二地域暮らしのリアルを聞いてみた

二地域暮らしは、サバイバルだ。体力的にも金銭的にも。なぜ続けられるのか、そもそもなぜするのか。

何をいきなり、と思うかもしれないが、本気でそう思う。かくいう私は、二地域暮らしのビギナーである。

二拠点居住やデュアラーなど多様な表現があるけれど、ここではあえて「二地域暮らし」と言いたい。

その理由や、二地域暮らしの分類については、○と編集社の奥田さんが書いた以下のnoteがある。二地域暮らしをされている方もそうでない方も読んでみると、そうなのか!という気づきがあると思う。

上記のnoteで奥田さんは、二地域暮らしのことを以下のように定義している。

二地域暮らしとは、複数のローカル(都会もローカル)コミュニティに フィジカルに属している状態のこと

なるほど。これであれば私も二地域暮らしと言って良いようだ。

私自身は、学生時代にインターンをしていた長野県辰野町に今年の7月に色々なご縁で移住してきたが、東京に毎月2、3回ほど帰っている。

銀座にある「ソーシャルバーPORTO」の日替わり店長をやっていたり、どうしても東京で学びたい講座があったり、会いたい人がいたり、仕事をもらいに行ったり…目的は色々とあるけれど、とにかく東京と接点を持っていたいという思いから積極的に帰っている。

東京に帰るときは、以前住んでいたシェアハウスに泊めていただくなど、周りの人の理解と協力に甘えさせてもらっている状態。

辰野町に帰るときも「帰る」、東京に帰るときも「帰る」どちらも居場所だから、「帰る」になるのだと改めて気づく。

二地域暮らしビギナー、すでに体力と交通費がしんどい…!うーん、二地域の玄人達は、どうやって乗り切っているのか。

それを知るべく、すでに実践している玄人達が二地域暮らしについて話すイベントを開催した。

当日、会場は30名近いご参加があった。お越しいただいた中には、すでに二地域暮らしをされている方が数名。

そのほかにはお仕事をリタイアされたあとに、農業のため二地域暮らしに憧れがある方や、東京で仕事を持ちつつ故郷と接点を持っていきたい方、お子さんがいるため子育ての場所に関心がある方、学生で地域に関心がある方など、多様なバックグラウンド、性別、年代の方々がいた。

玄人達は、一体どんな生活を今まで送って来たのか。まずはスピーカーとゲストのご紹介をしたい。

赤羽孝太さん(一級建築士)
2016年から出身地である長野県辰野町の集落支援員となったことをきっかけに、家族全員での横浜と辰野町の二地域暮らしがスタート。
一級建築士事務所 MMMstudio を主宰。また、地域にワクワクする人を増やすことを目的に昨年(一社)◯と編集社を設立した。地域づくり中間支援事業を行う。

赤羽さんは、3年間、奥さんと3歳の女の子と家族で二地域をしている人だ。ドラエモンカーと呼ばれる、青いボディに全身ペイントの車で、神奈川と長野を行ったり来たりしている。長野県辰野町は、地域との関係もしっかりと地道に築いており、地域での信頼もすごい。実を大切にして活動している人だ。

もう一人のスピーカーは、先ほどご紹介したnoteを書いた、よりサバイバル度が高めの奥田さん。(正確には2017年以降は、二地域両方で家を持てたため「二地域サバイバル」から「二地域暮らし」になったらしい)

奥田悠史さん(デザイナー)
三重県と長野県のローカル×ローカルの二地域暮らし。
デザイン事務所の Alpenglow works を主宰し、(株)やまとわ 取締役、 (一社)◯と編集社 つなぐ編集室 室長としてどちらでも仕事と生活を創り、森や地域のおもしろさを伝える活動を行う。三重県では、毎週水曜日にハラぺコ里の市(マルシェ)を主催し、マルシェ経験は200回を超える。

奥田さんは、三重と長野県のローカル×ローカルの二地域暮らし。奥さんは三重で暮らしている。三重の家は名瀑が目の前にある、山の中にあり、リアルにウグイスの声で目覚める。二地域4年目で、辰野町で家を持つ前は、マイナス19度を超える気温のなか、車中泊で乗り切っていたというツワモノ。

そして、ゲストは会場をお借りいただいたTURNSのプロデューサーの堀口さん。全国を渡り歩いて、様々な事例を見られていることから、今回のイベントでも「田舎礼賛主義」ではないことは、前提に地域との関わり方のお話をいただいた。

堀口正裕さん(「TURNS」プロデューサー)
㈱第一プログレス常務取締役。
新しいライフスタイル、本物の豊かな暮らしを追求し、雑誌「LiVES」「カメラ日和」「tocotoco」等の創刊に尽力。2012年6月、日本を地方から元気にしたい、地方暮らしの素晴らしさを多くの若者に知って欲しいとの思いから「TURNS」を企画、創刊。「TURNSカフェ」や「TURNSツアー」といった、地域と若者をつなぐ新しい形式のイベントを展開。地方の魅力は勿論、地方で働く、暮らす為のヒントを発信している。


一級建築士の赤羽さんからは、二地域暮らしのために自分たちで作ってしまった、コワーキングスペースと、二地域シェアハウスの話があった。

こちら長野県辰野町にある、空き家となっていた洋装店リバーさんをリノベーションしたコワーキングスペース「STUDIOリバー」。

24時間空いていて、月額会員は、長野県外の人は月額4000円、県内は5000円、町内は6000円という、県外で二地域している人にとっては、優しい仕組みになっている。

そして、二地域の人が一泊1000円で泊まれる、○と編集社が運営している二地域シェアハウスがある。

県外からコワーキングスペースに来ている人のための会員制シェアハウスだ。確かにこれさえあれば、安心して泊まることができる。(私も辰野町へ移住する前は、よく利用していた)

必要だが、ないものは自分たちで作ってしまった!という話が印象的だった。循環するため、県外の人ほど優遇するというのが、民間ならではでユニークな仕組みだと思う。

一方で、奥田さんからはサバイバルな体験談について。

2015年から二地域をしている、奥田さんの2019年7月のスケジュールは以下だったそう。

毎週水曜日に里の市という素敵なマルシェを三重で開催しており、それに合わせて毎週三重に帰っている。それ以外は基本的に長野、そのほかは出張だ。

かなり、体力的にタフ。

物理的にはしんどそう。でも続けられる理由は何かというと、

二地域暮らしは、方法やなりゆきが大切。その中に、暮らし方の理想がある。実現したいことがある。 共に生きたい人(コミュニティ)がいる。

ということだった。

奥さんと共に、「自分の意思でそのあり方になっていることが共有できている」のもとても大きいようだ。

とても素敵だ。

体験談を聞いていても、二地域暮らしは、移動コスト、時間、体力もかかることを、改めて実感する。

しかし一方で、奥田さんが言っているように、暮らし方の理想があって、実現したいことがあって、そして 共に生きたい人(コミュニティ)があれば、二地域暮らしをする意味がある。

そしてその中に、方法やなりゆきがあれば続けられる。その方法は、赤羽さんの話にあったような、物理的なコワーキングスペースや、シェアハウスの存在だったり、仕事だったり、助けてくれる人の存在だったりする。

それらがなくてはきっと続かない。

自分の「暮らし方の理想」「実現したいこと」「 共に生きたい人(コミュニティ」を改めて見つめ直す時間になった。

参加者の方々にとってもそんな時間になったのであれば、と思う。







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