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限界のあるリアリティを強いるソウル・キャリアー~ウイングメーカー<リリカス>の智慧から学ぶ


取り組んでいることに限界を感じるとき。
この<限界感>はどこから来るのだろう。

自分自身の内面から迸る閃きに任せて無心にその<閃き>の先にきらりと光る希望に導かれ、探し求めていた真実への隠された入口を見つけたと心躍らせて夢中になった<あの時間>は何処へ。

それは内宇宙からふと顔を上げて、周囲を見渡した時に、圧倒的な疎外感の中にいる現実を実感した瞬間に、眩い光に輝く景色が荒涼した人気のない砂漠に変わること。

自らが望んで取り組むことが、周囲の意識世界と乖離しているその現実を知る手段が<数字>であるならば、全くもって、情けない状況にあるのがわたしのブログです。

ブログ発信の目的は、もちろん人によって違うし、自由なプラットホームであると信じていますが

永久凍結された<呟きSNS>のこともあって、ブログの世界にも、規定が曖昧で謎で、何かしらの言論統制はかかっていると思われます。

そのような<痕跡>を管理画面で発見して、ちょっと気持ちが落ち込んでいるわけでして。

最初から愚痴になってごめんね。


わたしは、自己満足のためだけに記事を書いているわけじゃないし、<スピリチュアルはもういらない>という風潮が高まったとしても

真実のスピリチュアルが、<いのち>そのものである以上、無名の砂粒のような私でも大きな<意図>があってやっています。

(ものずごく言い訳がましいな)

だけど、だけど、

極端に少ないけれど、いつも見に来てくださる読者の方が0にならない限りは、続けようと思っています。


隠された<真実>が反転したのは2012年からのこと。

夢のようなスピリチュアルは欺瞞だったというけれど、生と死の世界が丸ごと命の日常であることを知る機会を逃している人はまだ大勢いると思います。


それを受け止めての<今>を生きるとき、宇宙連合が遠隔でこの地球をサポートしてきた25,000年の年月の中で、唯一未来からの情報を、物証として地球上に残すことに成功したのが、ウイングメーカーだといいます。


それは、とんでもなく高度な宇宙科学の情報であるとともに、<意識>そのものである宇宙の真実の中で魂と呼ばれるものが何であるのかを、あらゆるカテゴリーにそのヒントを潜ませて私たちにそのパズルを個々に組み上げるよう、素晴しく知的な仕掛けが綿密に設計されています。


そこに明確な<答え>や<方法>を見出すことは出来ない。だけど、無数の答えがその情報から創造されることに、宇宙の本当の<意図>があるとわたしは受け止めています。


<リリカス>の対話においても、延々と続く問答が、話をややこしくさせるほどに、細密に心の機微に踏み込んできます。

心の世界は、個人的なものだけど、根源で一つに統合されるという<銀河法典>があります。それにも、ウイングメーカーが大きくかかわっているのです。何が本当なのかを問い続け、探求し続ける理由はきっと、それ自体が魂の宇宙への忠誠心の証明だからでしょう。

なんか今回は、理屈っぽい感じになったな。

では、気を取り直して<リリカス>の探求を続けましょう。


【ウイングメーカー リリカス対話篇】より引用


ファーストソースの意志の理解とその知識を所有することは、同じこと⁉

老師は、「知識の性質」というテーマの中で「啓発する力」と「破壊する力」の両方を持つものは、それをどう扱えば良いかという問題に対して、ファーストソースの視点で弟子に対していろいろな問いかけをします。

ここでも弟子は、神の知識を獲得するテクニックは存在するのか?と老師に尋ねるのですが、老師はそんなものは存在しない。私たちは、悟りや神の知識をもたらす公式や儀式、教師が存在すると信じ込んでいるのだ。といいます。

弟子は事あるごとに、<テクニック>にこだわるんですよね(笑)

例えば「破壊の知識」がどうして多くの人々の手の中にではなくごく少数の人々の手の中にあると思うか?大量に人類を殺戮する知識が、何故これほど入念に保護されているのか?

