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点数社会

この世の中は点数社会です。幼い頃から点数に囲まれています。学校のテスト、通知表、部活動の成績、受験、就活、人事評価。日常でも点数に支配されています。口コミサイトの星の数を気にして店を選び、なんだか偉そうな評論家が高い点数を付けた映画を見ます。

果たして、そこに主体性はあるのでしょうか。もし高得点を取ったとして、本当の意味で利益を得ているのは誰でしょうか。

高い点数を取ることが目標になった途端に、人は主体性を失います。別の視点で言い換えると、誰かの目標を「高い点数を取ること」に設定できれば、主体性を奪うことができます。その誰かをいとも簡単にコントロールできるということです。監視さえも必要なく、自発的に「高い点数を取ること」に集中してくれるからです。

特に高い点数を取った人には、少しの飴をプレゼントして序列をつければ効果抜群です。ただそれだけです。大抵の場合、目下の飴だけ注目されるので、採点基準には疑問を持たれません。

都合が悪くなれば、その採点基準を変えればいいので、気分次第で人を管理できます。「テストの点数」を採点基準にすれば、皆がテスト勉強しますし、「クラスの一致団結」を採点基準にすれば、違う考えやスタイルを持つ少数派を省こうとして、いじめが発生します。

学校だけではなく家庭内も点数社会です。「機嫌を取ること」を採点基準にすれば、自発的に顔色を伺い、都合の良い態度を取らせることができます。例えば、学生時代には「品行方正であること」が採点基準だったのに、アラサーになると「結婚して子どもを持つこと」をいきなり採点基準にされて親との関係性が悪化した、という体験談もよく耳にします。

私たちは、そんな点数社会に生まれ、育ってきたので、点数が心身ともに染み付いています。そして、それこそが、心身を病む元凶だったりします。

誰かに採点されることは、自分の価値を握られるのと同じです。生かすも殺すも、その採点者次第です。また、不意に採点基準を変えられたり、その時の気分で0点を付けられることもあります。時に自分の努力とは無関係なので、やがて無力感を感じてしまうようになります。

また、「高い点数を取ること」を目標にすると、「失敗」が怖くなります。結果的に、練習ができなくなります。なぜなら、練習は、何回も失敗して、赤点を取ることだからです。それを無意識に忌避してしまうようになります。

例えば、一度何かの食材でお腹を壊したら、その食材を食べれなくなったりしませんか。それと同じです。

自分は、なめ茸が嫌いなのですが、幼少期、好き嫌いを認めない母が、ハンバーグの中になめ茸を混ぜ込んだことがありました。それ以来、自分が作ったもの以外は、あまり信用できなくなりました。

一度強烈な体験をすると、その物事が頭に焼き付いて、無意識にそれを避けようとします。もちろん、それは必要な能力の一つです。この能力のおかげで、人間は生き延びてきました。蛇を見れば逃げるし、火を触ったりもしません。それは、この学習能力があるからです。

しかし、人間は馬鹿なので、間違った情報や思い込みだったとしても、それを自身の辞書に加えてしまいます。そういう思い込みを修正する治療法もあります。「認知行動療法」というのですが、一人でやるのは至難の業だったりもします。

ですので、一番手っ取り早いのは、点数社会からお引越しをすることです。「高い点数を取ること」を目標にせずに、「自分の人生を充実させること」を目標にしてください。採点基準を他人に委ねさえしなければ、自分が100点だと思えば100点ですし、そもそもそんな点数を付けることさえ馬鹿馬鹿しくなります。

ただ、そこでやっかいなのが、「承認欲求」です。人に認められたい、愛されたいと思えば思うほど、誰かに高い点数を付けられたくなります。それを知っている悪い大人は、相手を愛情不足にさせたり自尊心を奪うことで、承認欲求を肥大化させて、相手を点数社会に組み込み、コントロールしようとします。

例えば、厳しめの部活動やブラック企業、謎の研修では、初期段階で「お前はダメだ!」と頭越しに否定して自尊心を奪い、相手の承認欲求を肥大化させます。そうすることで、点数社会にいとも簡単に組み込むことができます。水を売りたいなら、相手を砂漠に置き去りにすればいい。その1週間後にその相手の元に行けば、いくらでも水は売れます。それと同じスキームです。

ですから、急がば回れということで、まずは承認欲求を退治しなければなりません。これについてはアドラーという大先生がいるので、『嫌われる勇気』という本を見ていただくといいと思います。誰かに承認されなくても、自分の価値は変わりません。そんなことが書いてあります。価値があっても無くても「生きててもいい」「人生を楽しんでもいい」と自分を許すことができれば、生きやすくなります。そのためには、「◯◯しなければ生きてはいけない」という、脳みそに植え付けた条件を削除する必要あります。

点数社会から逃れるためには、点数をつけて欲しいと思ってはいけません。また、失敗を怖がるな、という言葉には影響されなくてもいいです。失敗は怖いのは当たり前です。ただシンプルに、点数社会から引っ越せばいい。それだけでいいんです。そうすれば、成功とか失敗という概念すら無くなります。自分で設定した目標を叶えるために行動するのであれば、うまくいかない物事があったとしても、それは改善策を発見しただけだからです。そこで他人に点数を付けてもらおうとするから、「失敗」という価値観が侵入してくるんですね。そうすると、失敗が怖いから練習もできなくて、そんな自分にも失望してしまいます。そんなときに、有名人が「失敗を怖がるな」という名言を得意げに語っているのを目にすると、「自分は失敗を怖がるダメな人間なんだ」と自己否定してしまいます。火を怖がるな、という方が無理があります。それと同じで、失敗を怖がるのは当たり前なんですね。

ですから、点数社会から引っ越しましょう。別に否定する必要はありません。それが好きな人もたくさんいますから。しかし、何となく生きづらさを抱えている人は、おそらく点数社会が身体に合っていません。他人に決められた物事に従うことが窮屈な人は、自分で人生の目標を設定して、勝手に審査員面してくる他人を追い出しましょう。おそらく坂口恭平さんが言っている「躁鬱人」は点数社会が苦手でしょう。私もそうです。

何でも自分で選べばいい。選ぶことは、主体性の基礎です。点数社会が合っていないなら、迷わずに引っ越しましょう。そして、承認欲求を断捨離して身軽になりましょう。それが今唯一できる、点数社会への反抗なのだと思います。





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