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平成3年生まれのインターネットメモリアル(ホームページ作成編)

ド深夜に、Instagramに写真と何気無すぎる日常のつぶやきをしようとしたところで、はたと気づいた。

こういうこと、昔からやっていたような気がする……。

いやいやInstagramはずっと前からアカウント持ってるし、noteでも取るに足らなすぎる、くしゃみみたいなつぶやきも垂れ流しているし、当たり前だよねーと思いつつ、懐かしい感覚のこのデジャブ。

何かな、と記憶を遡ると、かつて写真一枚と500文字くらいまで文章を投稿できる「ヤプログ」というショートブログを書いていたことを思い出した。

と、同時に次々と蘇ってきた、わたしのインターネットメモリアル。

同じようなことをしていた同世代や、懐かしみを感じていただく方がいたら、あわよくば、10年以上前にネットで交流していた人と再会できたら……なーんて淡い小さな期待を込めつつ、わたしがインターネットと出会ったとき、当時何をしていたかを遡っていきたい。なんとなく、ここに未来のインターネットの片鱗みたいなものも、ある気がする、なんとなく。あとは単純にインターネットカルチャーの一部として記録しておくと後から読み返したとき面白そうなので、書き残しておく。

9歳で触れたインターネット

わたしがパソコンを使い始めたのは9歳のとき。きっかけは、小学校1年生のとき担任だった大好きな土屋先生が他校へ異動になり、どうしても連絡を取りたくて、メールアドレスをもらったことだった。先生からもらったメールアドレスに、ゆっくりキーをたたいてメールを送り、土屋先生とメル友になった。

その後、インターネットに掲示板というコミュニティを見つけた。土屋先生とメル友になってからしばらくして、わたしはハリーポッターにハマっていて、ハリーポッターのファンが集う掲示板を見つけたのだ。

そこでは、本や映画の感想、裏話、キャラを使ったオリジナル小説まで展開されていて、一気にハマった。友達と遊ばない日、習い事がない日はパソコンの前に座り込んで、ひたすらハリーポッター関連の掲示板に書き込みをしていた。

自分のホームページを作る

2000年に入ってから、わたしは自分のホームページを作った。どうして作りたくなったかは忘れてしまったが、初心者はまずガイアックスの無料アカウントをとるべし、という情報を仕入れ、初めて自分のホームページを開設した。
だからわたしはガイアックスと聞くと、まずこの無料のホームページ作成サービスを思い出す。(2004年にサービスを終了したらしい)

この時期をガイア期と呼ぶことにする。ガイア期は、何かを発信したいとか、つくりたい、なんて意思はなく、とにかくホームページを作ることがすべてだった。絵の具で絵を描いたり、粘土で何かを作ったりするのと同じ。だから、カテゴリやページもデフォルトで設定されていたものだけだった気がする。

次に見つけたインターネットコミニュティは「ふみコミュ」である。(現在の表記は「フミコミュ!」)

2000年代に入ってすぐに、ふみコミュの掲示板上を使ったいじめが発覚してある地域の学校で問題になったとき、テレビなどでもちらちら名前が出てきたから、知っている人も多いかもしれない。

ふみコミュには、テーマに沿ったチャットルームと掲示板上が100個以上あった。とくにアイパスも要らず、いつでも好きなとき、好きなところに、好きな名前で参加できる。(今は変わっているかも)

そして、このふみコミュにはホームページランキングというのがある。

「10代」「20代」「東京生まれ」「静岡生まれ」「恋愛」「スポーツ」「日記」「小説」……。ここにも様々なカテゴリがあり、各カテゴリにはたくさんのホームページがエントリーしている。今でいう、ブログ村みたいなものだと思う(ブログ村にもエントリーしているサイトはいくつかあったが若い女子は圧倒的にふみコミュ経由だったと思う)。

