245.毎日服のことばかり考えている


どなたかがフォローしてくださると、その方のnoteを見にいってしまいます。すてきなひとだと嬉しい。すてきっていうのは、「自分(と自分の人生)に真摯なまなざし」を持っていそうなひとだなと感じること。あとは、フォローバック目当てではないとわかるひと。

今日は入間のほうにあるアウトレットパークに朝イチで単身ピューンと行ってみた。旦那は休日出勤、うたちゃん(中1娘)は部活とミュージカル、かんちゃん(小4息子)は少年野球とみなさん終日外出だったので。

わたしはスタイリストのゆきさんと遊んだりお仕事したりすることが多いので、なんとなく自然にいつも彼女のプロフェッショナルなスタイリングの恩恵を受けているのだけれど(ファッションテロ!って彼女が呼ぶように、突然ラインにえんえんと「みおみおのレインブーツはこれ」「みおみおのPCバックはこれ」「みおみおのスニーカーはこれ」....と彼女セレクトのファッションアイテムが送られてくるw)、さすがに3年ほどお世話になっているのでそろそろ自分で選んでみようよ!と思って(笑)。
身銭を切って痛い思いをすることはたいせつな経験だ。

これまでのファッションのコンサルティングで、自分がどんな偶像に憧れを抱いていたか、自分をどう見ていたか、だからそれらをいつも選んでいたのか俺ったら!ということが、つまりは自分の中にある「白い影(憧れ)」や「トラウマ(傷)」などをとおして服を選んでいたのか!という気づきがあったので、少しずつだけれど、もう不要になったそれらのフィルターを通さずに服を選ぶということが、できるようになってきた気がする。

あ、そうか。だからいま、こんなに毎日服のことばかり考えているのか。

これまでは「自分ではない誰か」「自分よりすてきな誰か」「自分にはないものを持っている誰か」になるための手段としてのファッションだったので(もちろん無意識ですよ)、いまは「わたしがほんとうにわたしらしくいられて、この服を着ている自分ってまじで可愛くてイケてら〜!」と思える服を選んで、着ているのがただ楽しいんだね。

今日は、ハイラグジュアリーブランドには入らずに、プチプラファッション祭りだったのでモノはそれなりなんだけど、なんとなく選んでいる時に「これはわたしのものではない」という観点でどんどんセレクトできるようになったのが新鮮だった。

たくさんのすてきな洋服たち。けれど、これはわたしが着ても似合わない。ちがう誰かが着たらきっと映えるだろう。だったらわたしはこれを選ばない。だって、やっぱり映えるひとのもとに届くために生まれてきた美しい服たちであり、わたしはわたしでちゃんと映える装いをするべき美しい存在であり、その道理を無視するってことは、服にもわたしにも失礼なことなのだ、と。

なので、これまでだったら手にとって迷ったのちに買いそうだな....と思うものを、見事にスルーしている自分が不思議だった。なんというか、どんな分野でも道理というか、自己認識と気づきの道(WAY)は同じなんだな、と思って。




ボディートーク・セッション、ダイアローグ・セッションともに11月枠は満席となりました。これよりお申し込みの際は、12月以降の日程にてご予約ください。

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