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心筋梗塞

2022年12月いっぱいで会社を退職し長年の夢だった小笠原諸島の父島に6月に行ってきました。
小笠原諸島から帰って来て東京で1ヶ月生活して京都、奈良、大阪、神戸と仕事をしながら7月に香川県に帰って来ました。
小笠原諸島の事や東京での生活の事は、また別の記事に書こうと思います。

心筋梗塞

何の変哲もない日常


7月の頭に香川県の家に帰って来て、ボチボチと仕事をしたり打ち合わせをしたりと田舎ならではのゆっくりとしたペースで毎日を過ごしていました。
何気ない日常がダラダラと続き、東京に居た時のスピード感や刺激は皆無です。
そんな刺激の無い毎日は退屈で退屈で。。。
そんなある日!
それは突然訪れました!!!



突然の胸の圧迫感

いつもの様に寝ていると夜中の3時に目が覚めました。
少し喉が渇いていたので少し水を口に含んで喉を潤し、また横になろうとした瞬間!!!
それは突然やってきました!
強烈な胸の圧迫感です!
何とも例え難い、痛いでも無く、とにかく圧迫感や締め付けられる感じ。
そんな言葉がピッタリです。
そして上半身、首から下と胃から上の辺りが強烈に苦しい!
痛くは無い、苦しいんです。
何か分からず、少しパニック状態です。
しばらくすると凄い吐き気もやって来てトイレに行くも何も嘔吐せず。
この間、約3分程度しか経っていないと思います。
冷静になろうと、少し座ってみますがジッとして居れない位、苦しいです。
そして全身が冷や汗で着ていた服が一瞬でビショビショに!汗がそこら中に飛び散る程です。
横になって冷静を取り戻そうとしても苦しくて無理です。
猫を見て落ち着こうと思ったら、何と!猫たち4匹が、僕の所に集まって来ました!
こんな猫が全員集まって来るって只事では無い!
猫がお別れの挨拶に来ているんだ!
僕は直感的にそぉ思いました。
そして、僕は妻に救急車を呼んでくれと声を振り絞りました。

初めての救急車

妻に救急車を呼んでくれと言ったものの妻は僕の様子にかなりのパニック状態で救急車の電話番号が分からないと言っています。
僕は容態が更に悪化して苦しさも限界状態です。
妻の
『救急車の電話番号が分からない』
って言葉を聞いた時には本当に死ぬ!と思いました。
僕は電話をしても救急隊員に喋る事も説明も出来る状態ではありません!
僕は必死で!
『119!!!!』
と叫びました。
家の近所に消防署があるのは知っていたので救急車がすぐに来るのも分かっていました。
僕は体は苦しいけど頭の中は妙に冷静で色んな事を考えました。
・夜中に救急車のサイレンは近所迷惑になる。
・部屋に救急隊員やストレッチャーが来ると猫たちがビックリして部屋から飛び出ちゃう。
・一階まで降りて救急車にすぐに乗らなくてわいけない。
そんな事を考えながら僕はビーサンを履いて苦しい胸を抑えて、のたうちまわりながらエレベーターに乗り一階まで降りて道路の端に踞り救急車を待ちました。
救急車は1分程でやって来ました。
すぐにサイレンを止めてくれとお願いして少しホッとしたのを覚えてます。

容態が急変

ストレッチャーに乗せられ救急車で病院に搬送されます。
体には心電図などの計器が取り付けられ受け入れてもらえる病院に救急隊員が連絡してくれています。
高松市中央病院はダメだったみたいで高松赤十字病院に偶然、担当のドクターが居た様で高松赤十字病院に搬送される事になりました。
救急車に乗ってすぐに、なぜか容態が急変!
一気に身体が楽になってきました。
意識もシッカリしています。
救急隊員が話している事も聞き取れます。
僕は救急隊員に
『凄く楽になったんですけど治ったみたいです。』
と言いました。
しかし救急隊員は僕の言っている事に対して何も言わずに必死で処置をしてくれています。
僕は楽になって救急車まで呼んじゃって迷惑をかけちゃったな、と思ったのを覚えてます。
意識もハッキリしていたし救急隊員が喋っているの聞いていると
『ACSの疑い!』
と言っているが聞こえました。
僕は救急車に同伴していた妻に
『ACSとは何か?調べて』
と言いました。
妻はスマホで『ACS』を検索して僕に聞こえる様に読みました。
『心筋梗塞の疑い…』
えっ?
僕、心筋梗塞なん?
凄く楽なんだけど。。。
と!思った瞬間!!
またあの胸の圧迫感が襲ってきました!!

