夢からのメッセージ
私にとっての”好き”とは何か。
今日夢で2人も大学教授の老夫婦と会った。
夢の中でも知らない人で、初対面。
格好いい2人に魅了されて話を聞かせて貰っていた。
お婆さんに「私はただ好きなことだけをやっていたの、貴方も好きなことだけをやればいいのよ」と言われたのが印象的だった。
それに対して私は「何が好きかがあんまり分かんなくて、何してもいいよって言われてもぼーっとしてしまう、考えるのは好きだけどそれ以外のことはもう何も別にいらないってなるんです」って答えてた。
夢の中でも私である。
これも、もしかしたら思い込みかもしれない。
その後にお婆さんからの返答はなくて、ただ凛々しくも優しい顔で私の言うことを聞いてくれていた。
返答がないって時点で何かを考えさせられる。
朝起きてすぐ、ちょっとこれは覚えておこうとメモをしたのだった。
本当にそうだろうか?
本来は好きな事も沢山あって、それを楽しむのも上手なのかもしれない。
好きなことがありすぎて困るくらいに、色んなものに熱中出来る性分なのかもしれない。
頭でっかちな時間を長く過ごしたので、色んなことが鈍くなってしまっている実感はある。
頭ではなく、身体に聞く。
例えば最近、食事に対しても”頭が欲している”という事が分かってきた。
今は田舎でスーパーも近くにないから、
時々街に降りて買い物ができる時、ついついお菓子や甘いものを買い込んでしまう。
添加物てんこ盛りのジャンキーなものとわかっていながら、嬉々として食べる。
そしたら、なんとも言えない違和感が身体に広がる、全然満足しない。
頭は御目当てのものを食せて満足しているけど、“身体は満足していない”らしいことが分かった。
欲しがってたのは頭だった。
刺激を欲しがっていたのはこの頭で、それを得るという一瞬の刺激で脳が快楽に溺れている感覚。
一番大事にするやるべきなのはこの身体なのに。
身体は要らないものが入ってしまってどこか悲しんでいるようにも思えた。
それを感じて私自身も虚しくなってくる。
次からは出来るだけ、身体の言うことを聞きたいなと思ったりした。
これまで一度も身体の声が聞こえたことはなかったから、前よりは麻痺が解けてきたのかもしれない。
調味料を変えたり、食べるものに気をつけたり、というのを半年くらい続けた成果もあったのだなと思った。
眠っていた身体感覚が起きてきたんだと思う。
だから自分の”好き”についても、身体からの声が聞こえるようになったらいいなと、今回の夢をきっかけにそう思った。
夢には続きがある。
私は老夫婦に弟と会って欲しいとお願いし、私と弟と老夫婦との4人で食事をすることになる。
弟に向けて今まで黙っていたお爺さんがようやく口を開く。
「君は今でも賢いけど、本来はもっと賢い人だよ。だから勉強しなさい。1を勉強して、その次のステップ2に行く時、その間を理解することが重要なんだよ。学ぶことで最も重要なことはその間を理解することなんだ。」
それを横から聞いていた私も、口をあんぐり開けて、なるほど…と衝撃を受けていた。
それで夢は終わるのだけど、起きた途端メモをした。
何を伝えたいか、何を書くべきかが先行して書くことすら楽しめなくなってしまう、完璧主義が行き過ぎて好きが嫌いにすらなる。
実感があったからこそ、夢の中のお婆さんのアドバイスをすぐさま実行して、起きてすぐにこのnoteを書いている。
楽しく書けたらいい。
内容なんて気にしなくてもいい。
このnoteはやっぱり、私の為に活用することにした。
私の”好き”を取り戻すためのリハビリだ。