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freestyle 11 「It’s a small world」

 また、鼻歌が出た。
 と、まるで鼻血が出たみたいな表現をしてしまったが、このところ、よく鼻歌が出る。

 女の人生、月のものが終われば、鬱々とした時代を抜けて明るい世界が開けるとアドバイスをくださった先輩がいたが、この鼻歌はついにその時がやってくる前兆だろうか。確かに、つい最近まで鼻歌なんぞには縁がなかった。鬱々とした時代の始まりから、約10年が経過しようとしている。10年ディケイドは、ひと区切りとして十分な時間だという気がする。夜明けは近いぜよ。

 いや。しかしまだ、更年期は終わっていない。このところなぜか夜中頻繁に目が覚める。更年期の症状のひとつだと思う。睡眠不足で常にぼやっとしているのだが、時間によってたまにハイになることがある。このハイは気をつけないと、いっきに底に落ちる要因にもなる。段差が大きいほど、落ちると痛い。鼻歌は危険信号でもある。

 更年期というのは、ヘイケイする、ということだ。そう、閉経だ。私もいよいよそのときが近い気がする。今、とても微妙なところだ。

 閉経という言葉には、なにか一抹の哀切がある。
 初経はおめでたくて、閉経はおめでたくない感じがする。

 厄介極まりない女性ホルモンの「支配からの卒業(by尾崎豊)」だ。もっと祝福の雰囲気があってもいいようなものだが、どうも、女性として大切なもの(女らしさや若さ、生殖能力)を失うという哀しみのほうがクローズアップされがちなのではないか、と思う。まあ、人体として思春期はクレッシェンドで更年期はディクレッシェンドなのだからそれは仕方がない。

 10代の思春期の頃は、周期も体調も不安定で、強い腹痛に悩まされたときなどは心底憂鬱だった。ちょうどそんなころ、私は草原(モンゴルの星空が見たいと思っていた)とか砂漠(黄土高原を見てみたかった)とか秘境(マチュピチュの遺跡やナスカの地上絵を見てみたかった)などに憧れを抱いていたので、「そういうところへは、(生理を)卒業してから行こう」と心に決めていた。まさかそのころに砂漠に行くほどの気力・体力が無くなっているとは思いもしなかったし、今の世界情勢のことなど露ほども想像しなかった。

 単純に、「男の子は(生理がなくて)いいなあ」「女性で世界中どこにでも行ける人はすごいなあ(私の中では兼高かおるさんとかイモトアヤコさん)」「とにかくこれさえ無くなれば、きっとせいせいした気持ちで行けるだろう」とだけ、思っていた。

 さて、今日の鼻歌は「It's a Small World/イッツ・ア・スモール・ワールド」。ディスニーの音楽作家シャーマン兄弟によって、ディズニーランドのアトラクション・テーマソングとして1964年に作られた。

 日本語訳は『小さな世界』と『こどものせかい』という二つの訳詞があるらしい。

世界中 どこだって
笑いあり 涙あり
みんな それぞれ
助け合う 小さな世界
世界はせまい 世界は同じ
世界はまるい ただひとつ

『小さな世界』若谷和子訳


おとぎばなしのような
すてきなこのせかいは
にじのはしをわたっていく
こどものせかい
すてきなせかい すてきなせかい
すてきなせかい すてきなせかい

『こどものせかい』小野崎孝輔訳


It's a world of laughter
a world of tears
It's a world of hopes
a world of fear
There's so much that we share
That it's time we're aware
It's a small world after all

『It’s a small world』 The Sherman Brothers

 原曲には『小さな世界』の世界観の方が近いような気がするが、『こどものせかい』も教科書に載っていたりして有名だ。

 さて本日洗濯ものをたたんでいてふいに飛び出した鼻歌に、自分が以前、「ディズニーランドの『It’s a small world』のアトラクションは、ちょっと不気味だ」と感じていたことを思い出した。

 私が初めてディズニーランドに行ったのは、高校生の時だ。田舎に住んでいたので、とても遅いデビューだ。多分その時に初めて『It’s a small world』のアトラクションも体験した。何か乗り物に乗って、沢山の人形がずらりと並ぶ中をしずしずと移動していくアトラクションだったと記憶している。2018年に大々的にリニューアルしたらしい。

「イッツ・ア・スモールワールド」は、1964年から65年にかけて開催されたニューヨーク世界博覧会のためのパビリオンとして誕生しました。
その後、アナハイムのディズニーランドに移設され、規模を拡大してオープンしたこのアトラクションは、今では、世界中のディズニー・テーマパークでゲストのみなさんを"世界でいちばん幸せな船旅"にお連れしています。

