「好きを仕事に」は無理でした
今日、同僚のお姉様から「あなたはいつから書くことを仕事にしたいと思ってた?」という質問を受けた。
うーん、と考えて、一番最初に物語を作って書いたのはもう何歳かも覚えていない頃でしたね、と答える。
それから自分で小説を載せるウェブサイトを作ったり(HTMLで)、ブログを作ったりして、27歳の今もこうして飽きもせずnoteを書いているし、わたしが書いた原稿にお金を払いたいと言ってくださる方もいる。
根っから生かされている立場だ。
「書くことを仕事にせねば」と戦略を練ったり、今のような仕事のいただき方を虎視眈々と狙っていたわけではない。
書くこと自体は、ほぼ物心ついたときから始めていて、でも「何を書く仕事に就きたいのか」は、長い間ぼんやりしていた。
新聞記者やライター、小説家、コピーライター、エッセイスト……。
「書くことを仕事に」と言っても、種類はいろいろ。
同じ「書く仕事」でも、求められることは違う。
例えばわたしは小学生のころ、小説家になりたかった。
中学に上がると文章の上手な子たちに囲まれて、人知れずショックを受けたけれど、わたしが書くものを楽しんで読んでくれる友人たちもいたから、めげずに書くことを続けられた。
高校時代は部活中心の生活で、実はほとんど文章を書いた記録がない。
勉強をしながら、ノートのメモに何かしら書きなぐっていた記憶はあるけれど、小中のころのように小説や長い日記を書くことは格段に減った。
大学生になって、SNSが登場し、ふたたび自分が書いたものを人目に晒すということを始めた。
その頃もまだ「わたしは何を書くことを仕事にしたいのか」分からなかったし、「書くことで生きていけるのか」と、半信半疑だったように思う。
けれど一人旅の最中に「あなたが書くものを読みたい」と言ってくれた人たちと出会ったからか、帰国後は「書くことで稼げるのかやってみよう」と思い立ち、いわゆるライターの仕事を、アルバイトやインターンを入り口に探し始めた。
よく「書くことが好きなんですね」と言われる。
たしかに、すき、なのかもしれない。
でも、やっぱり、ちょっと違うんだよなあ、と、実はずっとずっと思っていた。
「好きを仕事に」って、たしかに、そうなったら、すてきだ。
でも、わたしもそうなのかな?
うーん。
そして、今日、冒頭の質問を受けて改めて思うのは、わたしは「書くのが好き」というわけではなかった、ということ。
書かずにはいられない、なにか書いてないと死んじゃうのだ。
書いていないと死んじゃうかどうかは書くのを3日以上やめたことがないからわからないけど、そもそも好きかどうかを考えたことがなかった。
気づいたら何かを書いていたし、夢中だったし、たまたま続いているだけだ。
むしろ「これが好きだから絶対手放さない」とこだわれるのが、うらやましい。
わたしには、他にできることがないのだ。
ときどき、本当に社会不適合者なんじゃないかと不安になるし、実際不適合感をいだいて拒絶されたような気持ちになることもある。
でも、しようがない。たまたま、こうなったんだから。
ただ、時々『魔女の宅急便』のウルスラの台詞のように、書けなくなる時がある。
「どうしても描けなくなったら描くのをやめる。なにもしないと急に描きたくなるんだよ」というあの台詞に、何度救われたことだろう。
たぶん、書かなくなることと、書けなくなることは違う。
書けなくなるのは、苦しい。書きたいのに書けないから、つまりそれは命の危機だ(書くのをやめたら死んじゃう説が本当なら)。
苦しみを乗り越えるには、少し距離を取る。また書きたくなるために、書くのをやめるのはショック療法というか麻酔というか、とにかく余白を作るためだ。
食らいつかずに手放す。そうすると、帰巣本能が働くのか、「書くこと」が、わたしのほうに帰ってくる。
「好きなことを仕事に」って、もうここ数年すっかり言いはやされて、板についてきたようにも思うし、この言葉に救われた人もたくさんいるだろう。
同時に呪いのように「好きなことを仕事にしなくちゃいけないのか」とがんじがらめになっている人も、実は一定数いるように思う。
べつにどっちでもいいんじゃない、とわたしは思うけれど、たまたま続けられたこと、たまたまいま目の前にあることを、大事にしていればいつかそれが自分を助けてくれるかもよ、とは、思う。
わたしがブログを書いていなければ、出会えなかった人たちがいるように。
わたしが細々とでも書くことを続けていなければ、出くわせなかったチャンスがあるように。
追記(9/13 12:00):noteを読み返して思ったけれど、わたしは最初っから自分のために書いていたし、今もそのつもりだけれど、結局常に読者がいたから続けられたんだなと、気づいた。名前も知らない誰かであっても、目の前の友達や家族でも、必ず、わたしが書いたものを読んでくれる人がいた。何かを続けていくには、それを受け取ってくれる人がいることは、自分のためにやるのと同じくらい、大事なのだ、きっと。
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