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316.インテリア(環境)を通じた、自己認識と自己最適化


4Kテレビというものを買いました。あまりリビングに大きなモニターがあるのを好まなかったので、10年くらいずっと小さな液晶テレビを置いていただけで、特に不便はなかったのだけれど、なんとはなしにその「小さな、古い液晶テレビ」というものがリビングにある違和感にどうにも目をつむれなくなってしまって。

ん?んん?なん....っか気になる....!!!というものを、いまはできる範囲で変えているところ。

大型テレビ(大型ってほどでもないけど)にして、ソファーもカウチ型にして....って、大きなところで言えば「思い切ったね〜」という気もするんだけど、自分の中で「これ、なにやってるんだろう?」と思ったときの答えが、

たとえば壁にかかっているすてきなアートがあったとして。
そのアートのフレームが、微妙にナナメになっていたとしたら。

めっちゃ!気になるよ。気になるよね?
あれ?って思って、なんか気持ち悪いな〜と感じて、近づいたり遠目から見直したりしながら、すてきなアートはきちんと水平であるべき。と思って、なおすと思う。

あるべきものが、あるべきところに、心地よく収まっている。ということは、きっとひとが思っている以上に心身に影響を及ぼすことのような気がする。
なので、できる範囲で「インテリア(環境)を通じた、自己認識と自己最適化」をしているのだと思う。


もし、そのアートがナナメのままだったとしたら、わたしはその気持ち悪さ・整合性のなさに「気づかないように生きる」ために、膨大なエネルギーを使わないといけない。
違和感をないことにするために、自分の感性を麻痺させるしかないし、
気持ち悪さを感じないようにするために感覚にふたをしてしまうことで、同時に気持ちのよさも感じられない状態になってしまう。

べつにテレビとかソファーとか、大げさなところから始めなくたっていい。わたしはこの”外部環境と内部意識を最適化していく流れ”のとっかかりは、「一日一捨」(毎日ひとつだけ、要らないものを捨てる)だったし、そこから派生して「一日一磨」(毎日一ヶ所だけ、目についたところを磨く)につながっていって、ある日ふと「そうだ、バスタオルがみんなもらいもので、もうゴワゴワだし、家族分の4枚だけでいいから、使いごこちのいいものにしよう」と思いたって、バスタオル。という極めて限られた領域において、ささやかな極上を目指したのだった。
4枚買って、1万円もしなかったと思う。



もうひとつ、今日は6号の鉢植えに入っていて、きゅうくつそうに、それでもなんとかヒョロヒョロと伸びていたパキラの植え替えをした。
6号の鉢はよくあるプラスチック製の、数年前に買ったときのままのやつだったんだけど、10号サイズの真っ白い陶器製の鉢を買って、土もたっぷり足して、植え替えたらすごくよかった。

それまでの鉢のサイズと伸びて育ってきたパキラのサイズはぜんぜん合っていなかったし、プラスチックの鉢とリビングの雰囲気も、ちっとも合ってなんかいなかった。
どうしてそれを何年も何年も、気づかずにほったらかしにしていられたのか、自分で自分が不思議だ。

陶器製の鉢も、パキラも、輝いていて、いつまでも見ていたいくらいだった。



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