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過疎地って何が問題?私たち幸せですよ。

さて、2023年一番はじめのnoteです。
一昨年にやっていた「月のお便り」。満月と新月の日に記事を公開するという試みでしたが、「やっぱ自分のペースで更新したいな~」と言うことで去年は一旦お休み。ですが、ここにきて「やっぱり決まりがないと書けないな~」という気持ちが再び芽生えて、もしかしたら今年は復活させるかもしれません。ひとまず、本年初めての満月の日にこのnoteを更新しておこう、ということでPCに向かっています。あっぱれ行ったり来たり精神。

今年はじめての記事は、なんとなくここ数週間の間に感じたことを記録しておこうと思います。実は私たち夫婦、クリスマス前にコロナにかかってしまい、年末はほぼベッドで寝たきりの生活を送っていました。しかし、「何にもすることない but ベッドで寝る以外」と思っていたコロナ療養の中にあっても、日頃のワタワタとした気ぜわしさを強制終了されることで、じっくりと大切なことに向き合う時間を持てることができたのは、不幸中の幸いでしょうか。弱っていると人って「人生って何なのか~」みないなことを考えがちですが、まさに私たち夫婦もそのモードが起動したのでした。

「私たちのやりたいことって、ゲストハウスってわけじゃないんだよね」というのは、ゲストハウスをオープンする前からちょくちょく言っていたことで、その想いは今でも変わっていません。「じゃあ何やりたいんですか?」というド直球の問いに対しても、「場づくり」とか「対話と交流」などと、概念的な回答でふんわりやり過ごしてきたのですが、つまりは自分たちでもはっきりと言語化はできていないなかったんですよね。そしてそれで良かったのだと思っています。簡単に言葉にできることなんて、信用ならないですから。
しかしゲストハウスをオープンさせてからの二年間と、年末のコロナ療養期間を経て、少しずつですが自分たちが立てた”問い”に対しての、答えめいたものが見えてきたような気がしています。

少し話が飛躍するかもしれませんが、まず私たちが考えたのは「幸せってなんだろう」ということです。いきなり哲学ですか?という飛躍っぷりですね 苦笑。というのも、私たちの暮らしている福島県須賀川市の旧岩瀬村地区が、昨年2022年4月から「一部過疎地域」となり、「あんたんとこめちゃ人減ってて赤字経済ですよ~」のオフィシャル認定がなされたので、去年は「じゃあどうやって色んな人に岩瀬に興味を持ってもらえるかな」をしこたま考えた一年となったからです。
しかしいくら移住イベントをやってもSNSで発信しても、どこか違和感を拭えない自分たちがいる。「岩瀬いいとこみんなおいで~」と声高らかにいえば言うほど、ますます虚しいというか、自分たちって本当にここに色んな人が来てほしいと思ってんのかなーという本心とのギャップを自覚していったのです。

この違和感ってなんだろう?とモヤモヤしている中で、あるとき夫がこう言います。

「過疎ってそもそも問題なのかな?」

…ほんとだ。過疎ってそもそも"解決すべき”問題なのか?人が減って経済が回らなくなって、ある指標から見れば右肩下がりの終わりゆく地域かもしれない。だけど身近に暮らしている岩瀬の人たちは、悲壮感に溢れているようにも見えないし、ましてや貧しくなんて到底見えない。むしろ自分たちで食べる分は自分たちで賄えているし、しかも市場に出るより新鮮で美味しい野菜を毎日食べれて、山には木があり、間伐して薪材にして、冬はそれで暖を取っていたりする。春にはうぐいす、夏にはカエルとセミ、秋には鈴虫と冬には白鳥…。花鳥風月を絵に描いたような自然の中で、日々健康的に暮らせる素地は、どこよりもあるように見える。
かくゆう私たち自身も、東京からUターンして始めたここでの暮らしに、思った以上の満足感を得ているのは確かです。

夏の日の近所の山中
初夏の岩瀬(モデル:服部奈々)

もちろん、長期的に見たら高齢化が進んだ地域で人口が減り、公共サービスも耐えて、足難民になる人が増えたり(今でもすでにそうだけど)、生徒数が減って学校が合併されたりナンダリカンダリと、課題や問題が噴出するであろうことは素人目にも予測できます。だけど、"幸せであるかどうか”と"どれだけ人が増えるか”ということは、どうやら相対関係にはないようだというのが、私たち夫婦の現時点の答えです。

そう考えると、去年一年取り組んできた「岩瀬おいでよキャンペーン」への違和感も納得できる気がします。つまりは私たち自身、ここでの"人がいない問題”について、心の底では課題とは感じていなかったということでしょう。それよりも問題なのは、自分たちも含めたここに住む人たちが、どれだけ現状に"満たされているか”という方なのです。
"どれだけ満たされているか”ということは nearly equal "どれだけ幸せを感じているか”ということに言い換えられます。そうなると話はマスの視点からぐっと個人の視点へと焦点が絞られていくのです。"幸せ”を感じるポイントなんて、千差万別人それぞれですから。

"私たち”が考える幸せの定義とは、自然の恩恵を受けながら、人と自然がバランスを取って暮らせている状態、多くなくとも大切な人たちと、春夏秋冬を楽しみながら喜びを分かち合うこと、シンプルにまとめればこれらに尽きると思っています。その私たちの理想を実現するための「ゲストハウス」という"場”であるし、そのために昨年は「講」と題し、身近な人たちを招いてのBBQや芋煮会の開催をしてたのです。過疎を意識して主語を大きめにあれこれ考えてしまってたけれど、私たちの目指す幸せって、実はこういうことの延長線上にあったのだなと思います。

近くの藤沼湖での芋煮会

だから今、私たち夫婦が思うのは「私たちはここで自分たちの幸せに目一杯向き合います。もし来たくなったら、いつでもどうぞ。お待ちしています」ということです。拡声器を持って「おーい!おいでよー」はもうやりません。なんなら別に来てもらわなくてもいい。でもリアルでもオンラインでもどこかででも私たちの暮らしを知って、「私も自分の幸せ、考えてみよ」と少しでも思ってもらえたとしたら、それ以上の喜びはないのです。

だからみなさん、美味しいものを食べて、泣いて笑って怒って喜んで、お幸せな一年を過ごしましょうね。どこにいたって、それだけが大切なのですから。

2023年1月7日 満月の日に。
guesthouse Nafsha オーナー
Misato

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