という問いに対して、弟子は、当然ながら、そのテクノロジーの破壊力ゆえ責任ある政府によって管理され、コントロールされる必要があると答える。

確かにそうでなければならないです。

そして、大衆を破壊する力は、大衆を啓発する力の対極にあるだろうか?と

弟子は分からないと答えますが、老師は言います。「もし、お前に人類を啓発する力や人類を破壊する力が与えられたとしたらどうだろうか?お前は地球上でもっとも強力な人物になるのではないか?」

これ古代から現代に受け継がれるすべての支配者意識の理想ですね。

「もし、この両方の力が与えられたとしたら、それをどのようにして行使するかそれをどうやって決めるのか?」と老師は弟子に問います。

そして、人々の個々の希望や自由意志に対して統一性を行使するなんて出来ない。ということ、この両方の力を持つことは、大抵の人が神に委ねているタイプの力であるという結論に至ります。


こういった問いをした理由として、老師は弟子にこう言います。

「お前が神の知識を得ようと思ったならば、お前は神の立場についての若干の視点を持たなければならない。お前には、それを垣間見てほしかったのだ」

ここで老師が念を押しているのは、人間が生み出した神の知識を得ることが人間として持てる知識の限界。そして、真の神、ファーストソースの知識を得るためには、ファーストソースの意志にフォーカスすることであると言います。

老師はこの後、5次元的現象の例え話をします。

「仮の話に戻ろう。破壊の力が単に思っただけで作動するとする。もしもお前が怒って破壊の力が作動してしまったら、お前の怒りを買ってしまった者は破壊されてしまうだろう」

弟子はすぐ反応して

「それは、啓発にも同じように作用するのでしょうか?つまり、考えただけで啓発することができるのでしょうか?」

「ああ」と老師は答えます。


そして、老師は弟子に、お前は一日に何度、怒りを感じたり、誰かを啓発したいと考えるか?と尋ねますが、弟子はその日によって違うし、分からないと答えます。

でも、そうなれば間違いなく、自分の思考以外に、私は人を助けたり、傷つけたり出来ないことを理解します。言い換えれば、その場の感情によって人を傷つけたり啓発したり出来る。


コントロール出来ない感情。

そして、その感情がそのまま現実になる時、「破壊」も「啓発」も瞬間に作用しそれは他の誰にも止められない・・・・・・ということですね。


弟子「では、もし私が神の知識を持っていたとすれば、自分の思考や感情をコントロールするための規律を持つことに意味があるのでしょうか?」

老師「いいや、それに意味はない」

弟子「何故でしょうか?」

老師「お前の支配的な現実(リアリティ)は、人間のすべての弱さと欠点を持っているからだよ。お前は自然に発生する思考や感情を持つように設計されている。お前には刺激に反応するという本能があり、自然に発生する思考や感情をコントロールすることは出来ない。お前はそれを抑えることは出来る。お前はそれを無視することも出来る。お前はそれを消すことも出来る。しかし、それは限られた一定の時間だけだ


弟子「そして、それが私が神の知識を持つことが出来ない理由なのですか?」

老師「その通りだ」

弟子「では、思考や感情という自分の衝動をコントロール出来ないというその無能のために、全ての人間は限界の世界に閉じ込められているというのでしょうか?それは不公平に思います」

老師「恐らくは。しかし、その同じ限界が心を解放するのだ」


さて、限界を持たされた人間、衝動のコントロールが正しく出来ないように設計された人間。そして、その「同じ限界が心を解放する」とはどういうこと?


