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2020年をふりかえる

2020年、私は都内レストランで働いていた。
5月に退職しミラノ在住のイタリア人パートナーと結婚する予定だった。

2020年1月 ミラノ
2019年の初夏にミラノに帰国したダニーロに半年ぶりに会いに行った。
2020年1月末から一週間、はじめてのミラノへ。
ちょうどこの頃、武漢由来の新型感染症が流行しだしたと報道があり、職場では仲間たちと「コウモリを食べた中国人から広がったらしいよ」なんておもしろ半分で、嘘だかほんとだかわからない噂話をしていた。
空港や機内ではしっかりマスクをするようにと家族に厳重に言われた。道中、私はしっかりマスクをしたが、でもまだ全体的に深刻ムードはなく、成田空港で撮った写真を今見返しても、マスクをしている人はポツポツといるくらい。トランジットのドバイも同じく。ミラノでダニーロの両親と落ち合ったのだが、彼らもミラノの街の人々も、誰もマスクをしている人はいなかったし、私もマスクなしでミラノの街を歩き回った。
ダニーロは新しいミラノの職場で酷使されており、顔色が悪かった。一週間のうちたった一日、みんなでヴェネチアに行った日以外は仕事。朝から深夜まで。上司ともうまくいっていないようだった。酷い使われ方をしている感じ。笑顔がトレードマークのダニーロなのに、元気な笑顔がなかったことに胸が痛んだ。

2020年2月 感染がじわじわひろがる
ミラノから帰国してしばらくして、感染拡大がじわじわと深刻になっていった。ダニーロの住むロンバルディア州はコロナ感染が爆発的に拡大。
ダニーロの働くレストランも閉店時間が早まる。

2020年3月 勤務先のレストランはキャンセルが続出

予約がどんどんキャンセルになり新規予約もなくなって「忙しい日」が皆無に。昼も夜も予約がほとんどない日が増える。
3月29日に春の雪が降った。
午後出勤のシフトで職場に着くと、暇を持て余した同僚たちとみんなでグラスを拭きながら窓の外を眺め「もうやんだね」と話したこと。
志村けんさんが亡くなる。
イタリア、ロックダウン。
ダニーロはブラックすぎる職場に耐えきれず上司にブチ切れて退職。

2020年4月 解雇
4月1日、休業して欲しいと要請される。
4月3日、実質の最終出勤日。
4月7日、緊急事態宣言発令。
4月10日、会社都合解雇。

2020年5月 都内アパートを引き払い実家へ戻る
5月2日、東京生活最後の日。両親に車で来てもらい実家へ。まぶしいくらいに晴れた日だった。
5月25日、緊急事態宣言解除
5月30日、40歳の誕生日

2020年6月 引き続き自粛生活
緊急事態宣言が解除となって人々は出勤したり普段の生活に戻りつつある中、無職のため引き続き家に引きこもる日々。辛かった。
日々どう過ごしていたのかよく覚えていないけれど、鬱々としていた。
市から健康診断の案内が届いたので受診しに行った。
結婚前に片側顔面痙攣を手術で治そうと決意。
6月4日初診。
6月18日MRI。片側顔面痙攣と診断が出る。7月29日に手術予約を入れる。
故郷の南イタリアに戻ったダニーロから早くこっちに来いと無謀なことを言われるが、手術があるため断り続けていた。

6月23日から一週間弱、安曇野に住む親友一家に会いに。ここ数か月で自分に起こった様々な出来事のショックと生活の変化と先行きの不安と、そしてそんな中家にいるばかりで狂いそうになっていたところに、救われた思い。人生で立ち止まったところにいつもいてくれる友達。

2020年7月 片側顔面痙攣の手術
7月から翻訳講座に申し込み、勉強を開始。しかし身についてる実感なし。
7月6日、手術をする病院にて検診。
7月28日、入院。
7月29日、手術。
こちらは片側顔面痙攣の手術の記録。

2020年8月 ダニーロの転職先がスイスに決まる
その連絡を受けたのが8月29日。
転職先をタイかスイスかでずっと迷っていたダニーロがついに結論を出した。私は超特急で「日本人がイタリア人とスイスで結婚する方法」を探った。

2020年9月 航空券とビザ問題
9月1日がダニーロのスイスの仕事初日。
遠距離恋愛も1年を越し、もともと遠距離恋愛ができないタイプのダニーロが何度も「早く来い」と言っていたこともあって、行けるタイミングで早く飛ぼうということで頭がいっぱいだった。またタイミング逃すと第3派がきて国境が閉じてしまったら…という懸念もあって、一応はダニーロに確認した上で、9月末には飛ぶと決めた。

しかし、慌てて航空券を買ったせいで9月27日出発、帰国を12月26日の便にしてしまい、そうすると91日滞在の計算で、滞在可能期間の90日をオーバー(凡ミスすぎ)!フライト変更に3万円。さらに、ドバイでのトランジットにはフライト72時間前のPCR検査が必要とSNSで偶然知るなど、ボロボロ。慌てると本当ろくなことない。おまけにチケットを買ってしまった後で、パスポート入国での婚姻手続きはできず、まずは在日スイス大使館で手続きを取ってスイスに書類を送り審査してもらい、スイスから短期滞在許可証を正式に送ってもらってから渡航したほうがいいらしいと知るなど、見切り発車のボロが毎日なにかしら出てきて、ストレスで髪の毛が抜けていくような日々だった。しかもダニーロが忙しさで全然連絡つかなくなって。

チケット買っちゃったんだし、なにはともあれ飛ぼう!と飛行機に飛び乗ったのが9月27日。ジーザス。

10月から12月はこちら。

9月からはカオスに自ら頭突っ込んでいった感じ。
4月に退職してからひたすら自粛してたあの無風の数ヶ月は、嵐の前の静けさだったのですね。クリスマスイブに無事帰国して、ふたたび実家のあたたかいお出迎えが傷心に沁みた。家族誰も何も詮索してこないし(ていうか触れられないんだよな)、お金ない人からとれないからって家賃も免除してもらってる。早く働いて家にお金を入れたい。帰る場所がある幸せを噛みしめてる。

2021年、占い師の人によると私は運気が悪いらしい。大きな動きをつけるとまたコケるんだろう。足元よく見て真面目にコツコツ堅実に。とはいえ、今年は仕込みの1年かなと思っていて、今のうちに色々種まきをしたいなと思っています。

疲れたぜ。

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