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妄想暴走 「書きたい人」スピンオフ

 昨日、山根さんの企画に参加して書いた記事は、思いのほかたくさんの方に読んでいただけました。
 参加記事を読んでくださった方、そして私が残したいと思った記事まで遡って読んでくださったかた、ありがとうございます。
 
 山根さんの紹介記事がまた、参加者同士も「他の人の記事はどんな記事なんだろう」と興味をそそられる内容になっていて、私も少しずつほかのクリエーターさんの記事やnoteにお邪魔しています。
 改めて、山根さんの企画力はさすがだなと思いました。
 山根さん、ありがとうございます!

 7月30日まで募集中とのこと。
 迷っていらっしゃる方、今からでもいかがでしょうか。
 私も参加を迷っていましたが、この企画、自分の棚卸としても、noteの振り返りとしても、意外なほどカタルシスが得られました。
 おススメです。笑


 ところで、そんな中、ヱリさんからこんなコメントが寄せられました。

むかし、書くの上手になりたいな。と本気で思うようになったときに、「歴史に残るようなベストセラー小説が書ける」のと「自分の人生はこのためにあったんだと思えるような小説が書ける」のと、もしどちらか一つ叶うとしたら自分はどっちを選ぶかな。と極端なことを考えたことがあります。
実際はどちらも必要で、その割合の差が個性になるんだと思うのですが…
もしどちらかひとつを選べるなら、みらいさんならどちらを選びますか?😆

読書ブログは読まれない』という記事へのヱリさんのコメント

 今日のこの記事は、ヱリさんのこのコメントからのスピンオフ記事です。笑

「歴史に残るようなベストセラー小説が書ける」
 のと
「自分の人生はこのためにあったんだと思えるような小説が書ける」
 のと、もしどちらか一つ叶うとしたら

 常に自由な発想で、奇想天外だったりファンタジックだったりしながらも確かな言葉選びで新しい小説世界に連れて行ってくださるヱリさんらしいご質問。

 noteにはプロ・アマチュアに関わらず沢山の物書きさんが集まっていますが、この2択、究極の2択だと思うのですが、いかがでしょうか。

これは今「こっちだな」と思っても次の日とか来年は「こっちかも」と思うやつですね🤣🤣🤣!昨日寝る前にヱリさんのこのコメントを読み、「あ。面白すぎるけど今ムリ」と寝落ちしてしまったのですが、起きてからもこのことばかり考えていて、あんまりいろいろ考えたので回答は記事にすることにしました。笑

ヱリさんのコメントへのお返事

 これはつまり、「売れる」か「売れない」かの二択ではあるのですが、その中には「歴史に残るベストセラー」が必ずしも自分の最高傑作ではない場合でも売れてしまうということもさしてますし、「自分の最高傑作」が必ずしも売れないとも限らない、ということも含んでいると思います。

 「自分の最高傑作が歴史的ベストセラーになり売れる」というのが最適解なのかもしれませんが、そうは問屋が卸さない、と。

 しかも「歴史に残るようなベストセラー」には、『聖書』とか『ホメロス』とか『資本論』、『窓際のトットちゃん』や『ハリー・ポッター』も含んでます。現代はそこに匹敵するほど本が売れる時代じゃないですし、ノーベル賞作家の本が必ずしもベストセラーとも限りませんが――

 こういう妄想は大好物なので、楽しく想像してみました。

 自分の本が世の中に出るだけでなく、それが売れに売れて即重版決定!重版出来!みたいな世界って憧れますし、ベストセラー作家ともなると記者会見したりテレビに出てたりしてますよね。本の売り上げというよりメディアミックスでお金持ちにもなれそうです。どのような形でかはわかりませんが、名前が残るだろうし、生きた爪痕としては最高級かもしれませんよね。世界の著名な作家さんと会ったり話したりできるのかも!

 でも私は「自分の人生はこのためにあったんだと思えるような小説が書ける」を選ぼうかな、と思います。

 「ベストセラー」は他人の評価、「最高傑作」は自己評価、と考えると、もし「自分としては最高傑作とは思わない作品がベストセラー」だったら、「次へのプレッシャー」が半端ないと思います。もう書けなくなってしまうかもしれません。自己満足だとしてもそれまでは書くことを楽しんでいたのに、もし書けなくなったら、それはなにより怖いかも。

 それになんか、売れるって、評価されるってすごく嬉しいことなんだろう(なったことがないのでわからないけど)、と思うんですが、よほど自分がしっかりしていないと、世の中の有象無象に取り込まれて気づいたら『嫌われ松子の一生』みたいに転落していったりするかもしれない――(考えすぎ)。
 なんか反動で反発されたり批判されたりも凄そうですし(妄想、暴走)。

 「自分の人生はこのためにあったんだと思えるような小説が書ける」。
 これはこれで究極の形ですよね。憧れます。

 そもそも創作者はみんなそうだと思いますが「満足」って無いんですよね、きっと。

 創作者は、「これは最高傑作」と思っても、やっぱり直したいところがあって、次が一番よくなる、と思って切磋琢磨し続けているひとが多いんじゃないかなと思いますが、どうでしょう。自分史上最高傑作を書いたことがないのでよくわからないのですが。

 ひとときでも「自分の人生はこのためにあったんだと思えるような小説が書ける」としたら、やっぱり生まれてきて良かったと思うんじゃないかなと思っちゃいました。

 ヱリさんは、いかがですか?
 そしてみなさんはどう思いますか?



 


 

 

 

 


 

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