老師は弟子にファーストソースの意志を知っているか尋ねます。弟子は「いいえ。しかし、何が神の意志を調和し、何が調和しないのかという考えを持っていると思います」

そういう弟子の返答に、老師は問い返します。

老師「ならば、お前が本当に何が神の意志と調和し、何がそうでないか知っていのであれば、お前はファーストソースの意志を知る必要があるのではないか?」

弟子「わたしが言いたいのは、私が神の意志の一般的な方向性や意図を知っているということです」

そう、弟子が知っているのは、愛と光が神の意志と調和し、悪と闇が神の意志と調和しないということ。しかし、弟子としては、光や闇、善と悪の微妙な違いをくべつすることは出来ないと思うと言っています。

そう思い至った理由は、それが弟子自身が教えてもらったものだから。その教えは何処から来たかといえば、先生たちからや、読んだ本だと。

その教えの中には、神の意志は理解不可能だとある。だから、愛ある行動が神の意志と調和し、悪が調和しないと漠然と判断しているわけだ。と老師に言われてしまいます。

そして言います

老師「もし、わたしが神の意志を理解することと、神の知識を所有することは全く同じことだと言ったらとしたらどうする?」

弟子は???ですよ。そして懸命に答えを引っ張り出します。

弟子「もしも神がその創造から何を望んでいるかが私に理解できれば神の知識のカギとなる要素を理解できるのだと先生が言っているのだと感じています。言い換えれば、神の知識を得るためには、神が私に何を望んでいるのか、神が私にどうなって欲しいのか、私は知る必要があります」

老師「では、神はお前にどうなって欲しいと思っているのだ?」

弟子「自由になることです」

老師「限界から?」

弟子「はい。正しくその通りです」


来ましたね。ここから話は佳境に入っていきます。



ファーストソースは、何故限界のある現実(リアリティ)を強いるソウル・キャリアーの中にあなた方を置いたのか


老師「ファーストソースは、お前が限界のない世界で生きることを望んではいるが、ソウル・キャリアーを創造し、限界の中で生きるよう定めた。お前の限界を払いのけることが神の意志であると、どうしてそう思うのだろう?」

弟子「私に限界が無ければ、精神的な認識を縮小させているものから自由になれるからです」

老師「では、すべての限界から自由になったとき、お前は何をするつもりなのだ?」

弟子「良くわかりませんが、それは至福で仏陀が涅槃(ニルヴァーナ)と呼んだ欲望からの自由に喩えられると思います」

老師「なぜ、神はお前を創造し、限界のある現実(リアリティ)を強いるソウル・キャリアーの中にお前を置き、お前を教育する複雑な宇宙を構築し、お前をただ涅槃や至福の状態に入ることを許すために、ありとあらゆる教師にそのことを委ねたのだろうか?

弟子「分かりません。それが今私が理解しようとしている部分です」

老師「それに間違いはないか?」

弟子「はい。確かに私が理解しようとしているものの一つです」

老師「お前がそれを理解しようと思っているのならば、私の質問に答えてみよ」

弟子はたじろいでその答えを自分は知らないと逃げ腰になります。でも、老師に厳しく詰め寄られます。

老師「出来る限り、それを明確に表現してみよ」

弟子「神が宇宙の都合の良いように私を教育し、それから宇宙をただ楽しむために私を解放するという事に意味がないということは同意しますが、他に何をしたらよいか分かりません。誰もこのヴィジョンを鮮明に描くことは出来ないと思います」


開き直った(笑)

でも老師は冷静に弟子の答えを受け止めて言います。

老師「お前が表現したように、そのヴィジョンはある計画に尽力する中で見出される。その計画とは、非分裂な知覚状態として、宇宙存在である唯一の本質を認識するために共同で魂を広げていくことだ

ただ楽しむための解放はない。

至高の解放のプロセスに置かれた<ある計画>って何でしょう。

尽力するってどういうこと?

非分裂な知覚状態って、どんな状態?

共同で魂を広げる?


謎だらけの老師の言葉で、今回は終わらせていただきます(笑)

分かる人はもうすでに知っているでしょうし、この計画に参加していますよね。



ではまた!

今日もご訪問いただいて最後までお読みいただき

ありがとうございました(´▽`)


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