古着がだいすき
今日は、大したことないトピックについて(毎回自分のために書いているので大したことないことばかりですが)。
わたしが今もっている衣類の8割は古着だ。
その半分が、母からのお譲りで、もう半分は自分で古着屋で買ったもの。
ずいぶん前から、古着が好き。
高校生くらいからか、とっておきの一張羅は古着だった。
なぜそんなに好きなのかと問われても、理由はない。
洋服は好き。でもブランドには一切こだわりはない。
ブランドで着るものを選んだことは、ほとんどない。
誰かと同じものは着たくないという意志だけは幼い頃からあって、何をするにも被るのが嫌いだったから、その意識が単なる古着好きへと昇華されたのかもしれない。
先日、ずっと気になっていた古着屋さんへ行ってきた。
1時間くらい、あれやこれやと吟味して、手に取ったキルト地のスカート。
試着をしていると「いかがですか」とカーテン越しに声をかけられる。
試着したのをお店の方に見てもらうのって、わたしは全然慣れてなくてかなり気恥ずかしいのだけれど、その方は淡々と「うんうん、かわいいですね」と表情一つ変えずおっしゃって、逆にその淡白な感じが信頼性を高めていた。
結局、その時はスカーフだけを購入したのだけれど、その日の夜に紫のキルト地で、細胞分裂しているような柄のあのスカートが夢に出てきてしまって、「あ、やっぱり逃しちゃダメなやつ」と思って結局通販で購入した。
スカーフの会計をする時、お店の方に「貴女はアメリカの50年代から60年代のものをよくお手に取られますね」と言われた。
まったく意識していなかったけど、そうらしい。
「覚えておきますね」と言うと、さっきまで淡白だったお店の方がパッと目を見開いた。
「わたしがその年代のものを好きなのだということ、覚えておきますね」ともう一度言うと、はじめてはにかんだ笑顔を見せた。
ふだん、お店で声をかけられるのは苦手なのだけれど、古着屋さんだと不思議と嫌じゃない。
きっとそれは、わたし自身が古着に惹かれる理由がわからなくて、でも誰かの手を経てたどり着いたものだということは分かるから、その時空の奥行きみたいなものを、一緒に探してほしいのかもしれない、と思った出来事。
新春から、よい買い物をした。ほくほく。という話。
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