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【読書】青春が無かった、なんてことないよ。

高校生の頃に
全然青春なんてなかった、

なんて思っても
実はいろいろと
あったのかもしれません。



数日前にご紹介した本
「かがみの孤城」が
あまりに良かったので、

また良い本に巡り合わないかな、と
探していました。


「かがみの孤城」は
本屋大賞受賞作だったので、
なるほど本屋大賞で探せば
気持ちよく読了できそうな
本が見つかるかもしれない、と

それで探して
見つかったのが、こちら。

恩田陸さんの「夜のピクニック」

名の知れた作品ですね。



良かった、当たりでした。


ちゃんと青春してた高校生なんて、
どのくらいいるのかなあ。

他人は青春してるように
見えるんだよな


私は中学生の頃は
中二病が酷くて
この世の終わりのような
暗さを全身に纏っていました。

中3くらいで少し
回復しましたが、
高校生になってもだいぶ
この世の終わり病を
引きずっていたと思います。


それに一貫校の中学高校は
女子校だったので
青春どころじゃ
ありませんでした。


だけど、考えてみれば
熱心に打ち込んで
それがとても楽しくて
全身で喜んでいた日々は
確かにあったんだ。



私の母校は
今や少子化により存続すら
危ぶまれているのですが、


当時は
ヘンデルのメサイアという
生徒が歌う歌曲のコンサートを
毎年、保護者や近隣の方向けに
開催していました。


発表者は
中学、高校音楽部と
高校の音楽選択者、
それ以外の有志でした。


毎年、講堂がお客様で
いっぱいになって
立ち見の方が出るほど
だったんです。


そこで集めた募金を
「メサイア募金」として
様々な団体に送っていました。


私は高校では音楽部で
授業も音楽選択者だったので
「メサイア」に参加しました。


練習は
数々の曲を長時間
英語で歌うために
発音指導から入ります。


弦楽器や打楽器が出来る子は
楽器に回って、
歌のソロパートも
あるんです。

私の姉はソプラノのソロパートを
担当していました。
私はいつもアルトなので
姉の高い声が本当に
かっこよかった。


「メサイア」というのは
毎年11月ごろになると
各地で演奏されるので、

私たちも先生に連れられて
皆で聴きに行きました。

高校1年生の頃でした。


夜の部でね、
こんな時間に普段
歩き回らないから
特別で、


普段制服姿しか見ない
友だちの私服が新鮮でした。

この日のために私は
アルバイトで貯めたお金で買った
黒のショートブーツを、

友だちは
一緒に買いに行ったスカートを
履いて行きました。



事前に先生から
「ハレルヤ」は
立って聴く風習がある、と
教わっていたので

「ハレルヤ」の前の曲が
終わったときに
みんなで起立しました。

もちろんそんなことを
知らないお客さまも
(今思えば知っていても
立たないお客さまも大多数)
いらっしゃったので、


なんだか自分たちは
特別に「メサイア」を
愛しているような
誇らしい気分になって
顔を見合わせてニンマリしました。

寒い11月の夜でしたが
笑顔で帰りました。
今でも覚えてる。



高校3年生のとき
私は音楽部の部長になりました。


この部は
歌からお琴から弦楽器、ギターまで
オールマイティに
こなさなければならないが故に
言ってみればあまり
成績を残せませんでした😅


それでも部員数はかなりいて
中学音楽部と合同のこともあり
大所帯でした。


それをまとめるのは
大変でしたが、
中学の部長とも仲良くなって
楽しかった。


毎年の合宿は厳しかったですが、
2年生のとき
こっそりみんなで
サワーを飲酒した挙げ句
私たちの学年だけ寝坊して
湖畔を一周走らされたり、

(実際は走ったフリをして
お喋りをして時間を潰しました)

珍しい楽器を習ったり、

楽しい思い出が
たくさんありました。


何よりも
長時間の練習の成果が
目に見えて
(耳に聞こえて)
現れる。
これは毎回感動でした。


3年生の合唱祭。

毎年全学年が
かなり燃えるこの行事に
私は出ずっぱりでした。


全校で歌う開会の歌は
ドイツ語の「野ばら」


音楽選択者と音楽部は
アルトパートを歌います。
つられないようにね。

私は音楽部部長として
この一年間は何かの行事のたびに
例えば体育祭や球技大会などで


全校生徒の前で
指揮役をしていたのですが、
この「野ばら」でも当然
指揮をやりました。



指揮なんて全校の合唱で
必要ないんじゃないか、って
薄情なことを思っていましたが、

初めて指揮指導を受けたとき
先生が私の指揮を見て

「あなたの指揮は
チーチーパッパね」と

かなり腕の振りを直してくれたのを
忘れられません。

とにかく合唱祭では
指揮に端を発し、

自分のクラスの合唱、
音楽部のピアノ伴奏、
音楽選択者の合唱、と

何度も何度も私が席を立つので


ひとりの友だちは

「みおいちちゃん、
 出すぎ」と

馬鹿にした目で私を笑いました。



そこで私は
それを鵜呑みにして

「やっぱり目立つのは
よくないかな」と

顔を赤くした記憶があります。


だけど他の友人が
「ちょっとごめんね」と
席を立つたびに

「みおいちちゃん、
 かっこいい!応援してる!」と

目をキラキラさせて
まるで反対の意見を
言ってくれたときの顔は
いまだに覚えています。


女子校だったからか余計に
一生懸命やるのは
目立つのは
かっこ悪い、という
風潮がありましたが、
今思えばあれが
私の青春だったんだ。



かっこ悪くても
一生懸命にやって
良かったよ。


高校の卒業演奏会では
私は自分の演奏(ピアノ)の他に

歌を歌う友人の伴奏と
チェロの友人の伴奏も
引き受けました。


友人たちとの2人きりの練習は
普段とは色が違って
やっぱり今でも鮮明に
覚えています。


かっこいいんだ。
声量のある伸びるソプラノが
私に背を向けて
観客を向いて堂々と歌うところが。



チェロと同時に弾くときはね、
「せーの!」とか
「いちにの、さん」で
まさか弾けないから

チェロの友人の首が
少し動くのを合図に
始めるんです。

それが、その一瞬が
彼女の強さを
表現しているように見えてね。


カッコ良かったんだ、
彼女たちが。
忘れられない。


卒業式は
「仰げば尊し」の伴奏を
担当しました。


曲目が、時代ですね😅


私が泣き虫だって
知っている親友が

「みおいちは伴奏だから
泣く暇ないね」と笑いました。


私は壇上で
ピアノを弾きながら
みんなのすすり泣く声を
聴いて、


本当に泣けないな、
良かった、と思いました。



青春なんて
なかったと思っていました。


だけど、この本を読んで
思い出しました。


一生懸命歌って
お琴を、バイオリンを、ギターを、
そして大抵
ピアノを弾いていた。


私の高校時代の青春は
いつだって音楽と
それを愛する友人たちと
共にあったんだな。


書評を書こうと思って
単なる思い出話に
なってしまいましたが、
読んで良かった。


長い間
置き去りにしてしまった
大切なことを
取り戻せた気がします。


あなたの青春も
忘れられてはいませんか?

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