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自称クリエイターからの手紙。

私には時々、どこからともなく手紙が届く。
こうやって。

【フォロワー全然いないじゃん。いいねだって全然少ないじゃん。なんで、こんなことやってるの?】

私は、律儀に考える。
なぜ、やっているのか。
なぜ、表現を、発信を、続けているのか。
誰のために?

青い光

「一億総クリエイター時代」って、誰が言ったんだっけ。
思い出せないけれど。
その言葉の通り、みんながみんな表現をして、発信している、そんな時代だ。

全ての人がクリエイターになれる時代。

でも、全ての人が、発信で食べていけるわけではないし、評価されるわけではない。  ほんの一部の人だ。

私は写真家だ。
こうやって、文章を書くこともある。
しかし、作品を作って、発信して、得られる収入は、ゼロだ。
もはや職業とは言えないのかもしれない。ただの「自称」写真家だ。

それでも、作品以外のことで収入を得ながら生活し、家族に協力してもらったり、睡眠を削ったりしながらなんとか時間を作って、こうやって発信をしている。  

程度の差はあれ、私と同じ様なクリエイターの人は、少なからず存在するのではないだろうか。
夢のためとか、いつかのためとか、楽しいからとか、人気者になりたいとか、有名になりたいとか、
理由はたくさんあると思うけれど。

心を掘って、掘って、掘っていくと、
ガツン!と大きな硬いものにぶち当たる。

それは、無意識の奥に閉じ込めた気持ち。

私は、ある時、過去の辛かった出来事を振り返るのをやめた。
心に封印した。
見ないように、感じないようにした。
自分のメンタルを安定させるために必要な作業だった。

しかし、辛い気持ちと一緒に、あの時私の側にいて、救ってくれたものの記憶まで、一緒に封印してしまっていた。

そのことに気づかせてくれたのは、ある作家さんのnoteだった。  

心の地下二階から、湧き出るように、押し込めた気持ちが、溢れた。
その時、また手紙が届いた。

【あなたが、人生で最も辛かった時はいつだった?その時、あなたの側にいてくて、救ってくれたものはなに?】

幼少期の私を救ってくれたもの。
それはたくさんの本。深夜のラジオ。

休職していた私を救ってくれたもの。
それは一冊の写真集。

いつからか私は、写真を撮って、文章を書くようになっていた。
あの時の、辛かった私を励ますかのように。

「あの子に届きますように。」
無意識にそう思っていたことに、気がついた。

コルクの代表で編集者の佐渡島さんの記事を読んで、無意識だった自分の気持ちがさらにクリアになった。

「自分」は一人しか存在しないけど、いろんな時間軸で見れば何人もの自分、ペルソナがいる。あの頃の自分なら、何という言葉をかけてほしいか。企画って、そうやって自分に長いラブレターを書くようなものなのかもしれません。  

なぜ、表現を、発信を、続けているのか。
誰のために?

かつての私を救ってくれたものたちの偉大さ、素晴らしさに感謝している。
かつての私のために、表現を、発信をしている。
心の奥底にいる、かつての私に、少しでも楽になってほしくて。

今日も、自分からの手紙に、自分で応える。
今日も私は、表現をしている。発信をしている。
たった一人でも、あの子に届いたらいいなと願いを込めて。

私は、今、かつての自分に、長い長いラブレターを書いている途中だ。


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