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小さな触れ合いが消失していく世の中

今回は、最近コンビニで買い物していて、ふと、寂しく感じた事を書いていく。

最近は、スーパーでもコンビニでも、セミセルフレジが普及している。商品をバーコードに通す所からお金を払うまで、お客側が行うフルセルフレジを採用している所も見られるようになってきた。

昭和、平成初期までのスーパーは、レジ係の店員さんが、一つ一つの商品の値段を見て手打ちをしていた。お釣りも店員さんが手動で数えた上で、手渡ししていた。今じゃ考えられない。手元が狂うと値段の打ち間違いになり、更に打ち間違えなくても、お釣りの渡し間違いが起こる事があり、良くトラブルになっていた。当時は、電子マネーでのキャッシュレス決済もなく、現金かクレジットだったが、恐らく大部分の人が現金払いで、スーパーでクレジットカードをサッと出す人はお金持ちなんだろうと勝手に思っていた。

平成の中期辺りから、徐々に全て手動の有人レジから、レジ係の店員さんが商品のバーコードをスキャンして、支払いはお客さんが機械で精算するというセミセルフレジになり、それが令和現在では主流である。

この間、コンビニで買い物をした時、財布の中に小銭が少なくて、他は万札しか入っていないのに気が付いた。税込238円のスライスチーズだったので、1万円を出すと、お釣りは9762円。思わず、私は「大きいのしかなくてすみません」と申し訳なさげに謝った。この他にも、逆に小銭を細かく出す時にも「細かくてすみません」と言う。

これって、昭和のオバサンあるある?

前記した通り、昔は全てが手動だったので、もし9762円のお釣りの場合、店員さんは5000円札1枚、1000円札4枚、500円玉1枚、100円玉2枚、50円玉1枚、10円玉1枚、1円玉2枚をレジスターから確認しながら出していた。字面で見るだけでも面倒である。しかも、昔は1万円札で払うと、店員さんは、周りの従業員に向けて、「1万円入りまーす!」と大きな声で確認の申告をしていた(昭和、平成初期あるある) これは、全て手動でやる事による間違い防止や、不正防止の為だったらしい。

しかし、今は店員さんも預かった1万円札を機械に差し込んで、自動計算されたお釣りが出てくるのをそのまま渡せる。何て画期的で素晴らしいシステム。そもそも、電子マネーで払えば良かった話でもあるのだが、チャージ忘れていたとか、うっかり者の私には良くある話。

つまり、今の世では「大きいのしかなくてすみません」って言葉は、やや的外れになっている。そもそも、謝るだけの労力が、昔ほど存在しないのだから。どうにも昭和生まれのオバサンは癖になっていて、それが頭では分かっていても、口に出てしまう。

まだ今は、あの頃の労力を知っている人の方が多いから違和感は少ないと思うが、これが、私が更に年を取って、シルバー世代になり、手動のレジを知らない平成後期、令和世代の店員さんばかりになったら、『?』という顔をされるかもしれない (ジェネレーションギャップとも言うが)

昔だったら、店員さんも「いえいえ、ゆっくりで大丈夫ですよ」と優しく答えてくれた。人それぞれかもしれないが、早くしてくれないかなーと思う反面で、労力への気遣いをされて、内心ほっこりされていたかもしれない。だって、『店員なんていくら苦労させても、お客の為なら当たり前』とナチュラルに思っている傲慢なお客さんもいるだろうから。

大変で辛いと思う時に、その労力に対して、相手から謝罪やお礼をされて気分を害する人は少ないと思う。

お客さんも「ゆっくりでいいですよ」と気遣いをされる事で、慌てながらも、その言葉にほっこりする。

そんな心温まる小さな触れ合いが、セミセルフレジの登場で少なくなってしまった。もちろん、店員さんの心身共に負担になるレジ業務が軽減される事の方が、遥かに大事なので良いのだが、時代の流れを感じた上で、自分の感覚が時代遅れになりつつあるのかなと少し寂しくなってしまった。


最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


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