投票用バナーを設置して、来訪者に投票してもらう。トップ3は、だいたいどのカテゴリも固定の猛者がいて、あとは変動するといった感じだった。

このあたりから、わたしはガイア期を卒業し、2スタ期に突入する。

2スタとは、「2style」というこれまた無料のホームページ作成サービスのこと。
ただし、難易度はガイアックスの数倍上で、HTMLを自ら打ち込まないとサイトができない。ただ設置したいページにチェックを入れて設定すればいいガイアとは、ワケが違う。

ちなみに、、、わたしは突入できなかったけれどら2スタ期の次は一般的にロリポ期(ロリポップの有料ホムペ作成サービス)が来る。余談だけれど。

ただの英数字の羅列にいったい何の意味があるのか、最初はトンチンカンだったが、何度かいろいろ試すうち、どうやら<font color=#ffffff>は文字が白になるらしい、とか、</br>は改行らしい、とかいうことがわかってきた。

2スタ期に入ってから、わたしもふみコミュとふみコミュが運営するもう一つのホームページランキングに参加した。
また、できることが増えたため、一気に「diary」「link」「real」「text」「novel」というページをそれぞれ作った。

diaryは、日記。日記が主流のコンテンツのホームページには、登場人物(リアルな友だちや恋人、先生などが偽名、もしくは本名で登場する)のプロフィールページまで作成しているサイトもある。

linkは、文字通りリンク。なんのリンクかというと、ホームページに使った写真やボタン、背景画像やイラスト素材を借りたサイトのリンクであることが多い。
そして重要なのが「相互リンク」という部類のリンク。これは好きなサイトや相性の良さそうなサイト管理人を見つけたら「相互リンクしませんか?」と誘う。これがホムペ管理人の友達づくり第一歩、だったりする。同時に、有名なサイトや人気サイトの方と連絡が取れて、うまくいけばお互いホムペのバナーを貼りっこできる。アクセスが伸びるだけでなく、バリューが上がるのだ、「あのサイトさんと相互さん(相互でリンクをはっているサイトのことを相互さん、と呼ぶ)なんです☆」と言える。当時の10代インターネット女子にとっては、カリスマ的サイトとの相互リンクは、喉から手が出るほど欲しいものだったのではないでしょうか。

次にreal。これがまさに冒頭の「Instagramの前身」なのではないかと思う。もしくは、Twitter。でもTwitterほど拡散力は無く、世間に問う感じもないから自己満度の強いInstagramが、やっぱり近い。
これは主に携帯から投稿するショートブログで、リアルタイムのつぶやきを写真と文章、もしくはどちらかのみで投稿するページ。
わたしはヤプログというサービスを、長らく使っていた。もうアカウントがないので思い出せないけれど、かなりいろんなことをつぶやいていた気がする。結構、アンニュイな気分の時に投稿していた。

textは、文字コンテンツ。今でいう、連載コラムみたいなものだろうか、、、ポエムにも近い。textが人気のサイトはなかなか無かった気がする、というのもわたしの印象だけれど、あまり明るい内容のtextページを見た記憶がない。いわゆるメンヘラポエムは、ここに集約されていたのかもしれない。

novelは、文字どおり小説。2スタ期に入ってから、わたしは小説の連載を始めた。ホムペを作ってから数年は、この小説がわたしのサイトのメインコンテンツになった。
短編、読み切り、長編……いろいろ書いたなあ。今でも覚えているタイトルは、「ひまわり」「さよなら」「雨が降る日には傘をさして」「Time Limit」などなど。
並べてみると、大変こっぱずかしいけれど、当時は真剣だったし、割と読者がいた。先ほどのふみコミュのランキングのうち、小説カテゴリで上位に食い込んだときは嬉しかった。相互さんと、リレー小説を書いたこともあった。

