「言い訳」は人生を楽にする道具?

“言い訳”って言葉、素敵だよね、って最近思うのよ。

英語で言うなら「excuse」だ。
最近色んな文脈で、とりわけポジティブな文脈でよくこの言葉を使うようになって、結構気に入り始めている。

例を出すなら……そうだな。

例えば、「めんどくさくなったらすぐやめても良い、というのを言い訳にドラムの練習をする」とか…?

改めて言われると良い例が浮かばないな……


言い訳を作る行為って、「ハードルを下げる」「許容範囲を広げる」「納得できる理由を作る」等色々なフレージングは出来るけど、つまるところ「生きるのを楽にする行為」なんだと思う。

例えば、体調が少し悪いのを言い訳に宿題をしないとする。

もちろん、翌日先生にその旨を話して「じゃあ明日までにやってきて」と言われる可能性はあるけど、逆に「わかった。今日の分はいいから、また明日から頑張って」ということで宿題をしなくて良くなるかもしれない。

少なくともどちらにせよ、宿題をやらなかった晩に関しては、いつもより少しだけ楽に生きられた訳だ。

まぁこれだけだとただの自転車操業だし、言い訳が嘘だとしたらバレた時に信用を失ったりとリスクリターンが見合ってない気もするけど……

論点がズレてきたな……


話を戻すと、直近で私が言い訳という言葉をよく使うのは”毎日やってること”を消化する時。

最初の方でも言っていたけど、私は今習慣として、ドラム練習と、韓国語の勉強、統計検定の勉強を毎日やってる。

こうやって並べ立てると凄く立派な人みたいだけど、正直3つ合わせて一日一時間もかけていないことの方が多いんじゃないかな。
それぞれに、時間が短かったとしても、「今日はやった」と言っていい言い訳を用意してあるから。

ドラムの場合は最初に言ったように、とりあえず電子ドラムの椅子に座って、めんどくさくなったらその瞬間にやめても良い。

韓国語はDuolingoというアプリでやってるんだけど、一ステージクリアしたらそれでOK。Duolingoの場合は色々とモチベーションを維持させるためのシステムが組み込まれてるから、そもそもとしてやり続ける言い訳を作りやすいんだけど。
一日1個レッスンをクリアすると連続日数記録が増えるようにもなってるしね。

統計検定の勉強は一日五問。
これも本当は目指してるペースで言えば一日3問で良かったはずだから、最悪3問でもやめられる。

こういう風に言い訳を作ってハードルを下げると、継続しやすいって話。
人間やっぱり、行動したり、何かを受け入れたりするのに理由がいると思う。

些細な理由でも良いんだけど、そういう「ちょっと変わるための理由」を私は”言い訳”と呼ぶのにハマっている、っていう話なのかもしれない。

芯があるようなないような、とっ散らかった話になってしまったような感じもあるけど、言い訳も使いようだよってことなんじゃないのかな。多分。

それじゃあ、今回はこの辺で。

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