすんだ
ひとりひとりが相手を思いやる優しさを
心に持たない限り平和は生まれず
戦争ではないから平和なのではなく
「平和」は反意語を持たない ただひとつの
「かけがえのない平和」なんだと思う

    
    あすなひろし『林檎も匂わない』より
(あらすじ解説本文中のセリフもすべて同作品からの抜粋です)


 あの悲惨な経験から78年が経った今でも、戦争がなくならないのはなぜなのか。
 日常の毎日の中で争いや暴力、いじめが行われるのはなぜなのか。
 それは、人間とはどういう存在で、心とはどういうものなのかを、ひとりひとりが考えなければ、みつけることができない永遠の問いかけだと思っています。
 暑い8月の朝に、大切な生命を、かけがえのない人を、失った悲しみ、苦しみ、怒りを思うと、身体に震えがきます。
 同時に、それを行った側の人たちのことにも、思いをはせるのです。
 どんな気持ちでそれをしたのか。した後にどう思い、自分がした事の結果と惨状に対してどう思ったのか。感じたのか。    
 あるいは思わなかったのか、感じないようにしたのかを。
 決して責めるのではなく、人としてどういった心の流れをたどったのかを。
 それはもしかしたら、とても苦しいものだったのではないかと。
 命令した人と、実行した人との関係性を。
 その局面にたどりついてしまうまでの、沢山の人の思いと立場と様々な感情と、時間と状況と大きな流れと。
 明らかになっていることもあるはずだし、想像するしかないこともあるでしょう。そこから私たちが今から作っていくこの世界をどんなかたちにするのかを、見つけなければならないと思います。
 それは今、この地球上に生きるものすべての責務なのです。年齢、性別、人種、置かれた環境、状況、何もかもそれぞれすべてが違うからこそ、それぞれがそれぞれの場所で考えるべきなのです。一つの例外もありません。
 きっと、見つけられると信じています。

『林檎も匂わない』
初出 : コミックトム1988年8月号

あすなひろし
1941年1月20日東京生まれ
1959年「まぼろしの騎士」(少女クラブ掲載)でデビュー
1972年 第18回小学館漫画賞受賞
その繊細な絵と叙情溢れる物語は
一部に熱狂的なファンを生んだ。
2001年3月22日肺ガンのため逝去。
享年六十。
(エンターブレイン刊ビームコミックス
『林檎も匂わない』作者紹介から転載させて頂きました)

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