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承認欲求という波にのまれたくない

誰かに認められたい、認めて欲しい、こんなことを思うことって誰しもがあるんじゃないかなーと思う。

マズローの欲求5段階説でも上から2番目に位置する承認欲求。
2番目だから承認欲求を満たしている状態は割と幸せなステージだったりする。

ただし、この承認欲求の段階を満たしていない場合、劣等感や無力感を覚えるので、結構危ういステージなんじゃないかなと。

承認欲求の弊害

承認欲求を持つことは人間の原理として当然のことだし、持ってはいけないとは全く思っていない。ただ、承認欲求というのは自己評価ではなく他者評価というのが少し怖い。

他者に認められたいと強く思う承認の欲求は、下手をすると自身を責め、劣等感を感じて気力をなくす可能性があると思う。それは承認欲求が強いあまりに、他者の意見や考えに左右され過ぎてしまうからだ。

例えば、上司に認められたいから一生懸命頑張とか同僚に認められるために努力するとか、そんなこと。その行動が認められる時はいいけど、人の考えは千差万別で、認められない場合もある。認められない時、どうするか。

認められるようにもっと頑張るのではないだろうか。

頑張ることはとってもいいことかもしれない。しかし、認められたいがための行動は他人に左右される。

認められるための行動→認める人もいるが認めない人もいる→より多くの人に認められようとする→認めてくれない人それぞれに向かって行動する→基準がバラバラになる。

これってめっちゃ苦しそう。

そして、流行ったのがアドラー心理学でも言われていることである。縦の関係ではなく横の関係が良い人間関係になるとか。他者の課題と自分の課題を分けるとか。

他人を気にしないというのは正直なかなかできることではない。だから、できないではなく、簡単にできる方法で、この考えを入れることはできないか考えた。

その一つの方法は、

目的を自分が属するコミニティへの貢献にすること

横の関係であっても縦の関係であってもそのコミニティにどう貢献しているかを自分で確信していることが重要。そのコミニティの誰かに認められるかどうかではなく、そのコミニティが発展することに自分が貢献しているかどうかを考えるべきだと思う。

例えば、飲食店で新メニューを開発する仕事をしていたとする。毎月毎月新しいメニューを考案して、上司に提案をする。認められるメニューもあれば認められないメニューもある。認められなければ落ち込むし、その行為自体を褒めてくれる人がいないと続かなかったりする。

その時に、新メニューを提案し続けることが店にどう貢献しているのかを考える。旬のものを届ける店になっているのは自分の日々の提案があるから。褒められたいけど、自分は「新メニューを提案すること」でこの店に貢献していると基準を作ってそこに向かって行動する。

向けるべきは自分の属しているコミニティに貢献しているかどうか。

コミニティに貢献できているかを考え行動すること。それは会社単位でもいいし、支部とか部署・店舗単位でいいと思う。

貢献の度合いを確認すること。

貢献の仕方は人それぞれだけど、その貢献の度合いが割と大切だったりする。貢献の度合いが低いとコミニティに属していられなくなるからだ。コミニティの方向性に対して自分はどんな貢献ができるのか。その貢献度の高さはどのくらいまで引き伸ばせるのか。これを考えてコミニティに関わるといい。

コミニティの意思に対して自分のできる貢献の仕方は何かを考える

友さん(離島キッチンの板前さん)は自分の貢献の基準が確立している。だから、周りの環境が変わっても友さんの基準が満たされていれば離島キッチンにいるんだと思う。誰かに褒められるとかそういうのではなくて、人が美味しいと喜ぶ料理を作っている。それも和食としての価値を提供するという基準で。

そして、離島キッチンの方向性は、離島の販路の拡大だ。料理を美味しいと思うことはそれだけその食材に価値があることの証明でもある。(これはマーケティングしないといけないけど)

離島キッチンの中は本当に褒める文化がない。それでも友さんが離島キッチンにいる理由は他者に認められたいではなく、自分が美味しい和食を作り、それが店にとっての貢献度が大きいと確信しているからだ。

料理とか陶芸とか絵描きとかは自分の基準を確立しやすい場所だと思う。その基準を属しているコミニティで貢献できるのかを考えるのはすごくシンプル。誰かに認められることよりも自分の中の価値基準を見つけ、いかに貢献するかを考えることが重要なんじゃないかと思う。




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