この物語はまだ完結していない | 映画『めぐみへの誓い』
今回、縁あって拉致問題を描いた『めぐみへの誓い』という作品を鑑賞する機会をいただきましたので感じたことを綴っていこうと思います。
作品紹介
13歳の時に北朝鮮に拉致された横田めぐみさんを中心に、拉致被害者とその家族の苦悩と闘いを描いたドラマ。
団夜想会主宰の野伏翔氏が演出・脚本を手掛けた舞台劇「めぐみへの誓い 奪還」を、野伏監督自身がメガホンを持ち、映画化した作品。
あらすじ
映画として「伝える」「知る」ということ
「皆さんは、拉致問題を知っているでしょうか。」
多くの日本人はこう聞かれたら「知っている」と答えるでしょう。
ただ、「皆さんは、拉致問題についてどれくらい知っているでしょうか。」
と問われたら本作を見るまでの私であれば多くを語ることはできなかったように思います。
現在、警察庁が発表している北朝鮮による拉致の可能性を排除できない行方不明者は872名もいるそうです。
また、2002年に5人の拉致被害者が帰国をしてからもう既に20年の時が立とうとしています。
こうした、事実がメディアでは報道されることは少なく、またメディアで報道されたとしても心を痛めつつもどこか自分ごとではないのが私を含めた現在の多くの日本人の実情だと思います。
「どこか自分ごとではない」この感覚をひっくり返す力を持つのが本作でした。
私は、映画というメディアの価値は映像を通して、想いや感情を追体験させるという点にあると考えています。
中学1年生の横田めぐみさんが船に押し込まれ、泣きながら、お父さんやお母さんに助けを求めるシーン
朝鮮語を覚えたら帰国できるという約束を反故にされて、絶望のあまり精神が破綻していくシーン
もうね、心が痛いんですよ
あまりにも惨くて、目を背けたくなる
追体験という言葉を使いましたが拉致被害者の絶望や苦痛、被害者家族の悲しみや苦悩は我々が到底想像できるものではないと思います。
ただ、それだけの「リアル」がこの映画にはありました。
上映後の野伏監督のお話で1つ印象に残っているお話があります。
それは横田早紀江さん(めぐみさんのお母さん)に電話をすると今か今かと待っていたように電話に出られるという話です。
被害者家族からすれば電話1つとっても少しでも良い話なのではないかと常に期待をして電話に出られる。
世間では、段々と拉致問題自体が風化しようとしていても被害者家族は40年以上も常に闘っている。
そんな「リアル」がこの映画には詰まっていました。
自分ごとではない日本人対して、拉致問題について知り、自分ごととして考えさせる。出来ることは何でもやる。
そういった野伏監督のタイトルの通り、めぐみへの誓いを感じる作品です。
この物語はまだ完結していない
上映後の野伏監督のお話の中でとても重く刺さった言葉がありました。
拉致問題を解決するには政治の力が必要。ただし、拉致問題は票にならないのが現状。
私はどこか拉致問題の解決は政治が癌になっているんだと感じていました。
ただ、野伏監督の話を聞いて政治家の拉致問題への無関心を作り上げているのは我々に無関心ではないか。癌は我々自身なのではないか。
本作の予告編の最後にこのような言葉が流れます。
本作のラストは、横田早紀江さんが街頭で署名活動を行っているシーンで終えていきます。被害者家族の苦悩や闘いは終わっていません。
決して風化をさせてはいけないという想いとともに1人でも多くの人の目にこの作品が届けばと思います。
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