フリーゼン・真実

言葉の神聖なパワーを伝えるため,このアカウントを開設致しました。

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    雑話的な記事はこちらにまとめますね。

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  • 言葉のチカラ

    言葉が秘めた神聖なパワーをさまざまな方法で体験していただけるように工夫したマガジンになります。

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はじめまして

 はじめまして。私はフリーゼン・真実(まみ)と申します。  言葉というものは私たちの日常に緊密で,この使い方次第で私たちの人生を好転も暗転もさせる巨大なパワーを秘めているのですが,ざんねんなことに昨今ではこのパワーを上手く使えずに,人間関係に悩んだり,仕事やお金に苦しむ人を散見します。  そこで,私はなるべく多くの人にこの言葉に秘められたパワーの存在と,この正しい使い方を知っていただくために,本著を著すことにしました。  本著は,この言葉に秘められたパワーの様態(在り方

    • 武道と武術の違い

       私はかなり武道をやりましたが,あれの本義は,敵を制することでもなければ護身でもないのだと理解しています。謂わば,武道の本義は体感と体現によって哲学を物することですね。  哲学は,思惟によってのみ物されるイメージが強いとは思いますが,実践的に身体を動かすことでしか本質的に物することができない哲学もありましょう。武道はこれを目指すのだと考えられるわけです。  翻って,武術は敵を制する(と言いますか、殺す)ことが本質だと言い切ってしまってもよいとはおもいます。哲学をその本質に

      • 原風景の価値

        片桐「さて、君はよく自然に戻りたいと、原点回帰を曰うがね。そも自然だとか原点などというものにどれほどの特別な価値があろうか?」 白濱「だってね、君。自然とか原点といったものは、初めの、ありのままの状態というやつだよ。それから派生したところのものは不自然と言うべきではないかね。それで不自然というやつは、人が、我々が忌避すべき存在のはずではないかね?科学理論だって、諸々のデータから不自然な仮説を導くか?あれは、より自然な仮説をたてるものだろう。自然を求めることこそ、我々のア・プ

        • 言葉の欺罔

           推敲された文は得てして美しいものですね。しかし,推敲によって轢死する言葉がないと言い切れるものでしょうか?本項ではこの言葉の轢死についてお話しさせていただきたいとおもいます。  冷静に考えてみますと,自分の中の真なる言葉——例えば真に欲するモノが,必ず日本語に出来るとは限りませんよね。日本語によっては表せないものを,実は欲している,ということは,かなりありそうではありませんか?  しかもそれ(=自分の本懐)が,他人の言葉,例えば日本語という語彙によって鋳直されてしまう,

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        記事

          逆さごと

           日本には逆さごとの文化が根付いています。おそらくこの「根付」きの原因は,死者と生者との峻別にあろうとおもわれ,私たち人間のしぜんな心的傾向によるものともおもわれます。  私たちは境界のあいまいなものを得てして嫌います。この心的傾向のあらわれとしまして,抜けた途端に恐ろしく感じる髪の毛,口から出した途端に汚らしく感じるガム,従来の男女の区切りでは説明しがたい LGBT 等への嫌悪感が挙げられます。  適切で合理的な区別もある他方で,実は私たちの能力を不当に制限してしまう区

          言霊の霊験

           言霊という観念があります。これはよく言葉に宿った不思議な神力や霊力と説明されますが,ここではより構造的なお話しを致します。  私たちはあまりにも言葉に慣れ親しみすぎたせいで,この霊験や不思議さを忘れがちですがそも言葉というものは,「そうだ」と信ずることで効力を発揮するものなので,仮になんの信用もまったくしないときには,まさにその為に無力なものです。  例を挙げます。あなたが一杯のコーヒーを飲まんとするとき,まずは元となる粉を袋から出して,湯を沸かして……と,いくつかの準

          シニフィアンの形

           シニフィアンという概念があります。これは意味するもののことで、用法としては例えば〝ハート型〟ということシニフィアンで♡を表現したり,あるいは〝海〟というシニフィアンであの🌊を表現したりといったものになります。  シニフィアンはゲシタルトとして理解されます。つまり(それをテクストと呼ぶにせよ作品と呼ぶにせよ)現に現れている文字や音声としてではなく,それが意味を持つための構造の方をそう呼びます。  例えば「りんご」と甲さんが発声するのと,彼とは別人の乙さんが発声するのとでは

          シニフィアンの形

          言い間違いの真実

           私たちはよく言い間違いをするものですが,あなたはこれに隠された真実を知っていますか?精神分析学には,言い間違いを「パラプラクシス」と呼び,その発話者の本音を探るための材料として考える立場があります。  あなたの心情のふるさとから口までやってきたパロールを,どうか抛擲せずに,等閑にせずに,大切に愛でて傾聴しましょう。そして,これまでに言い間違いを「間違い」と表現してきた人は,〝彼ら〟に心よりの謝意を示しましょう。  あら,あら,私もどうやらその一人のようです。パロールさん

          言い間違いの真実

          聖なる音韻

           言葉を発声するとき,そこには発音や音韻と呼ばれるものがあります。この発声されたときの言葉をパロールと呼びます。そこで,本稿ではパロールに備わる不思議なパワーについてご紹介したいとおもいます。  あなたは普段,パロールの発音を気にしますか?どのような発音で言葉を発してきたのか,一度思い返してみましょう。  おそらく,あまり多くは想起されないのではないかとおもいます。これは多くの言葉が日常的に他人のイントネーションに惑わされ,定型的なそれに収まっており,私たちがこれを普通の