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雨あがりの夕暮れどき        ~小さなあいさつが響く朝~

家は地下鉄から歩いて3分、とても利便性のあるところ。
なので交通機関は先ず地下鉄から。毎朝、家族もわたしも地下鉄から出かける。なので私立の中高や大学もそこから学生たちはやってくる。
地下鉄とは逆方向に家から2ブロック程行ったところに、市立の養護学校がある。その養護学校には通学バスもあるが、通える子たちは自力で通う。
私立の児童生徒と混じって養護学校の子どもたちも地下鉄の出口へ昇ってくる。

ある時、ある少年を見かけた。やわらかい雰囲気の丸顔の少年だ。歩き方にぎこちなさがある。何年生かはちょっと判らない。ひとりで通ってきてるのだ。わたしには印象的だった。

わたしはフリーな動きをしていたので、一日をルーティンをもって過ごすのはここ一年あまりの間ほどだ。この一年の間にこの少年に逢っていたのか、それ以前のことだったのか、日々のめまぐるしさの中で判らなくなっていた。しかし、わたしはまたその少年に出遭えた。

先週、その少年に再び出遭えた。と、わたしは思った。わたしにとってはそうであっても少年にとってはどうだろうか?と、思っていたら目が合った。
わたしは思わず、おはよう!と言っていた。マスク越しで聴こえたかどうかというほど小さい声だったと思うが、少年は笑っていた。うれしい。
少年もこのおばさんに会ったことある、と思ってくれたのかな。うれしい。
というか、その後も毎朝わたしの出勤時間に遭う。わたしはほぼ同じ時間に家を出て同じ時間の電車に乗るので、その少年も自分の時間の電車に毎朝遅れずに乗っているのだろう。今朝は、首を縦に振って応えてくれた。
うれしい。

本当に日常の中の小さな瞬間で、言葉にならない声でおはようと言い、ほんの一瞬目が合って…それだけなのに心の中にぽっとあたたかいものが浮かんでくる。一日の始まりを照らしてくれる笑顔のひかり。不思議。
ありがたい。

このような小さなあいさつと呼べるかどうかわからないような声かけであっても、人は何だかのエネルギーをいただく。その一言が届くことで人は何だかの喜びを分かち合う。その声が聴こえることで人は孤独から一瞬解放される。そのような辛さをわたしは知っている。

少年よ、わたしはあなたとのあいさつにどれだけ励まされているか知っている。毎朝あえることにありがとう。少年よ、悲しいときは泣くことができる、苦しいときは助けてということができる、痛いときはこの痛みを取り除いてと頼むこともできる、少年よ、どこまでも自分の道を行くのだよ。
わたしはいつでもあなたの幸せを祈っています。

多謝。

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