あの頃へ

ㅤ今日で君の生まれた時代が終わる。なんていうと少し大袈裟だろうか。ただ名前が変わるだけで、それは季節ごとに装いをあらためるみたいにあたりまえで自然なことかもしれないから。けれど確かに君の生まれたひとつの時代は、そっくり思い出の標本箱に仕舞われて、その箱にはもうまもなく蓋が閉められる。
ㅤもちろんその箱の中身はいつだって取り出して眺めることができるし、大事なものたちと一緒に手元に置いておくことも叶うもの。だけどやっぱり思い出さ。今よりかえって美しく見えるかもしれないし、いつか色褪せてしまうかもしれないけれど、それでも思い出は思い出さ。もう決して今じゃなくなるんだ。不安と期待が胸を切り裂くような時の濁流は、蝋細工のように形をとどめたまま、永遠になる。
ㅤ君を抱きつづけた大いなる揺り籠は、ようやくその腕をほどいて、大人になりなさいと私たちの背中を突き飛ばす。君が思い描いていた未来とは、少し違うかもしれないけれど、どうにか私は生きているよ。
ㅤ砂浜で貝殻を拾って歩いた日も、泥と夕焼けにまみれていつまでも白球を追いかけていた日も、背中に隠したチョコレートに預ける言葉に懊悩していた日も、真夜中の静けさを知った日も、風を切って走った日も、すべての輝きと、すべての後悔とが、今ではガラスの向こう側にしか見えないけれど、確かに、あの日々が私を今日へ運んでくれた。
ㅤこれからどのように生きるかを決めるのは、君でもなく、今の私でもない。ただひたすらに生き抜いて知ったのは、きっと明日もどうにかなる、ということだけ。ならば今宵は小さな蝋燭をともして、今夜だけゆるされた古いレコードをかけて、甘いお酒を飲めばいい。眠れば今日より背中の日々は、みんなそろって箱の中。
ㅤ長かったような、短かったような。あたたかいような、つめたいような。だけど、この夜にさよならは似合わない。だからさ、君もどうにか生きてみればいいよ。

#平成 #手紙

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