あたりまえではない出会い

仲間と話していて思い出した感覚
それは

いかにこの瞬間の出会いが「あたりまえ」ではなく
尊く、奇跡で、神秘なものであるのかということ

そこに気づくことができるきっかけは
いろいろあると思うけど

それを個人的な感覚にとどまらずに
全人類に共通の感覚にしていこうとしているのが
令和哲学だと思う
最初は何を言っているのかわからなかったけど
宇宙の仕組みと体の仕組み、考えの仕組み、心の仕組みが
つながっている、共通の仕組みであることを教えてもらい
最初は好奇心からだったけど
しっかり学ぶことを決めて
始めて真実の自分と出会った時に
やっと魂のふるさとに帰れたように
生まれて初めてじゃないかってくらいに安心して
目をあけた瞬間の美しさに涙が止まらなくなった

ついつい頭の中が「やること」そして「やりたいこと」
ばかりでいっぱいになってしまうと
ついつい置いてきぼりにしてしまう感覚なんだけど
今日はしっかり心がもどってきた感じがした

同時に思い出したのが
一緒に暮らしていた黒猫の風(るん)が死んだ日のこと
子猫でケガをしているのを拾ってきたのをきっかけに
一緒に住み始めたけど
だんだん人間の言葉もわかって
意志疎通ができているようだった
仕事で朝早くでかけて、どれだけ夜遅くに帰ってきても
必ず起きて玄関まで迎えに出てくれて
お風呂にもトイレにもついてきて困ったけど
そんなことが
あたりまえになってしまった毎日だったけど
ある日帰ったら
押し入れの中で硬く固まって冷たくなっていた
すでに硬直していたんだけど、目だけは薄く空いていて
涙でぐちゃぐちゃになりながら名前を呼び続けた
そうしたら、胸の中で安心した顔をして
きれいな顔で眠りについた

一晩一緒に寝た時に、不思議な感じだった
今までは寝息が聞こえて、さわるとあったかくて
やわらかかったのに
動きがなく、さわっても硬くなっていて
生命が感じられなくて、まるで物のようだった
模様・形はあっても生命ではなくなった
それを感じた時に

同じ生命ではあるけど
私は人間として、るんは動物として認識して出会っていた時には
人間の言葉が話せて
一緒にいろんなところに行けたらいいのにねって思っていたけど
違った
私が勝手に条件でみて決めつけてしまっていただけで
生命として出会えたことだけでも奇跡だった

物からみたら、生命としての出会いが
どれだけの神秘な出会いなのか
光からみたら、物になって出会えることが
どのくらいの奇跡なのか
ダークエネルギーからみたら光を生み出して出会えたことが
どのくらいの神秘なのか
そしてダークエネルギーのもとになる
名前もつけられない
すべての根源
源泉動きからみたら
自らを分けて
なにものかを生み出して出会いを認識できることが
どのくらいの意志を結集して
どのくらい渇望して
その一点を生み出したのか

そんなすべてがいまこの瞬間おこっている
わたしが生み出している 愛しいわたしの宇宙
わたしのストーリー、わたしの解析の世界

出会いができること
アクションに対してリアクションを認識できるということは
どれだけ神秘なのかということ
るんの死が気づかせてくれたこと

だけど、本当の自分、本当の心とつながらないと
出会っても出会えなくて
わかりあえなくて
孤独不安の心が埋まらないのも
人間の宿命的な課題

もうそこを超えられる
完全学問、認識技術が誕生している

今ここの出会いの神秘を感じていこう

画像1

#振り返りnote

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?