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大好きな場所が暮らしのすぐそばにある、その意味とは

大好きな場所があるからこそ、私は京都で暮らすことを決めた。観光ではなく、日常のなかでそばに置いておきたい場所がたくさんあるから。旅行のときにだけ訪れるのはいやだ、散歩がてら訪れたりするように日常のなかにもっと大好きな場所を組み込んでおきたい。そんな気持ちで私は京都での日常を過ごしている。

初詣に、久しぶりに下鴨神社を訪れた。私は京都の数ある神社やお寺のなかでも、上位で下鴨神社が好き。足を踏み入れたとたんに変わる空気感や、季節で移り変わる緑の深さ、そんな緑を抜けた先にひっそりとある本殿など、ここにしかない空気がただよっている感じが好きなのかもしれない。

下鴨神社といえば、十二支ごとの社があることで有名。自分の干支の守護神の前で参拝をするスタイルで、より近い存在に気持ちを伝えることができる気がする。

そんな下鴨神社、今の家に引越しをする前は徒歩15分くらいの場所にあったので、私にとっては散歩がてら立ち寄る場所だった。散歩の途中にふらっと立ち寄って、自分の干支の前で手を合わせる。朝5時頃に訪れると、同じように近所の人たちが散歩がてら社の前で手を合わせる姿をみかけて。6時頃には近所のおじいちゃんおばあちゃんが集まりラジオ体操が始まる。そんな日常の姿の延長にある下鴨神社が好きだった。

引越しをして家が遠くなり、下鴨神社までバスで40分かかるようになってしまって。散歩がてら、日常の延長で気軽に訪れていた場所が、「よし今日は下鴨神社に行くぞ」と意気込まないと、バスに乗らないといけない場所になってしまった。それが、遠くて少し寂しい、と感じる。

暮らしの半径2キロメートルの範囲にどんな場所があるか、何が見えるのかというのは暮らしのなかでは大切だ、とふと思う。たとえ1泊2日で大好きな場所に旅行に行けたとしても、日常を彩る風景を愛せないと、日々を丸ごと好きでいることなんてできない。

前の暮らしの範囲にあった好きな場所を訪れると、胸がぎゅっとなることがある。たとえいまの暮らしが十分に満たされていたとしても。そういう胸がぎゅっとなる場所がたくさんあることは、切ないけれど人生においては豊かさの証明のひとつになるのかもしれない。

部屋から見える景色さえも、愛したい。

前の暮らしの大好きだった場所を訪れてみて、いまの暮らしの中に”好き”を見つけようとしてみる。意外とそれはすぐ近くに存在していることに気づく。次の暮らしへ移ったときにはきっと、いまの暮らしでさえ切なく思い出すのだろう。その繰り返しなんだ。

いまの暮らしはいましかできないのだからこそ、この暮らしの半径2キロメートルの範囲内で私が大好きだと思える場所をたくさん見つけていたいのです。

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散歩日記

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