東京ディズニーリゾート公式HPより

 おお、これを読むと乗り物は「船」だ。おそらく、乗ったのはあの時一度きりだと思う。カラフルに彩られた屋内は少し暗く、立ち並ぶ人形は世界の民族衣装を着ていてみな可愛らしいのだが、なんか…なんか…

 怖かった。

 そんな風に感じるのは私があまり人形好きではないからなのだが、屋内なのに妙に広々とした空間に、『It’s a small world』が延々とエンドレスで流れていて、なんとなく、

 もう、出られなかったりして

 などと、意味もなく思った。いやいや、お化け屋敷じゃあるまいし、あの可愛らしく、夢に満ちた、子供らしい、世界の平和を願う人形たちの祭典が、まさかそんな。

 そんな風に感じる自分は変なのかもしれない、と思ういっぽうで、いやでも、こういうホラ―ファンタジーありそうだよね、と高校生の私は思った。可愛らしく綺麗なものの中にこそ、怖さが潜んでいる。そう思ったらなんとなく人形たちが不気味に見えて来るから不思議だ。のちに『チャイルドプレイ』のチャッキーを見た時、なぜかこの人形たちを思いだした。

 途中から「もう、出たい」と思ったあのアトラクションに乗って以来、『It’s a small world』を聴くと、あのときのちょっとした怖さをちらっと思い出す。

 もっと小さい頃に行けば楽しめたのかもしれないし、今なら逆に大人として楽しめそうだが、高校生の私は微妙な年齢だったのだろう。

 さて、今回、鼻歌とともに少女時代の憧れをも同時に思い出したので、私はまだ草原や砂漠や秘境に行ってみたい、と思っているのかどうか、自分の胸に問いかけてみた。

 いや。

 あの夢は、どれひとつとて今の私の中になかった。
 なんだか悲しくなった。
 生理が終われば自由だと思っていたのに、今の私はあまり自由じゃない。

 つまらん大人になってしまった。

 翻って、いままさに思春期を迎えた息子。

 先日、「将来、何をしたいの」という問いに「わからん」と返してきた。

 なんか別に、やりたいことがない。どうやって見つけたらいいかわからない。感染症対策に気をつけて、とか、あれをしろ、これをするな、と言われないで自由に友達と遊びたい。ま、別にスマホがあればいいけど。

 そうだよね…

 確かに今の子供たちを取り巻く環境は厳しい。心に枷なく自由に振舞えないこの世界で、どうやって未来に希望を持ったらいいのだろう。

 私が草原や砂漠や秘境に行きたかったのは、本のおかげだった。でも、きっかけは本でも、あの頃は「行こうと思えば行ける」という空気に満ちていた。芸能人だけではなく、庶民も海外旅行に行き始めていた時代。

 動画観れば行った気になるから、それでいいよと息子は言う。スマホとオンラインがあればなんとかなるし、もうこのままずっとこれでもいいや。

 ああ、なんか、まずいなぁ、これ。
 このままじゃ、いけない気がする。

 またふと、アトラクションを思い出す。
 そうだ、あのとき感じた不気味さは、ファンシーにデフォルメされた「世界」と「世界の子供たち」が建物の中にぎゅう詰めにされていた閉塞感だったのではないか。子供にとっていまの世界は、まるであの人形の世界みたいではないか。

 互いに触れられもせず、オンラインでは相手の息吹を感じられず、大声で歌うこともできず、ただ音楽に合わせて体を動かしているだけの「こどものせかい」。

 本来は、グローバルに世界が広がり、多様性を許容するからこそ「世界は狭い」という歌だったはずだ。今の世の中は、ネットワークの情報はあふれているにも関わらず、自分を取り巻くリアルな場所が、文字通りの小さな世界になってしまっているのかもしれない。

 しかしながら今、この世界がどう見えるかと言うことは、ひとりひとりにとっても違うのだろう。あのとき、あんな閉塞感を感じたのは私くらいだっただろうし、きっとあのキラキラした世界が大好きで、心から楽しんだ人の方が多かったはずだ。こんな時代でも、しっかりと夢や憧れを持ち、日々を過ごしているこどもも、きっといるのだろう。

 我が子はどうやらマズいところに立っているようだ。
 彼が見ているのは私と同じ、米津玄師さんの歌う「間違い探し」の「間違い」のほうだ。

 この難局を突破し、世界を美しく楽しいものとして見てほしい。そして息子の「こども」の期限が切れる前に、ディズニーが願った本来の意味での『It’s a small world』がこの世界に広がりますようにと願わずにはいられない。


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