見出し画像

読書メモ|学びとは何か

書いてあることが表面的に理解できても、スキーマがないと何を言っているのかわからない
(略)
人は何か新しいことを学ぼうとするときには必ず、すでに持っている知識を使う、知識が使えない状況では理解が難しく、したがって記憶もできない。つまり学習ができないという状況に陥ってしまう
(略)
結局私たちは物事を客観的に記憶できないということだ。私たちは常に物事をさまざまな知識を使って解釈し、解釈した結果を記憶しているのである

第1章 記憶と知識

つまり数のような抽象的な概念でも、ことばを足がかりにしてパターンを学び「数というものについてきのスキーマ」をつくる。そしてそれをさらに「数一般」のような抽象的な概念にまで発展させる。
(中略)
子供はとりあえず暫定的に理解していた単語の意味を柔軟に修正することができると述べた。しかし、ものごとを捉える枠組みであるスキーマが誤っていると学習は難しくなる。熟達した学び手となるには、ひとはしばしば誤ったスキーマ、「思い込み」という知識を克服し、乗り越えていかなければならない

第2章 知識のシステムを創る

一旦じぶんでスキーマをつくりあげると、そのスキーマにあわないことは、いくら説明されても無意識に無視するか、スキーマに合わせる形で説明をねじまげてしまうことが多い。つまりスキーマが学習を妨げる軛になってしまっているのである

第3章 乗り越えなければならない壁

要するに、外国語の単語の意味をきちんと理解するためには、母国語とは別に、その外国語でのその概念領域の意味地図をゼロからつくり直さなければならないのだ。科学の概念の学習でも誤ったスキーマ克服は容易に起こらないが、外国語の学習では、ほぼすべての単語の学習においてそのプロセスを経なければならないのである。
例えば、日本語の動詞「着る」と英語の動詞「wear」とは同じ意味だとおもっているひとは少なくないだろう。しかし「着る」と「wear」の意味は、それぞれのカバーする意味範囲のほんの一部が重なっているにすぎない。「着る」の対象は体の上半身を被う着衣に限定され、ズボン、靴下などは「履く」し、帽子は「かぶる」し、指輪やアクセサリーなどは単に「つける」「する」と言う。英語でこれらはすべて「wear」の対象であるばかりか、化粧さえ「wear」の対象になるのである。さらに「着る」は身につける動作と身につけている状態を両方表すが「wear」は身につけている状態のみを表し、身につける動作は「put on」を用いなければならない。

第3章 乗り越えなければならない壁

熟達者はいちいち考えなくても必要な行動が必要なときに自然とできる。これを認知科学では「スキルの自動化」という。必要なことを意識を向けずにバックグラウンドでできるようになることである。
(中略)
ひとが一度に作業記録で扱える情報量には限りがある、したがって意識的な注意をむけずにバックグラウンドでおこなえることが多ければ、ほんとうに必要なことにだけ注意を集中することができる。これがよいパフォーマンスをする鉄則だ。

第4章 学びを極める

脳の構造も変化する。プロ音楽家と初心者の違いは単なる反応の違いにとどまらないこともわかった。この情報処理をする皮質部分の体積が、プロの音楽家は非音楽家に比べて30%ほど大きかったのである。さらに音の高さを識別する能力が高いほど、脳の活動の変化が大きく、この部分の体積も大きいことがわかったのだ。
(略)
学習過程で脳の部分的な変化はさまざまな形で現れうる。ひとつには神経細胞が活発に活動する場所が変化する。スキルに必要な特定の刺激に反応する細胞群が増え、神経ネットワークが再編成され、神経細胞の活発に活動する部位が変わっていくのである。
(略)
最初は事実として記憶された公式が何度も使われることによって手続きが埋め込まれた知識、つまり身体の一部としてつかえる知識になるのである。
(略)
無意識の学習ではなく、一生懸命覚えようとして覚える学習である。最初はルールを覚えるので精一杯だったのが、経験を積むにつれてルールは身体の一部になり、ルールをいちいち意識にのぼらせる必要はなくなる。最初は「事実の記憶」だったものでも、それを使うことをつづけることで「身体化された手続きの記憶」に変わりうるのである
(略)
つまり直感がモノをいうときに「思考の座」といわれる前頭葉などの「新しい脳」ではなく「古い脳」が働く。熟達者の直感と臨機応変な判断は、長年の習慣的な経験の繰り返しから生まれることを意味する。

