『父の日のありがとうはまだ要らない?』
『父の日のありがとうはまだ要らない?』
まだ早そうな気もしますが、父の日は6月。
今日は、私自身の父親姿!!
2007年の私のブログからです。
『06/17/2007 20:00:00
TITLE: 父の日のありがとうはまだ要らない?
そうですね、父になって?十年は経過しましたが、
何か父親らしい事をしてきたのかと問われるとはたと返事に窮するというのが今の心境でしょうか。
私自身が父親と一緒に生活をした経験がないということにも起因しますが、
比較するものを余り持ち合わせていないという事もあるでしょうし、
これが父親なんだという確固たる物を私自身が見つけていないという事にもよるのでしょう。
今は家庭に父親と母親の役割分担がはっきりしない状態であるとよく言われます。
むしろ二人とも母親だったりするのではないでしょうか。
良く「うちのおとうさんはテレビ」などと揶揄もされますが、本当にそんな時代になりました。
本当はそうだからこそ「おとうさん、しっかり」と声援をしなくてはいけないのでしょうが。
家庭における今は母親の存在や役割だけが表面化し、父親不在の家庭が増えているといってもいいと思います。
色んな事情が複合的に重なっているのでしょうが。
ご多聞に漏れず私はその代表選手みたいなもので子供たちが独りでに順調に逞しく育ってくれたというだけにも思えるのです。
従って父の日だからといって、改まって「おめでとう」等と言われると非を悟らされるような思いに駆られ極めて居心地の悪い状態に追い込まれてしまうのです。
数日前から家内には子供たちから話があるときは「父の日のお祝いはしないように」と言いなさいと釘はさしてはいますが。
これからが私の本領発揮、父親としての存在意義を問われる時期になってきたと考えてますのでその後で充分だと思っているのです。
私自身が父親として充分な役割を終えた頃であれば甘んじて「おめでとう」を貰いたいと思っていますから。
そんなときがいつ来るかは定かではありませんが、私がこの世に残す最大の財産は子供たちですから彼らにも充分納得した状態で、
かつ私自身が満足のできる子供たちへの役割が達成できたとき、そのときこそが彼らから「おとうさん、有難う」の声を聞きたいものです。
出来れば、その時に子供たちのつれあいや幼い孫たちからもそのときこそ「ありがとう」って言って欲しいと思います。
それは私の終焉を迎えるときでもいいと思っています。
それまでには自分の満足できる父親を演じてみたいものです。
そのときこそ晴れ舞台に立って「有難うね、幸せになるんだよ、後は頼んだよ」などとあっけらかんに舞台の裾から去って見たいものです。
何か、目頭が熱くなってしまいましたが、
いつの日か彼らにこそ、しっかり「ありがとう」って言っても見たいものです。』
西日本ビジネス印刷株式会社
代表取締役会長 園田 慶一
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