高松赤十字病院へ

救急車で高松赤十字病院に運び込まれました。
ストレッチャーに乗せられて処置室?の様な所に運ばれ、服を脱がされ術着を着せられ点滴、尿道カテーテルをされドクターにカテーテル手術をします!
と言われました。
その時に印象深い事がありました。
手術前にドクターに
『コロナワクチンは打ってますか?』
と聞かれて、僕は
『打ってません』
と答えると、ドクターは
『よかった。』
と言ってました。
僕はやっぱりコロナワクチンってヤバいんだなぁと思ったのが印象に残ってます。
カテーテル手術が始まったのが午前4時位。
実に家で心筋梗塞の症状が起きてから約1時間以内での治療でした!
カテーテル手術をしている時は容態も落ち着いていてドクターに
『詰まっている血管が見つかりましたのでモニターを見ていて下さいね。』
と言われ、僕はボーっと自分の心臓と詰まった血管の映ったモニターを見ていました。
どうにか、命は助かったみたいです。
ドクターに僕は死にそうだったのか聞いてみると
『後、5分処置が遅れていたら死んでいるか、後遺症が残っていたと思います。素早い判断ができて素晴らしいですよ。』
と言われました。
その時、僕は本当にヤバかったんだと実感したのと共に、死ぬのってこんなに呆気ない事なんだと思ったのが正直なところでした。

集中治療室


無事に手術を終え集中治療室に運ばれました。
詰まった血管はバルーンで広げて、ステントと呼ばれる金網の筒の様な物を血管が塞がらない様に入れられた様です。
体には心電図や点滴、ステント手術をした傷の処置と尿道カテーテルが繋がれてました。
体調はすっかり良くなってました。
何も食べていなかったので空腹が酷かったのを覚えてます。
看護師さんに空腹なのを伝えるとドクターに聞いてみますね。と言ってくれました。
看護師さんによると、おそらく2週間は入院しなくてはいけなくなるとの事でした。
そして、その夜ドクターの許可が出て晩ごはんを食べる事ができました。

入院生活

集中治療室で心電図や点滴をしながらベッドの上で安静にしていました。
動く事もできたいのでずっと天井を見ている状態です。
看護師さんが気をきかしてくれてTVを用意してくれたのが救いでした。
スマホも持って無かったので外の世界との連絡も出来ませんし、コロナの影響で面会も無理でした。
あと尿道カテーテルが凄く気持ち悪くて看護師さんにカテーテルを外してもらえるかドクターに聞いてもらいカテーテルを外しました。
この尿道カテーテルを入れるのも外すのも痛くて痛くて、凄く辛かったです。
そして、大人になって初めてのオムツ生活です。
まだ自分でトイレに行く許可も出てませんでした。
オムツで用を足すのは凄く抵抗があったので尿瓶を持って来てもらいました。
ご飯はほとんど食べて無かったので大の方の便意は無かったです。
手術をしてからどんどん回復しているのが自分でも分かりました。
点滴の副作用で頭痛だけは酷かったですが、他は体調は良かったです。
ドクターも回復していると言ってくれて一般病棟に移る事になりました。
そして退院の目処は約1週間と言われました。
当初、2週間の入院が必要と言われていたのに半分になりました。
そして一般病棟に移りました。

一般病棟

一般病棟に移って個室か?大部屋か?聞かれました。
入院は1週間位って言われてたので大部屋でも良いかなと思い大部屋をチョイスしました。4人部屋で他の入院患者は僕と他に1人でしたので全く大丈夫でした。
差し入れも妻に持って来てもらってAirPodsがあればノイズキャンセリングがあるし、快適な空間でした。
それも大部屋生活2日目まででした。
4人部屋の病室にさらに検査入院であろう患者が入ってきました。
この方がずっとお喋りをしたり大した用事でも無いのにナースコールを押したり電話をしたりと、とにかく騒音でした。
お昼は我慢してたんですが夜になれば静かになると思いきや!
凄いイビキにオナラ
昼も夜も大騒音で凄いストレスでした。
個室にすれば良かったと激しく後悔しました。
体調の方は日に日に良くなり、トイレも自力で行ける様になりシャワーも浴びました。
そして退院の目処がたちました。

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