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書くことは生きること、であってほしい。

社会人になってから仕事で文章を書きすぎて、日常生活で気持ちとか思考を文字に起こすことができなくなって、すごくこわかった。

書くのが嫌いになったのかなって。
うーん、吐き出すように誰にも見えない部分で殴り書いているときはあったから、書くのが嫌いになったというより、書いたものを人に見せるのが怖くなったのかなあ、

仕事をはじめたら、自分の表現力も文章力も乏しかったのだなと嫌でもわかったし、東京に来たら自分ってたいした人間じゃないんだなとか思ってしまったし。

自分の思考や価値観に自信を持てなくなって、だからそれを不特定多数に向けて発信することが怖くなったのだろうか。学生のとき記事とかで散々さらけ出していたのになあ。

新生活で心に余裕がなさすぎて、日常で思考回路をめぐらせることができなくなったり、ひとさまに見せるようなにことばを整える余裕もなかったり、っていう理由もあるけどね。

でも、最近、書きたい欲?が出てきて、安心している。

仕事は慣れていないし、もがき苦しみながら毎日原稿を書いているけれど、そんな状況でも日常でことばを紡ぎたい欲望が生まれていることに、本当に安心している。

私にとって、書くことは生きること、
であってほしい。ずーーっと。

まずはリハビリ的に書いてみた。自分の気持ちを、ことばにしておきたい。残しておきたい。ことばは生ものだから。

ひとまずこのnoteから、ちゃんと書こうと思ってる。ちゃんとじゃなくても、いいかも。たとえ続きはしなくても、書きたいと思ったときはその気持ちを大切にしたい。ゆっくりのんびりでもいいから、書きたい。整っていなくても、しっちゃかめっちゃかな文章でも、許してほしい。お仕事じゃないから、大目に見てほしい。

でも、読んではほしい。学生のときに、私が書く文章が好き、私のことばに救われた、と声をかけてくれた方々のこと、一生忘れないし、それが今の私を支えている。それがある限り、ずっと書き続けられる気がしているし、このことばが誰かの気持ちに少しでも届くんじゃないかという希望を捨てずにいられる。

だから、これからもそう言ってもらえるように、誰かに響くことばを紡げるように、日々をがんばりたい。お仕事も、生活も、人生も。

また話を壮大にしてしまう癖が出てしまったけれど、気持ちをストレートに書けてすっきり。おわり。

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