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BIZIO MIRAGO•••創造への進化 5.


茶道と能
デュアル室町文化


 彼此十数年ほど前から、相次いで二つのお習い事を始めました。

 其れも、奇遇なご縁が重なり、直門として、門下に入る事が出来たのです。

 更に、工芸やお能にも造詣が深い著名な随筆家の著書を二十代の前半頃に読んで、将来、お能を習う機会に恵まれたら、随筆家が著書の中で、最後の名人と絶賛した、能楽師の門下に入れたら冥利に尽きる•••と思っていました。

 まさか、其れが現実になるなんて・・・。

 其れは、弊所の着尺をお求め頂いた方が、お能の会の舞台で、お召しになることになり、その方からご出演になられる会にご招待頂いた時のことでした。

 会が終わり、打ち上げの席に、其の方が習っておられるお能の先生から、お誘いを頂いたのですが、会場の片隅に、優しそうな男性の遺影が飾ってありました。
 
 其の遺影は、最初にお話しした、随筆家が最後の名人と著書のなかで絶賛した、その方の遺影だったのです。

 先生に、「この方は•••何方ですか?」と、尋ねますと「私の、祖父です。今回は、その祖父の••回忌の為の会でした。」と、仰り、其の時は、驚いて床から三十センチ程、身体が浮いた様な気が致しました。


 
なんという、セレンディピティな出来事でしょう・・・。


  
 茶道も然りで、お世話になっていた方から、ご紹介頂いた流派の御家元が、偶然、学生時代のサークルの友人とは、同じ学校の同級生だと判明し、其の友人が、数年前に亡くなった事を他の同級生から聞いておりましたので、何時のタイミングで、其の事をお伝えしようかと、お互いに思っていたようで
不思議な巡り合わせだったわけです。
 
 そういうわけで、私は、ご縁あって、願ってもない幸運なスタートを、二つのお習い事で切ったのですが、茶道もお能も、思った以上に奥が深く、そう簡単にはいきませんでした。
 
上達の如何は、横に置いておいて・・・。 

室町期誕生の文化
其の一
お能

 お能は、ややもすると、その高尚な舞台芸術的要素の故、物語の歴史的な背景や古典文学や古語を、ある程度知っていれば、より楽しめると思われていますし、実際、そうだと思います。

 以前、海外から見えた方と、お能の鑑賞後、お話しする機会があり、私の師匠であられる方の舞台でしたのて、感想をうかがったら、その方は、お能の悲しい場面をみて泣いていらしたようなのです。
演目は、「井筒」でした。

 その時は、メールのやり取りをしましょうか、といわれ、名刺をお渡しして別れたのですが、其れから何年もして、分かった事ですが、その方は、シェークスピアの作品を題材にした、何作かの映画を監督された方で、古典舞台芸術には、造詣の深い方だったのです。

 偶々、見ていた、お能をテーマにしたテレビ番組にその方がご出演されていて、お能の魅力を語っていらっしゃいました。

 お能の幽玄の世界での、肉体や時間を超えた、メタフィジカルな感性を理解するのには、国や民族は関係ないのではないか、まして、歴史や古語の知識より、人間の本性や目に見えない世界への畏敬の念というものは、世界共通なのではないか、と、その時、思いました。 


 
知識で理解するより、全身全霊の感覚を解放して、感じる事の方が大切で、お能鑑賞の醍醐味でもあるのでは無いかと思います。


 習い始めて数年目かに、私も、何回か舞台を経験した頃、お能を何十年も続けられている、先輩の方が、装束と面を付けて、「清経」という若い平家の公達を演じられるのを最前列で拝見していたのですが、自分の出番か終わり、緊張が解けたせいもあり、お謡いと、心地よいお笛や鼓を聴きながら、ひんやりとした会場の空気の中で、不覚にも、ついうとうととしてしまったのです。

 そして、はっ!と、目が覚めると、私の目の前に、平家の美男子の公達が、甲冑をつけて、今にも死にそうな、悲壮感と憂いのある青白い顔で、こちらを、舞台から見下ろしていたのです。

 私は、ぞくっとするぐらい、美しく臈長けた、その公達の面差しに、驚愕とも憐憫とも、何とも表現できないくらい、感情を揺さぶられました。
 
 其れは、現代に於ける贅を尽くした、娯楽の数々でも得られない、寧ろ法悦と言った、至高体験的な感覚が近いかもしれないのです。

お能を見ていると、時として、上質かつ不可思議な感覚に、突然、襲われるのです。

 眠くなっても、寝ても良いのです。
退屈なのではなく、心地良く惰眠してしまうくらいに、その幽玄の中に、攫われてしまうのです•••。

 その様にして、お能を好きになれば、しめたもの、歴史的知識も、古文の解釈も、自ずから、自然に必要な情報は、入ってきます。


先ずは、幽玄の世界を、感じる自分である事を大事にしたら、良いのではないかと思います。

 室町期の日本では、上流から庶民までもが、お能が奉納される神社の社内や、野外の舞台で、観劇して、同じ様に、其の幽玄な世界に浸り、親子や男女の生き別れや、死に分かれの、悲劇や悲恋の悲しみを共に感じ、最後は、救われるという、結末に、あの世とこの世との間を、行き来し、虚実皮膜の浮遊感の中で、日本人特有の死生観は、醸成されてきたのでしょう。

 隅田川は、子供と生き別れた母が、子供の死を感じて、物狂うというお話ですが、丁度、その頃、私自身も、子供達と会えなくなっていましたので、舞台を観て、悲しさに、しおる場面(哀しみの表現)では、涙したことを思い出しました。
 先程お話しした、映画監督の方と同じ様に•••。

 シェークスピア作の舞台の作品においても、同じ様な事が言えると思いますが、日本のお能の幽玄な世界は、世界的に見ても、稀有な存在て、ドラスティックなOperaやミュージカルよりも、寧ろギリシャ悲劇の方が近いのかもしれません。

 お能の話になると、時間を忘れてしまいますが、次回は、茶道に纏わる、幾つかのお話をしたいと思います。

                                       Mio

 

 

 

 






 




 

 





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