毎日誰もが創造している / 探求者の魂たち
ここ数日にかけて、いろんなことを思い出している。
時間にすると10年くらい前からはじまったことって、わたしの人生が
「外部のよくわからない出来事に翻弄され、反応しながら受動的に生きるモード」
から、
「外部の世界に見える一見するとよくわからない出来事は、ぜんぶ自分の内側が創造したものであり、人生でやるべきなのは脊髄反射的に受動的に生きるのではなく、目の前の出力結果として見えている”自分”をそのまま見て、すみやかに不要な感情や信念システムを解放し、入力因子そのものを能動的に変えるモード」
で、生きる!!
と、いったいどうなるんだろう?わたしの人生ってば!!
という、モードチェンジという人体実験だった。
10年間、じつはただそれだけだった。ただその探求して実験して出力結果がどんどん変わって、どんどん人生が望む方向へ展開していき、パートナーシップのつながりが深まり、親との確執が消え、性格が明るくなり、つまりは、ただシンプルに
ずっとずっと幸せになった。
そんな、ものすごく静かでシンプルなことを、やり始め、やり続けた旅であり、ある程度までやり遂げたところで満足してのんびりしているというのが現状なのだな、と気づいたのだった。
気づきと解放、そして創造のレッスン。
*
この旅を始めたひとはみんな知っていると思う。
最初の歩みというのは、足取りも重く、気持ちも重く、そして背負う荷物も重い。風景は殺伐としていて、周りを見渡すとみんな暗い顔つきでとぼとぼと歩いている。
「気づきだって? 感情や潜在意識をどうこうするだって? それで本当に幸せになれるのか? ばかばかしい。そんなひまがあったら資格のひとつでもとったほうがいいに決まってる」なんて、ばかにしたような口ぶりで、その歩みから離脱するひとも多い。
それでも、残った少数の人たちは、そのまま旅をつづけていく。
そのよりどころになる思いは、とても素朴な疑問だと思う。
「資格? だれかとの競争に勝つこと? いつもなにかを恐れているのに、まるでそんな恐れなどないかのように振る舞って、ゴタゴタしながらいつも愚痴をこぼしながら生きることが、ほんとうに人生なのか? みんなはそう信じているかもしれないが、自分はとてもそうは思えない。なにかが、なにかとても大切なことを、自分は完全に忘れて、見落としているんだ……。でもそれはいったいなんなんだろう?」
でもあるとき、旅をつづけているうちに、幾人かはふと気づく。
「あれ? ずいぶんと景色が変わっているじゃないか。空は明るいし、日差しは暖かい。おや? 背負っている荷物まで軽くなっているぞ。」
そう。その旅は、一駅、また一駅と歩みを進めていくごとに、次第に軽やかな旅路になっている。そのことにみんなだんだんと気づいてくる。
周りを見回すと、一緒に歩く顔ぶれもずいぶん楽しげな人たちになっている。
「うん、このあたりでじゅうぶんだ。まあまあ幸せだ。ここらへんで降りて、とどまろう」
ひとり、またひとりと、それぞれのちょうどいい場所へと辿り着いて、旅の仲間はさらに少なくなっていく。
そこから先に進むのは、好奇心にあふれた探求者の魂たちだ。
「出発地点からここまで、ずいぶん遠くにきたものだ。そしてすばらしいところに辿り着いた。けれども、この旅のことがわかってきたぞ。進めば進むほど、さらに景色は美しくなり、空は澄み渡り、背負っている荷物も軽くなる。そしていくら歩いても不思議なほどエネルギーが湧いてくるじゃないか。このまま止まることなんてできない。我々は、頂上を目指そう。そこにきっと、長い間探していた答えがあるにちがいない。」
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わたしが持っている、頂上アタックまでのツールは、みっつ。
・瞬間瞬間ごとの、自己観察と自己認識(気づき)
・瞬間瞬間ごとの、感情解放(解放)
・毎日の、ACIMワークブック・プラクティス(治癒と創造)
たぶん、これだけで十分だ。旅の途中でなにかおもしろそうなものに出会ったら取り入れようっと。
わたしの魂が勝手にふるえていて、走り出したいくらいに胸が高鳴っている。
心の中の、すべての鎖を一つ残らず断ち切って、ただ自由に幸せになろう。わたしはその自由と幸せに値する。だれもが自由と幸せに値する。
この興味深い心の実験を極める、魂の探求者でありつづけるんだ。
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