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流浪者の憂鬱

「答えのない世界を生きる」小坂井敏晶 読了

この本を読み終わったのは那須塩原に向かう電車の中だった。湘南新宿ラインに揺られて、ダウンロードしたばかりの邦楽を聞いていた。

永遠のループが怖くなると甘い声で女性ボーカリストが歌う。目的地に近づくにつれて電車の窓から見える木々は冬枯れていてこっちはまだ冬なんだなと思う。東京は春でお花見の予定なんて相談したりしてるのに。

答えのない世界を生きる
臓器移植、人工授精、代理母出産、遺伝子治療、人工多能性幹細胞など、生物科学や医学の発展と共に過去には不可能だった、あるいは想像さえされなかった技術を人類は手に入れようとしている。それらは近代精神が成し遂げた偉業だろう。しかし神は存在せずー

※原文のまま引用

ユーラシア大陸を放浪し早稲田大学を中退後、アルジェリアでの通訳経験を経てフランスの大学で教鞭をとる筆者の視点は面白い。近頃の学生の学問に向かう姿勢(日仏問わずあまり変わらないようですね)から自分で物事を考えるヒントや文学や社会学のような人間のテクノロジーを引き上げる役目を果たさない学問が異邦人としてどう役に立つのか。筆者の生い立ちとフランスに辿り着いた道程、なによりも筆者の苦悩と共に書かれている。

今日の異端者は明日の救世主かもしれない。と全体主義への警報を鳴らす。効率を追い求めノウハウ取得やテクニックに優れ最適化された人材が世に放たれていくことを憂うのだ。

どこか、文章に憂鬱な雰囲気が感じられるのは何者にも成れない自分、全体主義に馴染めない外国者としての自分、根無し草のように生きてきたと思いながらも、何がしたいのか何ができるのか何をすべきか探すことをやめられないという学者としての自分ゆえ苦悩だろうか。

自身でもセミナーを運営したり、講師としてテクノロジーの意義を広めたり、そしていまはセミナー会社の手伝いをしたりしていると、なんの為にこの人たちはここに来ているのだろうと思うことがある。もちろん理由は人それぞれでいい。

問いを追いかける術を知る

筆者や講師の思考を追体験する

ただ、日常業務をこなす為のノウハウを知る

では学習へののぞみ方が違ってくる。あの講師がホワイトボードに書く本を実際に買った人、読んだ人はどれだけいるだろうか。

先人の叡智の先に、さらに積み上げようと既存の型を破っていく人はどれだけいるだろうか。

答えはない、問うことに価値がある。問い続けることに価値がある。

中小企業の代表の仕事は商品開発と市場開拓が主である(資金準備後)と教わった。それができずに深刻な状態になった会社にいたこともある。

どちらも課題にぶつかり頭を悩ましても答えはない。
毎日毎夜考えて答えが出なくて、何日かして忘れたときに突然少しだけ進む道が見えたりする。
これを筆者は固定観念や従来の知識、思考パターンが邪魔しているのだという。忘れたときに無意識が教えてくれるのだと。それは必死に問う人だけに訪れる御褒美だろう。

頼りなくて確信なくて「もしかしたらこっちかもしれない」とそっちに歩いてみようと決める。歩いた先でまた課題にぶつかる繰り返し繰り返し繰り返し。

もしかしたら無意識を育てることが生きる上で大切なことなんじゃないかと思う。

著者でもノーベル賞受賞者に移民や2カ国以上にルーツを持つ者が多いことを上げて異文化へ触れること、異邦人としての目を持つことの大切さをあげている。己の色と形と固さと違えば違うほど得られるものは大きい。問題に対して取れるアプローチの数が大幅に増える。そして、無意識が連れて行ってくれる思考の跳躍も。

当然ながら湘南新宿ラインにも宇都宮線にも日本人しかいない。那須塩原に近づいたときに外国人観光客を少し見た程度だ。自分は異なる視点をいくつ持てるだろう。持っているだろう。当たり前に全体の一部として生きていて、その中で優劣を競っている。そんなことに意味はあるのか。

筆者と悩みがシンクロしていく感覚がある。
世界を旅して、異邦人として外国で暮らした筆者と自分の間では大きな乖離があるとしても。

思考の跳躍、第六感のようなものに根拠をつけられる人を自分は羨ましく思う。それができる人が企業人と大成する人だと思う。人が思いつかない道筋を照らして、理解し難い方法もちゃんと説明して納得してプロジェクトを押し上げていく。

自分は、それが(根拠説明)ができないから独立したわけだけどね。代表なら根拠なんてなくても(上手くいく限りは)やりたいことできるから。

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