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読書メモ|あのこは貴族

母の京子は華子と同じ名門私立女子大を卒業後、一度も外で働くことなく医者に嫁いだ、典型的な箱入り娘だった。趣味はお茶と歌舞伎鑑賞とポーセリンペインティング。平日は昔からの女友達と時間をかけてランチし、美術館に行ったりバレエを観たりするのに忙しい。彼女自身の社会経験の低さに反比例した夫の社会的地位の高さのせいか、本人に自覚はないが驕慢な態度が骨の髄までしみつき、悪意のない決めつけや高みに立った正論ばかり口にした

小学校からの仲良し六人グループで集まったときは、既婚組の二人が結婚話に、婚約中の二人が挙式披露宴の話に終始していて、立場の違う自分たちとは話がまったく噛み合わず、なんだかしらけてしまった。(略)彼女たちが話すことといえば家庭の愚痴ばかりで、独身の華子と相楽さんの耳には取るに足らない些末なことに思えて仕方ない。彼女たちは言うなれば結婚によって男の操縦する立派で頑丈な船に乗せてもらったようなものなのだ。一方の華子は小波にも転覆しそうなボートで、自らがオールを握っている心許なさ

「いまどきの男の人って、家族を養おうっていう気がほんとにないよね。あたしは、お父さんがサラリーマン、お母さんが専業主婦っていう普通の家で育ったし、別に仕事が好きなわけでもないから、普通にそのうち結婚して、子供産んで、専業主婦になるんだろうって思ってたのね。でもそれをいうと引かれちゃうんだよ。親の代とは違いますからって、できればフルタイムで働いて生活費もだして欲しいって言うの。それが無理なら派遣でもパートでもいいから、少しは稼いでほしいって。そのくせ、家事とか育児とかはする気なくて、最初から女に丸投げする気満々なんだよね。うちの旦那さんも、家のことしてっていうとめちゃくちゃ不機嫌になって、空気を支配してくるの。昭和のお父さんかって感じ」

この男とのお見合いは華子をひどく疲弊させた。スペックだけを見れば、際立っているのは明らかだが、彼はあまりに男性的で、マッチョで、擦れっ枯らしの大人だった。自分に合う人ではないとそうそうに辞退して、帰りみちでは早速「あの人はおねえちゃんの再婚相手にいいんじゃないかしら?」と麻友子に勧めた。しかし、世故に長けている麻友子は「ああいう男があたしを選ぶわけないでしょ」と断言した

勉強は、美紀の唯一の特技だったが、父には歓迎してもらえなかった。塾の費用を出してくれたのは母だった。(略)
「女なんだから料理くらいしろ」早速父に水を差されて、会話はすげなく終わってしまった。父を前にすると、美紀はなにも言えなくなった。いつごろからか悟ったのだ。父みたいな人には、なにを言っても無駄なのだ。美紀はもう10代の不機嫌な娘のように、考えの違いを主張したり、食ってかかることなどしない。父のような人を変えることは不可能だろう。

バーで働きはじめてみたものの、夜の世界には深入りしたくないと思っていた。東京にはあまりに性的メッセージが氾濫している。電車に乗れば週刊誌の中吊り広告に堂々とセクシャルな見出しが踊り、アパートの郵便受けには「デリヘル嬢募集!日給三万円〜」などと書かれた風俗チラシがしょっしゅう投函された。(略)都会で女が風俗業界に身を落とさずに生きていくのは、それなりに強い意志がいるのだなあとしみじみ思ったりした。男の性欲は社会全体で容認されており、若い女よ、お金のためにさあ体を売れという誘惑は、街中にばら撒かれている

悪びれたところもなくいい、確かにその左手薬指には、クロムハートの偽物くさいゴツめのシルバーリングがしっかりはまっているのだった。ああ、またか…と美紀は肩を落とす。気安く声をかけてくるのは、決まってこの手の既婚者だった。既婚者の男はみな驚くほど図々しく余裕しゃくしゃくで、暇つぶしのゲームかなにかのように軽々しく女を口説こうとする

「女同士の義理?」
「近松門左衛門の浄瑠璃にそういう言葉が出てくるんです。文楽とかで上演される「心中天網島」っていう有名な話なんですけど」
(略)
あるとき遊女が、彼と心中の約束をしているんだけど、本心では死にたくないから、わたしのこと諦めさせたいの、みたいなことをほかの客に言っているところを、たまたま彼に見られちゃうんです。でも実は、遊女の芝居だったんです。実は彼の奥さんが遊女に手紙を送っていて、そこには夫に死なれては困りますって書いてあって、遊女は奥さんの手紙に心を動かされたから、嘘を言ったわけなんです。
遊女は奥さんの気持ちを汲んでちゃんと手を切ろうとするんです。でも、その後奥さんは、遊女がこのままだと自殺しちゃうんじゃないかって心配になって、自分や子供の着物を売って遊女を身請けするお金を作ろうとする、そのお金で遊女の身請けをして助けてくれって旦那に懇願するんです。
「結局心中するんだよね」
「はい。でも、男も遊女も、ちゃんと死ぬ時に奥さんに義理だてして、一緒に死なないよう気をつかったりして、そこも他の心中ものと少し違ってるんです。

「いまあたし、ファッション系のアプリを作ってる会社にいるんだけど、一見するとオフィスには女性が多いのね。でもそれって非正規雇用の女性が多いってことで、正社員でいうと女性の数って実は少ないの(略)
「女性が働きやすい職場を目指してますって、会社のホームページにでかでかと出してて、それをみたテレビ局が何年か前に取材にきて、働く女性系の持ち上げた内容にして放送してたけど、実態はそんなんじゃないのにって、みんな冷めてたな。結局ベンチャーでも、女性社員はいつもきれいな格好をして、にこにこ愛想よくして、場を和ませたり、感じよく電話とったり、すすんで雑用してくれるような昭和のOLみたいな存在を求めらるんだよ。

若い女の子ととおばさんは分断されてる。専業主婦と働く女性は対立するように仕向けられる。ママ友はこわいぞ〜って子供産んでもいないのに脅かされる。嫁と姑は絶対に仲が悪いってことになってる。そうじゃない例だってあるはずなのに、男のひとはみんな無意識に女を分断するようなことばかり言う。(略)もしかしたら男のひとって、女同士にあんまり仲良くしてほしくないのかもしれないね。だって女同士で仲良くされたら、自分たちのことはそっちのけにされちゃうから。

ティーカップをソーサーごと持ち上げ、音もなく紅茶を啜る華子の姿を美紀はちらりと盗み見ながら思った。幸一郎は自分と同じ世界、サークル、階層に属する華子のような人と結婚することを端から決めていて、だから美紀のような女がどれほど後天的に魅力を備えようと、いい女ぶろうと、本命には決して選ばないのだ。

「男の人ってすごいね。なんか所有欲の塊って感じ。でもまあ、持ってるものが急になくなっちゃうのは、やっぱりショックなんじゃない?」
「前はさ、あたしなんていなくてもいいみたいな感じだったのに」
だったら最初からちゃんと付き合うとか大事にすればいいのにね

「とてもよかった」と映画を知人にすすめられたので、原作を読みました。キャストはわかっているので、映画を観るような気分で読めました。美紀は水原希子さん、華子は門脇麦さん、幸一郎は高良健吾さんです。これ以上ぴったりな配役ないんじゃないかな。
山内マリコさんの本は初めて読んだのですが、目に見えない微妙な感じをすごくわかってらっしゃるし、それを説明というか表現するのが上手だなあと嬉しくなりました。共感するところが多かった。だれも悪くないのも今っぽくてとても好きです。

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