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当事者とは誰か ー『おかあさんの被爆ピアノ』と3.11

第二次世界大戦終戦から75年目の節目を迎えた2020年、夏。
一台のピアノが福島県須賀川市にやってきた。
「被爆ピアノコンサート」と題されたその演奏会には、地元のアーティストや東北に縁のある歌手が参加して、一時間ちょっとのささやかな平和な時間を提供してくれた。

"被爆” と “ピアノ” という言葉のコンビネーションに、一瞬ぎょっとするのは私だけではないだろう。悪魔的な響きと優雅さを感じさせる言葉の組み合わせは、アンビバレントとさえ言える。この言葉の違和感を確かめたい。その思いが私の足をコンサートまで運ばせたが、実際に現場を目の前にして得られた感情は、思っていた以上に複雑だった。残念ながらとても今の自分の筆力では書き表せそうにもない。

映画『おかあさんの被爆ピアノ』と私の震災

演奏会を聴き終えたあと、私はある映画観た。
『おかあさんの被爆ピアノ』だ。

昭和20年(1945年)8月6日8時15分。
広島県に投下された一発の原子爆弾は、街とともに多くの人の命を一瞬のうちに奪った。被害者数は推計14万人と言われている(2019年2月時点 広島市HPより)。
教科書や毎年真夏に行われる「全国原爆追悼式」を通して、その人類史上最悪と言われた悲劇について、私たちは長崎の8月9日と同様に当たり前のよう知っている。だけれど「知っている」ということ以上の何か ー 共感や悔しさなどー を得ることは、私の人生の中では到達しえない領域だった。

平成23年(2011年)3月11日14時46分18.1秒。
宮城県牡鹿半島 東南東沖130km地点を震源とした東北地方太平洋沖地震が発生した。死者数1万5899人、重軽傷者は6157人、行方不明者は2525人(2020年10月時点 Wikipediaより)。
「いつ起きてもおかしくない」言われて続けてた大地震が、ついに起きた。その瞬間「地震が起きる」ということは、私の脳みその “知識” を飛び出して、目の前に広がる “現実” になっていった。想像してたよりもずっと無情で、悲惨な形で。

震災発生当時24歳の私には、受け止めきれない現実だった。不思議なことに、「帰ったら負け」とまで忌み嫌ってた自分の故郷がなくなるかもしれないと思ったとき、私は純粋に、「失いたくない」と感じていた。

失いたくない故郷と失われてしまった命。生きている自分。
それからの人生は、私にとって「震災後の余生」となった。

当事者とは誰か、という問い

『おかあさんの被爆ピアノ』では、 “被爆者の子孫として生きる” ということがひとつの大きなテーマとして含まれている。劇中で使われる「被爆〇世」という表現そのもの(とそれが現実にあるという事実)が、原爆投下がもらたした罪の重さを表している。
私の心に深く響いたのは、主人公で被爆三世でもある江口菜々子の父・公平が「家族は当事者じゃないのか」と妻に投げかけるシーンだ。被爆二世であることを世間に知られないよう、また三世である娘にも苦労をかけないように、自分のルーツをひた隠しにする妻・久美子。彼女の悲しみや苦しみを分かち合うことさえ、自分には許されないのかと公平が訴えかけるシーンは、「当事者とは誰か」ということを深く自問させる。

「そこにいるのは私だったのかもしれない」

「私より辛い人がいるから」
これは震災後、東北でよく聞かれた言葉だ。この言葉を前に、私は何を思えばいいのか、正直今でも分からない。
だけど、ひとつ、この10年という時間を経て感じるのは、「そこにいるのは自分かもしれない」という実感だ。
原爆投下当時には生まれていなくとも、「被爆〇世」として生きる人と、私は同じ時代に生きている。それは私だったかもしれない。たまたま私じゃなかっただけかもしれない。思いもよらない大震災とそれによる原発事故によって、故郷を追われたのがたまたま自分であったように。

昔、社会学者の先生が3.11について出版した本の中で「他の土地で起きている社会課題を過度に同一化して考えることをしてはならない」といった趣旨の文章見かけたが、その真意を当時の私も今の私も、まだ理解できずにいる(おそらく社会学的に考える時、という意味だったのだろう)。

だけどどうしたって考えてしまう。それがどのように悲惨で、どのように悲しかったのかを。その後を生きる人がどんな思いで過ごしているのかを。

この作業をし過ぎると、正直、しんどい。
だけど10年を経て今私はようやく、このしんどさを「ギフト」かもしれない、と思えるようになっている。この消化しきれないしんどさを抱えて、それでも向き合い、考えるとき、私は少しでも「当事者」に近づいているのかもしれない(あるいはそう信じたいだけかもしれないが)。

「そこにいるのは私だったのかもしれない」
――この仮説を携えて、与えられた人生を一生懸命生きること。
これを震災後10年目の "私の姿"として、記しておきたい。

『おかあさんの被爆ピアノ』
監督:五藤利弘
主演:佐野史郎・武藤十夢

被爆ピアノによる平和運動で知られる実在の人物・矢川光則さんの活動をベースに、被爆ピアノを携えて全国を巡る広島のベテランピアノ調律師と、そのピアノを巡り自らのルーツをたどるヒロインの出会いから広島までの旅路を描く物語。

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