39.5℃のカナリア

歌うことが好きだった。次の言葉を探さなくてよいからだ。あの頃の私はいつも言葉に迷っていて、おはようの一言にさえ逡巡して、ぐずぐずと夕暮れを迎えていた。お酒が飲みたいのではなくて、酔わなくちゃ目を合わせられなかったんだ。夜が好きなのではなくて、逃げ込める場所がそこしかなかったんだ。

誰も聴いてはくれないけれど、色の変わる大きなフォントに一人で想いを託して、今日と明日との境界線上でなんとか生きていた。清い声も、美しい羽もないけれど、煙草の匂いとエアコンの風が充満した薄暗い鳥籠の中で、週末の私はひとりカナリアになった。

そんな私の翼が折れて、ビルの谷間にうずくまったのはほんの二週間前のこと。甘いゼリーを口に含んで、血を吐きながら夜を越えた。私を乗せた小さな気球にいくつも穴が開いて、青空に溶ける夢を見た。時代が私を置いてきぼりにしていった。みんなの背中がどこまでも遠く見えた。

走り続けてばかりいたら、いつかつまずいてしまうもの。わかっていたけれど、それでも前に進もうとして、私の身体はボロボロになった。お酒が飲めなくなった。夜が怖くなった。夏は今でも恋しいままだ。昔から知っている人たちが、みんな大人になってゆく。長くて急な坂道を、重い荷物を抱えて、一歩一歩登っていく。私はその坂道を転がり落ちて、子供の頃の私にさえ追い抜かれてしまった。

当たり前に生きることが、こんなに大変なことなんて、思いもしなかった。ただ明日さえ来ればいいという切実な願いと、明日を迎える準備さえできないという焦りの中で、私は壊れそうになる。39.5の数字が、今夜も私を鎖で縛る。お前にはまだ春なんて来ないのだと、きつく叱る。

今は思い出に逆らわずに生きていこう。それさえ失ってしまったら、あまりにも淋しいじゃないか。みんなの背中が見えなくなったら、もう一度歩き出そう。私は私の速度で進めばいい。

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