misato.

海沿いの築40年マンションより。

misato.

海沿いの築40年マンションより。

最近の記事

36歳。

年齢というのは、一つの暦にしかすぎないけど、 とはいえ、考えることは変わってくる。 私はいま、36歳で、 まだ0歳にも満たない人を、お腹に宿している。 この子には、これから、 どんなことでもチャレンジできる人生が待っている。 そのことが、嬉しくて切ない。 じゃあ、自分は何かしたいのか考えてみる。 すると、若いころのように、 少々無理だと思われるような「夢」すら、浮かんでこないことに気づく。 だけど、虚しい気持ちばかりではないことにも気づく。 きっと、 その歳にし

    • 大切なことは単純だから。

      夜の星乃珈琲店で、「君は誰と生きるか。」を読んでいた。 思っていた内容とは少し違っていたけど、 大きくは共感できた。 利益のための人脈づくりは、本質的には無駄だということが書かれていた。 私は、元々、利益のためのつながりなんて求めてない。 本当のつながりが欲しい。 じゃあ、本当のつながりって? 今のところ、それは、 無条件に大切に思える人との間に生まれるものだと思っている。 大切に思えるだけでは、だめなのかもしれない。 きっと、その人の間に、何らかの心の重なり合い

      • いつかのはなし。

        最近、悲しい夢をみる。 よく見る類は、母に理解されなくて怒っていたり、 友達とうまく噛み合わず孤独に苛まれる教室の中だったり。 寂しく、その吐口がないまま、泣きながら目覚める。 私には、心の話を気軽にできる、母や友人がいない。 度々訪れる孤独の波の一つに、「死」がある。 人は、生まれながらに「いつかの死」に対しての恐怖を感じない能力を備えているらしい。 どうやら、私はその能力が少し乏しいようで、 幼い頃、自分より先に死んでしまう、台所に立つ母をみて泣いていた。 いま

        • 孤独をなくす方法。

          小学生の頃から日記をつけている。 あの頃は、今より自分とは?について悩んでいたから、 よく、寝る前の枕元で、 「本当の自分が分からない」と書いていた。 自分が分からないから、 人との接し方も分からなかった。 誰とも、心でつながる感覚がなくて、 毎日それを求めて、すごく孤独だった。 あれから25年ほど生きて、 昨日、再び大きな孤独が押し寄せてきた。 まだ、太刀打ちできなかった。 一つ変わったことは、 孤独は無くならないのだと、小さく悟ったことだ。 たぶん、その人の生

          思い出。

          9歳の息子が、いつかくる南海トラフがこわいと、泣き出した。 自然の中で生きるってことは、そういうことだから。 とは言えない。 「地震がこわいときどうしてた?」 と聞かれたけど、 私も同じように泣いたりしていた。 ぎゅっと抱きしめてあげることしかできない。 不確かな「大丈夫だよ」という言葉を届けて。 一人寝室で眠るのはこわいから、今日はリビングで寝ている息子。 寝顔を見て思うのは、これまでの思い出たち。いつも、この顔を見て、毎日過ごしてきた幸せと喜びを思い出す。 思

          ふたりで居る寂しさ。

          これまで、誰かと一緒に住むことを何度かしてきた。 両親、恋人、夫婦。 それらが終わりを迎える時、 寂しさとは逆の、あたたかな何かに包まれている心地だった。 なぜなら、それまでの日々こそ、寂しさの絶頂だったから。 それは、心の振れ幅の違いだったり、 大事なものの価値観のズレだったり、 生きていくことへの課題感の違いだったり。 趣味や、好み映画や本が違うなんてことは、 ちっとも問題ではなくて、 心が、まるで別世界で生きているモノ同士のように、 見事に絡み合わないと分かった

          ふたりで居る寂しさ。

          大晦日を一人で過ごす。

          ここ4年ほど、ずっと年末年始に家から出られないほどに体調を崩しています。 今年も同じく・・ 夫と来年10歳になる息子を夫の実家に送り出し、 酷いつわりとお留守番。 妊娠するのは10年振り。 私は、離婚を2回していて、 どちらも、とても苦い時期を過ごしたので、 前回の妊娠の思い出も、何だかストレスだらけの中、 過酷なシーンしか思い出せない。 あんまり話すと、暗い文章になってしまうので、また徐々に書きたいと思っていますが、 35歳の今、結婚=幸せという考えは持っていない。

          大晦日を一人で過ごす。