カテゴリは増えたり減ったりしたけれど、2スタ期は、だいたいこんな感じで運用していた。

素材屋さんに憧れる

ホムペを作る上で、コンテンツも大事だが、デザインも重要だ。

ガイアは正直スマートな見た目ではなかったし、文字色や背景色くらいしかカスタマイズできなかったので、2スタでデザインを考えるのは楽しかった。

その上で、HTMLを組みつつ、大事なのは写真やイラストなどの素材。

当時は、写真素材やイラストを扱っているサイトがたくさんあった(今でもあるけど)。中でも、オリジナルのポップな写真やかわいいイラストを無料配布しているサイトが、たくさんあった。
プロのイラストレーターや、デザイナーというよりは、たぶん普通の女の子が運営しているサイトだと思うけれど、結構いろんな素材があって、見て回るだけで楽しかった。

パステルカラーのかわいいふわふわ系にしたいなら、この素材屋さん。スタイリッシュな空写真を背景にしてシンプルデザインにしたいなら、このサイト。極彩色のギラギラした攻めの雰囲気を出したいなら、このホムペ。などなど。

とにかくお洒落なサイトが多かった。素材屋サイトに限らず、ほぼすべてのサイトは独自のオリジナルバナーを持っていて、linkページにはそのバナーをお互い貼り合うのだが、センスのいいバナーは自然とアクセスが集まり、有名になる。
GIFでキラキラ動いていたり、デザインが個性的だったり。わたしも一生懸命自分でバナーを作った。あんまりカッコいいのはできなかったけれど、GIFの作り方はそこで覚えることができた。

また、サイトのメインコンテンツが小説だったわたしは、素材屋さんに憧れた。単純に、「すてきだな」と思う相互さんやサイトは、すべからくオリジナル素材を配布していたということも、触発された理由だったと思う。

そこで、自分で写真を撮ってサイトで公開し始めた。いわゆる、写真素材屋さんだ。が、しかし、これは2スタの容量の問題で長続きせず、すっぱり諦めた。

素材モデルという存在

ホムペ用の素材は、繰り返すが写真やイラストがある。中でも、人物写真はホムペの印象づけるのに効果的だ。

当時は、素材モデルさんという女の子たちがいた。今でも無料の女の子たちの写真があるけれど、あんなこなれた感じじゃない。もっと「自撮り感あふれる」写真で、かわいいモデルちゃんの素材は、いろんなところで使われていた。
彼女たちはプロではない。中にはセミプロみたいな子もいたようだけれど、ほとんどが一般人だった。

わたしは人物写真はあまり好きでは無くて、素材モデルさんの写真はほとんど使わなかった(素材モデルの雰囲気的に、今で言う赤文字系の女の子が多かったのでわたしのサイトには合わなかった)のだけれど、今、彼女たちは何をしているのだろうか。そして、今でも素材モデルという言葉、肩書きは存在するのでしょうか。

2000年初期と今で変わったこと

SEOなんて言葉も、アクセス解析なんかも、全然知らなかったし、気にしていなかった2000年からの数年間。

現在にかけて大きく変わったのは、インターネットでの本名&顔出しが当たり前になったこと。

わたしは自分のホームページでも決して本名は晒さなかったし、顔だってもちろん非公開だった。他の相互さんたちも、ほぼ全員ハンドルネームを使い、顔出しはしていなかった。

だから、一番ネットから離れていたであろう高校時代を経て、ふたたびインターネットの波にもぐったとき、いつのまにか顔出しが当たり前、本名で発言は珍しくなくなっているネットの世界にとても戸惑った。

個人の発信力が強くなり、SNSができ、簡単に使えるウェブサービスも増えたことで、個人のホムペを作る人も減ったように思う。もちろん、かつてのふみコミュ近辺のユーザーを見れば、まだあのコミュニティは生きているかもしれないのだけれど。

いずれにせよ、ネットの説得力と影響力は以前とは比べ物にならないくらいになった。それが良いか悪いかは、また別の話だけれど、ホムペを作りこんでいた当時は、本当に楽しかったなあ。

そういえば、ホムペ、という略し方自体、なういでしょ?




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