第5章 熟達による脳の変化

「生きた知識は」目の前の問題を解決するのに使うことができるだけではない。新たな知識を創造するために使うことができる。新たな知識はゼロからは生まれない。すでに知っている知識をさまざまに組み合わせることで生まれる。人は想像力と今持っている知識を組み合わせることによって無限に新しい知識をつくっていくことができる。覚えただけの知識はつかうことができない。つかえないから他の知識と合わされて新しい知識を生むこともないのである。
「思い込み」に導かれた思考のしかたで素早く知識システムを立ち上げようとするのは、誤りはあとから修正すればいいことを子供は知っているからだ。しかし、誤ったスキーマがシステムの土台となってしまっている場合はうまく機能しない。
(略)
コロンビア大学のディアナキューンによれば、エピステモロジーは「絶対主義」→「相対主義」→「評価主義」という3つの発達段階をたどるとしている
科学的知識とは
・証拠によって実証されるべきものである
・そのためにモデルを構築し、実験によって具体的に吟味可能な仮説をたて、実験からの証拠に照らして評価されなければならない
・仮説は多くの場合複数あり、どれが最もすぐれたものであるかを証拠に照らして評価する必要がある
本当に達人は思い込みを排除して現場を観察し、記憶や判断がスキーマで歪まないように意識的にコントロールしている。直感に頼った素早い判断、素早い学習は、熟慮による修正を伴って初めて精緻な知識のシステムへ成長していくことが可能になるのである

第6章 「生きた知識」を生む知識観

フロリダ州立大学のアンダースエリクソンたちの研究で、より達成度の高い熟達者は、達成度の低い熟達者に比べ20歳までに約3倍もの練習時間を費やしていること、アマチュアレベルのひとたちの累計練習時間は十分の一でしかないことがわかった。ただ、時間をかければいいわけではない。達成度の高い熟達者たちは、練習を楽しみではなく向上のために行なっている。
本当に必要な集中力というのは、困難な問題を途中で投げ出さずにやり抜くために集中力のコントロールができることだ。自分が最も大事だと思うことを長期にわたってやり抜く訓練を小さいころから継続していくことしかないのではないだろうか

第7章 超一流の達人になる

ここでいう「粘り強さ」は、「根気」と失敗してもあきらめない「打たれ強さ」の両方と思って欲しい。超一流の熟達者になるために最も大切なことは、集中した訓練をずっと何年も何年も毎日続けられることだ。創造性は訓練の積み重ねの先に生まれる。その過程において必要な「粘り強さ」は同じことを日々新しい視点でずっと続けられる心、つまづいてもあきらめずに乗り越えられる心だ。子供はもともと発見創造を得意としている。しかし、飽きっぽい。こどものうちに鍛えなければならないのは創造性よりむしろ、難しいことをすぐにあきらめず、同じことをくりかえすことに飽きたりせず、粘り強く続ける力なのである。その粘り強さを育むのが遊びだ

子供を上からひっぱり上げるのではなく、自分でよじのぼっていけるように環境をつくり、下から少しだけ支える、レベルの設定が現状よりも高すぎても低すぎてもうまくいかない。現状での子供の知識を見極め、ちょうど良いレベル設定をする。間違いを頭から否定せず、辛抱する。誤ったスキーマを持っているときにはそれを見極め、子供が自分のスキーマがおかしいことに気づく設定をする。それが教師や親の役割ではなかろうか。子供が自分のスキーマが誤っていることに気づき、じぶんで修正することができたら、その喜びと感動は、テストで良い点をとってお小遣いをもらう比ではないはずだ。子供の発達の段階、知識の段階に合わせて子供が自分で発見し、自分で進化できるような状況を設定する。これは座学で学べることではない。親も教師も教えることの熟達者でなければならない。そのためには自分自身が学び続ける探究人になるしか方法はない
(略)
大事なことはひとりで考えることをおろそかにしないことだ。超一流の熟達者ほどひとりでの練習に時間をかける。
(略)
”私たち人間は楽な方に進みがちです。変化することはいつだって難しいもの。だから、日々の生き方、考えかたから変えていけたらと思っています。ほんの3-5%の小さな意識の変化、それが大きな違いを生むのです。”ラグビー監督エディジョーンズ氏
エディさんは日本人は従順であるように教育されている、とも言う。その日本人選手を極限まで追い込んで変えようとしていたこと、それは「自分で考える」意識をつくることだった。

終章 探究人を育てる

知識はつねにダイナミックに変化し、生き物のように成長し、いまある知識があたらしい知識を創造していく。母国語を習得するときにには誰もがこのような「生きた知識の学び」をしている。この知識構築、創造の姿こそ「主体的な学び」の本来の姿であるはずだ。

おわりに

この本を読んだあとに、たまたま以下のYouTubeを見ました。脚本家の福田靖先生のエピソード(18:53 / 53:17)はこの本を読んでたからとても面白く聞けたと思います。福田先生がどれほど追い詰められながら努力をしてきたのか、その結果超人的な仕事ができるようになったわけをスキーマをもって理解できたのだとおもいます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?